2017年05月19日

アニメ「進撃の巨人Season2 #32 打・投・極」これはわたしなりの正義「観」、あなたなりの正義「観」は?



わたしは自分では正義感は強いと思っています。

しかし、学生時代に親友が彼自身の正義感を
怒りとともに語った時に首をかしげたことがあります。

最近では、わたしが怒りとともに
わたしの正義感を語った時に、
先輩から「まあ、それは人それぞれだから
あまり口にしない方がいいけど…」
とたしなめられたことがありました。

正義感…

この言葉、よく観ると…いやよく観なくても
そのまんまなのですが、

正義…ではないんですね。

あくまで“感”がついている。

あちゃ〜…



「ピンポン」「弱虫ペダル」とこれ、
立てつづけに観たのですが、今週分は
どれもいつも以上にワクワクして観れました。
ホント、アニメが充実してるシーズンですね〜

アニメ「進撃の巨人Season2」
第32話「打・投・極」


鎧の巨人と超大型巨人が
エレンたちの目の前に出現しました。

「裏切り者!」

激昂したエレンは
すぐさま巨人化し、鎧の巨人の顔面に
拳を叩きこみます。

一方、超大型巨人は調査兵団が待機していた
壁を破壊し、昏睡状態のユミルを捕らえて
自らの口の中に放り込みます。

調査兵団はハンジの号令のもと、
一斉に超大型巨人へ襲いかかりますが、
巨人が全身から蒸気を噴出させたため、
近づくことすらできなくなります。

鎧の巨人に逆に殴り倒されたエレン。

彼の頭の中では訓練兵時代の
アニーやライナーたちとの記憶が
走馬灯のように駆け巡っていました…。



久しぶりに食事をしながら箸がとまり
グググッと力が入ってしまいました(笑)

エピソードがまたいいところで終わったので
「…! ちきしょ〜〜〜!!」なんて
おとなげない反応をしてしましました。

巨人かしながらも、自分の理性を
保てるようになったエレンは思っていました。

いったいライナーたちは自分たちと一緒にいながら
何を考えていのか?

巨人はみんな駆逐してやる!

故郷の人たち…そして母親を巨人に
目の前で殺されたエレンには、
超大型巨人も鎧の巨人も最悪の敵です。

壁を壊し他の巨人たちを壁の中に
入れたのは彼らでした。

全てはあの時から始まった。
もっとも憎しみの深い二体の巨人。

それが、命を託し合って巨人と闘ってきた
仲間の中にいたとは…

「お前ら二人本当にクソヤロウだよ、
人類史上こんな悪いことをしたやつはいねぇよ」

エレンからすれば…いや、正直にいって
視聴者、読者からしても、そりゃそうだという話し
なのですが、またこのシリーズの謎が産まれました。

じゃあ、アニーしかり、巨人化して人間を襲ってきた
彼らの正義とはいったいなんなのか?
…ということ。

ライナーたちの口ぶりから、彼らが若干なりとも
葛藤していたこともうかがえました。
ベルトルトの態度からも、人間の命の尊厳を
理解できていないとも思えませんでした。

しかし、何かしら“故郷”から託された
使命のようなものがあるようですね。

まだわたしたちには明かされていませんが
その使命はわたしたちファンにも
納得のいくようなものなのでしょうか?

いずれにせよ、ライナーたちには彼らなりの
正義があるということです。

あそこでエレン他仲間たちを敵に回して
正体をみせたのには、彼らなりの正義による
選択があったからでしょう。

そして彼らなりの正義からみたら、
エレンたちの正義もまたエレンたちなりの正義。

つまり、お互いが感じる正義の違い。
…正義感の違い。

正しい義のはずなのにに違っている。

ということになるんですね。

人間は共通の敵がいると団結します。
その敵が必ずしも人間で在る必要はありません。

いがみ合っていた二人が、山の中で遭難して
お互いが助かるために力を合わせる。

なんてこともある。

でも、それで友情が芽生えて親友になることだって
本当にあるでしょう。

今、「ボク、運命の人です。」で共演している
ジャニーズの亀梨和也さんと山下智久さんは、
もともと反りが合わなかったそうです。
その二人が今では大親友。

「野ブタをプロデュース」というドラマでダブル主演
することになって、お互いイヤイヤ受けたそうですが
競演して観たらめちゃくちゃウマが合った。

わたしも似たような経験は何度かあります。

ただ、だからといって価値観が同じになるわけではない。

認められる部分も沢山発見できるけれど
知れば知るほど自分とは違うなと思う部分も
いっぱいでてきますよね。

だから、価値観が創り出すその人なりの
正義「観」と、それによって感じる正義…正義「感」

これも人それぞれ。

なのに親友にもなれている。

わたしたちが独りではなく人と一緒に生きていくとき、
「幸せ」と切り離せない人間関係の「はじまり」は
夫婦だと思っています。

他人同士の男女が結ばれてお互いの血を分けた
子どもが生まれる。

夫婦はいつまでも血はつながりません。

子どもたち以降はみんな両方と血のつながりがあるのに
最初の二人だけは絶対に血のつながった仲にはならない。

それが家族を始めるわけです。

価値観が合わない、性格が合わない。

そうやって別れる夫婦もいます。
お互い自分が正しいと思っている。
自分の正義感を貫くと相手を否定してしまう。
否定されてしまう。

否定のし合い…

しかし、家庭の幸せを築けないのならすでに
正しい義ではないのではないでしょうか?

そもそも結婚は価値観や性格の不一致も
過去も将来の可能性も在るがまま愛し続ける誓いの儀。

だとしたら、家庭を壊すことこそ悪。

自分の正しさを主張して家庭が壊れるなら
正しさを主張した二人は悪ですよね。

夫婦が見つめるべき敵は、
夫婦を「悪」たらしめる敵は、お互い、
相手の中にあるのではなく
自分の中にあるのではないでしょうか?


                全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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