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2016年06月23日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6 #11 未知なる世界(Knots Untie)」奪う取引か、助ける取引か



わたしたちの生活は、
どんな場面も“交渉の場”と言えるのかもしれません。

ビジネスでの取引のシーンに限らずです。

息子に遊ぶ前に宿題をさせるのも
妻にお小遣いアップを頼むのも
異性を口説くのも
友人同士のちょっとした頼みごと、頼まれごとも、
赤ちゃんがお母さんにおっぱいをねだるのも…
ぜ〜んぶ、ある意味では交渉ですよね。

何かしら叶えたいことがあって
説得なり理解を求める…つまり伝える。
そして、手伝ってもらったり
代わりにやってもらったり…。

小さい小さい具体例を言えば、
「あ、靴ひもほどけた。ちょっと持っててくれない?」
と靴ひもを結ぶために荷物を束の間持ってもらう。

こういうことも含めて広い意味で
“交渉”ですよねってことですね。

さらには、“自分自身との交渉”というのも
あるでしょう。

やめるか進むか?
怠けたい自分と交渉して、
「しゃ〜ない。やるか!」
と重い腰を上げるとか。

決断するのも、実行するのも交渉。

だとしたら、今回のテーマは毎瞬の
わたしたちの選択すべてに関わる
一見大げさに見えるけど、
重大なテーマだといえます。



さすがに面白いな〜。でも、ちょっとこなれてきたのかな…
いや、それとも視聴者としての自分が慣れてきたのかな〜

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6」
第11話「未知なる世界(Knots Untie)」


を観ました。

監禁された部屋からいとも簡単に抜け出し、
街の様子を観察して回り、
リックの寝室にまで気配もなく忍び込んだジーザス。

リックたちに取引相手を探していると説明します。

ジーザスは“ヒルトップ”というコミュニティーに住み、
アレクサンドリアに提供できるものもあると…。

最悪な出会いにも関わらず
自分を置き去りにしなかったリックたちとは協力し合える
と取引を勧める意思を示しますが、
アレクサンドリアの皆は彼を簡単には信用できません。

しかしアレクサンドリアの食糧難は深刻な状態。
一刻も早い対処が必要でもあります。

結局は、“証明するために案内する”という
ジーザスと共にヒルトップに向かうのでした…。



“ヒルトップ”はすでに他のコミュニティーと
取引をしていました。

ということは他にも似たような集団がいるということです。

ところが、“ヒルトップ”の前の取引先の素性は最悪でした。
街にある物資の半分を要求してきた彼らは
半分渡すと「足りない」と言って人質を取り、
もっとよこせと言っていたのです。

それが彼らの“取り引き”だったわけですね。
“ヒルトップ”の面々は動揺します。

一度、“当たり前の交渉”で労働力を求められて
自分たちは食糧を求めた交渉で
決裂してしまっていたリックたちは、
その“ヒルトップ”の惨状を知り再度交渉を持ちかけます。

人質を救出し、敵を殲滅するから
食糧を半分分けて欲しいと。

でも、“敵”となった前の“ヒルトップ”の交渉相手と
リックたちでは決定的に違うところがありますよね?

騙すか騙されるか?の駆け引き、
奪い合いの勝負。

だから“敵”となった。

リックたちは根底から違います。
互いに必要としていることで
自分たちにできることを与え合う。

助け合いが前提にあって、
あとは少しでもいい条件を引き出すための交渉。

マギーが交渉役に立ち、“ヒルトップ”のリーダーと
交渉するシーンは、どっちが優位に立つか?
という勝負のような交渉シーンになっています。

いかにもビジネスライクに見えるシーン。

ビジネスでの交渉というと
まあこういう雰囲気を思い浮かべがちであって、
ともすれば勝敗を決める“勝負”みたいに
受け取りがちです。

だからこそ“敵”とリックたちの決定的な違いの部分を
違いとして判らず混同したまま人と接すると、
敵を作る結果になることが多くあります。

でもこれって“交渉”としてとらえるからであって、
大切な人との間では普通にやっていることですよね。

大切な人との間では、相手が困っていたら
何とかしてあげようと思う。

その時は見返りなんか求めてないけど
持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様の精神で
お互いにそうやって生きているから
結果、自分も助けてもらっているはずなんです。

実際にリックたちのグループ内を見てもそうだし、
“ヒルトップ”の中を見てもそう。

でも、悲しいかな、世の中には
そういう善意を利用しておとしいれようとする人もいる。

守るべき人がいる身なら、
天真爛漫に、無邪気に、無防備に
全面的に信頼するわけにもいかない。

慎重に信頼関係を築いていかなければならないのも事実です。

でも、信頼関係が必要であればこそ、
その大本の志の部分がなにより必要になるわけですよね。

人は信用できないものという前提で話を進めるか、
信頼できる人を見つけるんだという前提で進めるか。

心根が違えば向き合い方も変わってくるはずです。


                 全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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