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2016年10月10日

アニメ「ガンダム Gのレコンギスタ #20 フレームのある宇宙」無知が引き起こす、人が人にやってはならないこと



考えると気が狂いそうになるので
普段は出来るだけそのことに囚われすぎない様に
気を付けていることがあります。

それは、何が虐待か、なにがいじめか、
何がモラハラか…

そういうことを分かる感覚を持っていない人が
ビックリするくらい多いという事実につちて
考えることです。

正直に言いますと、それは常に頭の中にある。

だからこんなブログもやっているのですが、
このことについて真剣に考え過ぎると、
怒りで我をわすれて、
自分が「モラハラ・パワハラ・イジメ・虐待」人間に
なってしまいそうになるのです。

そんなのは本末転倒。

だから、わたし自身もまだまだな自分を自覚しながら
自分で自分をみている。

いじめや、虐待、モラハラ…なんて
本当は人殺しと同じレベルで
「人が人に対してやってはいけないこと」
なのですが、

日々の行動の中で
『これはやってはならないことだ!』
と自覚できない人がいかに多いか…



なんと!びしょ濡れになったお気に入りの
ビジネス用の革靴のような運動靴。
台風18号でびしょ濡れになり、二日間日光にあてて
しっかりと乾かして臭い消しまで行ったのに!!
また土砂降りとは〜〜〜!!

アニメ「ガンダム Gのレコンギスタ」
第20話「フレームのある宇宙」


を観ました。

宇宙世紀時代に宇宙に移民した人たちは
月や月周辺で穏やかに平和的に暮らしている人たちと
地球への帰還であるレコンギスタ作戦を
強行しようとする人たちとに意見が分かれていました。

レコンギスタ強行派がジット団。
平和を守りたいロザリオ・テン側は警察組織のテン・ポリスに
編隊を出させてジット団に対抗します。

そのロザリオ・テンはオーシャンリングと呼ばれる
コロニー内にありました。

オーシャンリグには重力もあり人口の海が作られている
港街のコロニーです。

だから、モビルスーツでそこに近づけば
ビーム戦などはもってのほか。

ベルリたちはメガファウナが収容されていた
クレッセント・シップごとジット団たちに拘束されていましたが、
ジット団の目を盗み、なんとかメガファウナを
クレッセント・シップから離脱させます。

ジット団のリーダー格のキアあが操るジャイオーンに
追い詰められたベルリのG-セルフは、
オーシャンリングを支えるフレームの中に迷い込みます。

頭上のドームは海の底…

キアはG-セルフを奪うために無理な戦闘をして
「海の底」に傷をつけてしまいます。

亀裂から宇宙に飛び出す海水。

キアのジャイオーンも、ベルリのG-セルフも
その海水を逆に上りコロニーの中へ…。

ベルリが海水を抜けると、そこは地球と酷似した
海の光景が広がっていました。



キアは、かなりの武闘派のようで、
強引な攻撃を仕掛けてきますが、
『海の底』に穴をあけてから、
自分で言います。

「これはやってはならないことだ!」

10数万人が生活している港町のスペースコロニー。

宇宙にコロニーを建造するだけではなく
海を創るって生きてきたわけですから
それは相当に神聖視された『海』だと想像できます。

そんなコロニーのそんな海の底に
宇宙の外から穴を開けた…

それでそのコロニーに住む人たちが滅びたら、
地球上で、核爆弾を使って、
地球自体を破壊してしまうのと変わりませんよね。

普通に考えて、それは
命を奪われる人間が多いから…
ということだけの問題ではありません。

罪のない人の命が奪われるから…ということです。
人殺しだからです。

それは人が人にやってはならないことですよね。

でも、戦争という現場では
やってはならないことだという感覚がなくなっています。
軍人同士の殺し合いもそうですが、
現実に市民が巻き添えになってしまう。

じゃあ、戦争が起きてない平和なはずの社会では
やってはならないことは、やってはならないこととして
きちんと認識されているのか?

というとそうではありません。

“魂の殺人”は本当に憤りを感じるほどに、、、
もう、ほんっとにバカバカしいくらい無自覚に
行われています。

同じ人間として恥ずかしい。悲しくて仕方がありません。

何が悲しいかって
「これはやってはならないことだ!」
という自覚すらまったく持てていない。

いじめ、虐待、モラハラ、パワハラ…
それが魂の殺人です。

悲しいのは、教育のつもり
しつけのつもりで“魂の殺人”が行われること。

それを行っている本人たちは
責任感や正義感がつよくて、自分にも厳しく
人にも厳しい人だったりするから悲しい。

これはもう、本当に悲しすぎて憤りそのものです。

“知らない”ということが起こす大罪です。

自分を客観的に観れていないと、
自分に気づくことは少ないでしょう。

“知る” “気づく”

これらは、無知の知、つまり自分はまだまだ
知らないことが山ほどある。例え自分のことについてでも…

という視点がなければ、得られることのない
でも、もっとも基本的な“知”です。

わたしは「やってはならないこと」を無自覚にやっていないか?
あなたは「やってはならないこと」を無自覚にやっていないか?

人に自分の価値観を押し付けたり、人を無視したり、
人がやろうとしていることが自分の意にそぐわないと
イライラして、それを「お前のせいだ!」と相手にぶつけていないか?

それが、“魂の殺人”=人が人に対してやってはいけないことです。

自分に問いかけてみましょう。

もしやっているのなら、そしてそれが無自覚だったのなら、
「やってはならないこと」だと感じられない自分を見つめ
学び、成長していかなければなりません。

これからも人と関わり続けるのなら。


                 全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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