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2017年04月25日

アニメ「終物語 そだちリドル #1」わかろうとするからわかってあげられなくて相手も自分も苦しむ



わたしもわかってあげたくても
わかってあげられない人がいます。

それってものすごく辛い。

辛いというか寂しいです。

でもわかろうともしてくれないこと
興味すらももたれないことの寂しさは
知っているから、
せめて自分の大切な人にはそういう思いは
させたくない。

せめて自分の大事な人が自分を相手に
そんな風に思って欲しくはない。

だからわたしはわかってあげられなくても
相手のことを聴こうとします。

聴いてもわからないこともあるけれど
時間がかかっても聴こうとします。

じゃあ、わかろうとしているのか?

わかろうとはしていますが、
それに捕らわれないように自分を戒めてもいます。


DVDなどのソフト版とは放送版の映像が
若干違うのでしょうか?
印象的なのに記憶にないカットが
よく出てくる気がします。


アニメ「終物語」
「そだちリドル」 第1話


を観ました。

忍野扇と不思議な教室に閉じ込められて
1年生の頃の教室での出来事を
思い出した阿良々木くん。

今度は、扇ちゃんと一緒に
自分が卒業した中学校に来ていました。

不思議な教室での謎解きの翌朝、
阿良々木くんが登校すると、
待ちかまえていた委員長、
羽川翼に廊下で止められます。

阿良々木くんとよい仲ではなかった老倉育。

休学していた彼女が登校してきているとのこと。

心配する羽川を安心感させて職員室へ
送り出し、ひとり教室へ入る阿良々木くん。

老倉は阿良々木くんの席に座っていました。

「私はお前が嫌いだ」
「私が嫌いなのは、幸せの理由を知らない奴。
自分がどうして幸せなのか、
考えようともしない奴」
「自力で沸騰したと思っている水が嫌い」
「自然に巡ってくると思っている季節が嫌い」
「自ら昇ってきたと思ってる太陽が嫌い」
「人は誰かに助けてもらわなきゃ幸せになれない。
そんなこともわからない馬鹿が、
嫌いで嫌いで死にそうだ」
「お前は何も覚えていないのよ、 阿良々木。
自分が何でできているかを知らないの」

そう執拗に絡んできた彼女が発した言葉に
中学校の下駄箱の話が出てきたのです。

その言葉を手がかりに、母校を訪れたのでした。

すると扇ちゃんが開けた“誰か”の下駄箱から
阿良々木くん宛ての3通の手紙が出てきます。

それをみた阿良々木くんは・・・。



「訳の分からない理由でこちらを嫌い、
攻撃してくる輩が1番怖い。
相手の目的が分からないから対処の仕様がない。
闘うためにはまず、相手の正義を知ることだという。
老倉育が何を正しいと思い、
何を正義だと信じているのか。
それを探るための、これは旅路でもある」

阿良々木くんの言葉です。

相手が何を正しいと思っているのか・・・

そうか相手を知るというのは
相手の正義を知るということでもあるんですね。

そう考えた方がポイントが定まって
むしろわかりやすいかも・・・

ひとつ大きく役立ちそうな視点に
気づかせていただきました。

ゲームで旅の途中に大切なアイテムを
ひとつゲットしたような気分です。

わたしが相手のことを聴くときに
自分に戒めていることは、
わかろうとし過ぎないことです。

わかるかわからないかに、
執着し過ぎない。

と言ったほうが伝わりやすいかな?

ここで言うわかるというのは
相手が何をどう観るかをその視点の
基準になっている感情まで掘り下げて理解し、
同じように感じられるか?

と言う意味です。

そこまでわかることができたら
もちろん理想でしょう。

でも、全く違う人生を生きている他者のそれを
そこまで理解し合うなんてできることでは
ありませんよね。

なのにそこまでわかろうとしてしまうから
わかってあげられなくて自分も苦しむ。

自分が苦しめる人はまだ優しくて
「意味がわからない!」
「なんでそんなことで!」
と逆ギレしちゃうひともいる。

だから、わかろうとし過ぎないということが
鍵になってくると思っているんです。

わたしが大切にしている在り方は、
知ろうとすること。

ああ、そういう考えなのか?
(そういう考えで、なぜそう感じるかは
よくわからないけれど)
あなたはそういう考えで、
それをそう感じているんだね。

ということを知る。知ってあげる。
わからなくても良いから
その事実を認めてあげる。

わからないと言ってしまうと否定になります。
でも、わからなくても知ったわけですから、
否定せずそうなんだね、
と受け止めてあげればいい。

知ってあげて、
知ったことを受け止めることができたら、
時間をかけてでもいつかわかる時が
くるかもしれません。

実際に「なるほど」と、あとになって
わかってあげられることも多いものです。

でも、「なんでそう考えるの!?」
「こう考えればいいじゃない!」と
押しつけてしまうと、否定して、
答えまで決めてしまっているから
その先の理解への可能性が閉ざされますよね。

相手をわかろうとするのはいい。
でもわかろうとし過ぎない。
知ることが大事。

わたしが気をつけていることです。

相手が何を正しいと思っているのか?
という基準もひとつ、
参考にしてみようと思います。


          全ての物語のために















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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