2017年05月16日

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION #18 ふくらむ青八木」純粋な願いが相手に伝わる伝え方



素直になりなさい。

意地をはらないで素直になればいいの。

人に対してだけじゃなく自分に対しても。

自分をごまかさずに素直になればいいの。

でも、素直になるのって本当に難しい。

そもそも、なんで素直になるの?
素直になるとどんな良いことがあるの?

それは、周囲の人に自分の思いが
伝わりやすくなるということ。

そして、自分で自分の本当の喜びを
ちゃんと分かってあげられるということ。

素直にそれができるなら
人の喜びも素直に一緒に喜んであげられる。

喜びを大切な人と分かち合えるって
とても幸せなことですからね。

・・・ところが、この素直になる
というのがとても難しかったりします。



4月期の番組も折り返しに入りました。
現在2クール目に入っているこの作品。
やっとインターハイが始まりました。
きっとインターハイのクライマックスは
第4期に持ち越されちゃうんでしょうね〜

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION」
第18話「ふくらむ青八木」


ついにスタートしたインターハイ。

坂道くんは先頭でスタートしますが
パレードランの最中後方に下がり
真波と言葉を交わします。

そして、このインターハイでまた
山で勝負をすることを約束しました。

そして、旗が振られ本格的に始まるレース。

箱根学園キャプテンの泉田が
ファーストリザルトを狙って送りだしたのは
“怪物”銅橋でした。

その豪快な走りで周囲を圧倒する銅橋。

総北は青八木と鏑木が飛び出します。

青八木は田所直伝の
「酸素音速肉弾丸」という必殺技を…!?



ファーストリザルトは誰がとるのか!?
今から勝負の展開にワクワクしています。

さて、頑張っているのは
選手たちばかりではありません。

マネージャー他、サポート役の人たちも
いそいそと次のサポート地点へ向かいます。

とはいえサポートカーには全員は乗れません。

1年生の段竹はサポートカーに乗り込んだ
2年生の杉元に鏑木へのメッセージを
託そうとしました。

しかし、そんな段竹に3年生の古賀が言います。

「お前の純粋な願い、
そういうのは直接伝えた方がいい。
走ってるやつの力になる」

だから段竹も一緒に乗って行きなさい
と言うんですね。
そして杉元が荷物をつめてなんとか
補助席を出せるようにして段竹を乗せます。

純粋な願いは直接伝えた方がいい。
相手の力になるから。

本当にそうですよね。

純粋な願いはそうなんです。
それが伝わるだけでどれだけ力になることか・・・

純粋な思いってそうやれば伝わるんでしょうか?

それは簡単。
素直に伝えるだけ。

「あなたは〜だ」ではなく
「わたしは〜です」と自分のことを
素直に伝えるだけ。

答えは簡単でも、素直になること
・・・素直で在ること・・・
の重要さを意識せず感情のままに
いきていると、歳を重ねた分
素直になることはとても難しく感じます。

素直になれたら、大切な人たちと
かけがえのない時をとても素敵な瞬間を
生きていけるのに、
素直でないばかりに、本来持っている
純粋な願いとは逆の効果が
自分と周囲の関係性に現れてしまう。

たとえば
勉強しなさい!宿題は終わったの!?

そんな風に言うのも、
親としての純粋な願いからです。

でも、それを聞かされる子供のほうは
それだけで脳が“不快”になりますから、
勉強や宿題だけではなくそれを言う人にも
不快の連想ゲームが紐付いてしまう。

そうなるとやらないといけないことは
分かっているけれど、なんだかやる気が出ない
と言うことになるわけです。

親心としての純粋な願いは
わが子が意欲的に勉学に勤しむこと・・・

だったはずなのに効果は真逆。

で、今度はその不快から逃れるためには
結局自分が努力して
「言われないようにやろう」
と奮起するしかないのだと分からせようと
嫌われ役を買って出る・・・

嫌われたいわけなんかないけど
わが子のためにと心を鬼にして
・・・なんて自分に言い聞かせて。

そしてどんどん子供は勉強が嫌いになる。

もちろん奮起する子もいます。
そして、将来、自分に厳しくしてくれた親に
感謝する子もいる。

でもそれはそう思おうとする真理・・・
嫌われたくないけれど心を鬼にしてと
思ってやった親と同じで
自分を肯定しなければ生きづらいからです。

その証拠にほとんどの子は、
辛いけどやらないといけないことと思って
頑張ることになる。

そして、わたしが許せないのは
そうやって育ってしまうと、わが子にも
勉強とはそういうものだと伝えてしまうこと。

そんな負の連鎖です。

でも、どうでしょう?

はじめから勉強は楽しいと思えていたら?
なにも複雑に考えることはないでしょう?

幼少期のわが子を思い出せば分かるはずです。
学ぶことが嫌いな子なんていなかったはず。
みんな知りたくて知りたくて
目をキラキラさせて全てのことを見ていた。

その光を奪うのが、大人の
『素直でいられなかった』
自分の心なのです。

じゃあ、どうすれば素直になれるのか?

それは勇気と覚悟ですよね。

簡単じゃないと思います。

自分を守るために幾重にも重ね着した
鎧や盾や刃を一つ一つ手放して
『わざわざ無防備になる』
という作業・・・心の作業を、丁寧に丁寧に
自分自身とやっていく必要がある。

素直になればいいんだよ。

と言われて素直に怒りをぶつける人がいます。

でも、怒りがすでに鎧なんです。
怒りがすでに自分を守る盾と刃なんですね。

怒りは第二感情、第二の感情ですから
すでに第一の本来の感情ではない。

怒った時点ですでに素直じゃないんです。

自分が損をしてもいいと鎧も武器も捨てる。

イメージしてみてください。
鎧を来て盾と刃で完全武装して
大切な人に向き合う自分を。

相手から見て、その姿はどのように
うつるのでしょうか?

シンプルでしょう?

鎧も武器も捨てる怖さはわかります。
でも、自分はそれをせずに相手には
武器を捨てろという。

相手には素直に言うことを聞きなさいという。

その時点ですでに大人の大人モドキを
見破られますよね。

自分がなにを恐がりその鎧を着たのか?
自分が何を恐れてその盾を握ったのか?
自分が何を壊したくてその刃を振りかぶったのか?

目の前の大切な人は、もともと
その対象でしたか?

わたしも、まだ勉強を心から好きになれていない
息子をみながら毎日反省と、
まったく悲観せず、息子が自ら学ぶ喜びを
思い出してくれる日がくることを信じて
日々、親として精進しています。

         全ての物語のために








posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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