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2017年10月10日

アニメ「終物語オワリモノガタリ おうぎダーク #3」大人になるってそういうことなのか?



自分の中の悪と向き合う物語の描き方には
いくつか種類がありますよね。

自分の中の悪の象徴を倒す。

お前は俺だ…と昔の自分に良く似た敵を倒す。

しかし、よく考えられた情緒的な作品だと
自分の中の悪も自分の一部だと
受け入れること。

つまりあるがままの自分を受け止める
という意味で自分の中の悪と和解する。

そういうお話の描き方もあります。

あるいは自分が向き合うのは
自分の中の悪というよりも
自分の中の弱さ…というのも多い。

人が成長する物語の多くは
そういうものだと言ってもいいのかもしれません。

特に勇気がテーマの少年漫画や
少年向けのアニメには多いですよね。

でも、この物語の主人公が向かった自分。
退治しなきゃと対峙した自分は、
悪でもなく、弱さでもありませんでした。

それは、間違いを許せない厳しさ
という自分。



この夏、お盆の時期に満を持して
2夜連続放送された「終物語」
原作小説では「上」「中」「下」巻で発売されたうち
まだアニメ化されていなかった部分。
「下」巻のアニメ化作品。そのクライマックス。

「終物語オワリモノガタリ」
「おうぎダーク」第3話


を見返しました。

彼女の正体は暗闇では?

間違いを正すそんざい。
あってはならないものを消滅させる『非存在』
それが暗闇。

阿良々木くんの後輩、
同じ高校の1年生の女子
忍野扇。

これまでの登場の仕方から
主人公の阿良々木くんも、
うすうす彼女の正体は暗闇だと
思っていたようです。

しかしそうではなかった。

扇ちゃんは怪異、明らかに化物。

何でもしっているお姉さん
臥煙伊豆湖はそう言いました。

そして、阿良々木くんが独りで
対峙しないといけない相手なのだと。

そう。彼女の正体は阿良々木くん自信。

阿良々木くんの自分への厳しさが
怪異となって現れた存在。

自分の間違いを許さない
自分が犯した過ちを強制的に
正そうとする怪異。

そして、その決戦の時・・・



そして、少年は大人になる…
的なお話かという流れで進んでいくのです。

阿良々木くんの高校生活の終わり
青春の終わり…だと。

確かに自分への気真面目さの象徴である
忍野扇を退治するということは
青臭さを切り捨てることにつながる。

大人になるとはよく言ったものです。

でも、阿良々木くんはそれを選びません。

そう、あるがままの自分を受け入れるタイプの
決着のつけ方ですよね。

阿良々木くんが退治しようとして
できなかった忍野扇ちゃん。

彼は扇ちゃんを助けて言います。

他人を助けたんじゃない。
自分を助けたんだ…と。

これは、多くの大人にとってとても難しいこと。
認められない事ではないでしょうか?

自分の悪を受け入れると言って
悪に負けてしまう大人もいるし

わたしのように自分の弱さも
自分の一部だと言いわけのように唱え
自分を甘やかしている大人

そう言う人は多いですが
どうでしょうか?

青臭さを捨てずにいられる大人というのは
なかなかいないのではないでしょうか?

いや、青臭さを手放せなくて幼いままの大人
というのは沢山います。

しかし、青臭さを大切に胸に抱いたまま
ちゃんと大人になれているという人は
本当に少ないと思うんですよね。

わたしはそういう大人を目指しているけれど
まだまだ全然です。

要らない幼さが残ったり、
手放したくない青臭さをいつの間にか失っていたり。

青臭さ、言い換えれば純粋さ、
それを守るのは本当に大変ですね。

ただ手放したくなくて、変わりたくなくて、
成長しないというやり方を選ぶと
それは青臭いというより幼さになります。

幼稚。

でも、ここで言う守るというのはそういうことではない。

大人の世界では「キレイ事」だと言われ
「大人になれよ」と言われて
捨てることを促される純粋さ。

確かにそれを手放せばラクに生きられる。
反面、それを大切にするということは
貫くということ、つまり、
戦わないといけないということ。

戦うには敵を知る必要がある。

つまりそれを手放せとささやいてくる
大人の世界のことを知る必要がある。

幼稚で成長がないやり方は
大人の世界を見ないようにしている。

でも、本当に守る人は大人の世界に
どっぷり生きているように見えても
純粋さ青臭さを自分の軸にきちんと持っている。

多くはないけど少なからずそういう人は
確実にいますよね。

それは、明らかにイバラの道なのですが、
阿良々木くんがそういう道を選ぶのは
やはりわたしにとっては涙ものでした。

「自分はもう子どもじゃない」
というときにまるで純粋さを失って
汚れた自分になったことのように言う大人がいます。

汚れること、諦めることは簡単です。
戦わなくていい。

でも守るなら闘う必要がある。
闘い続ける必要がある。

あなたがどちらを選ぶかはあなた次第。
そこで闘わずに「大人」になったって、
他にも闘わなければならない事は
いくらでもありますからね。

でも、わたしにとっての戦いの舞台は
そこが一つ目の大きな門だと思っています。


         全ての物語のために







posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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