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2019年05月21日

ドラマ「僕らは奇跡でできている #1」その2 大人の根っこのメンテナンス

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自分の人生を変えたい。
自分を変えたい。

と思っている人は多いと思います。

わたしもそうです。

ずっともがいている。

もがくという表現を使うこと自体、
一時期はなんの抵抗もありませんでしが、
最近はかなり抵抗があります。

なんか「違う」んじゃないか?

と思っている。

「もがく」こと自体が違うんじゃないの?
本当はもがかないでいい。
もっと力を抜いて身を委ねるみたいな・・・
流れを見極めて乗るみたいな・・・

そういう感覚が大切なんじゃないの?

という考え方のほうがしっくりくるんじゃないか?
そんな風に感じています。

流れというのは自分の魂の流れ
興味の流れという意味ですね。

「こうあるべき」という常識前提ではなくて
「どうしたい」という魂の根幹前提。

みたいなシンプルなことなんじゃないかな?

って。

でもこれもまだ何となく感じている段階で、
本質的に「そうだこういうことだ」と
腑に落ちて実感できているわけではないんです。

たぶん、そうなるためにはもう少し時間がかかる。



今回は2018年に放送された大好きなドラマの
プロローグを取り上げたいと思います。

ドラマ「僕らは奇跡でできている」
第1話


からの紹介です。

大学で講師をしている一輝(高橋一生)は
生物のことに興味があり、
自分の興味の赴くままに意識が向かうので
常識を持っている周囲の人たちは
彼に振り回されます。

しかし、彼自身もそんな周囲との
アンバランスには傷ついてきた過去を
持っていました。

一輝に振り回される人々が
自分のそれまでの「常識」を疑い変わる姿。

周囲の人たちとのつきあいを通じて
自分を見つめながら成長していく一輝。

そしてそんな一輝たちを見守る人たち。

それらのアンサンブルが本当に
すがすがしく、楽しく描かれたドラマです。

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昨年秋のシーズンで大当たりだったドラマです。
毎シーズン、いくつものドラマを録画して
はじめの1〜2話は試しに観てみる・・・

時間の兼ね合いもあってその中から
ずっと観ていく作品を厳選していくんですが、
おもしろいドラマは普通は1話目から
「来たコレ!」ってピンとくるんですよね。

今シーズンなら「ラジエーションハウス」がそう。

でも、この「僕らは奇跡でできている」は
1話目を観ているとき、
コレは今シーズン観ないやつかな?
って思っていました。

下手をすると1話見終わらずに
早々に停止ボタン押しちゃいかねない感じ。

でもプロローグ映像が気になっていたので
とりあえずこのドラマがやろうとしてることが
なんなのか?

少しでも見えるまでもう少し!
と思って我慢してみてたんです。

そうしたら本当に後半のクライマックスで
「おお!」と思うテーマが火花を散らしました。

それはテレビドラマとしては信じられないような
テーマだったので、その後、数話観るまでは
本当にこれがこの作品のテーマなのだろうか?

これを1クールやっていくのだろうか?
そんなことできるのだろうか?

と半信半疑でした。

それでも最後までやってくれたんですよね。
本当に素晴らしい。

「鈴木先生」ばりに人生に多大なる影響を
与え続けてくれる作品になりました。



その第1話のプロローグとは・・・
主人公一輝の少年時代のエピソードです。

祖父は焼き物職人で
丹精込めて作品をひとつひとつ作っています。

その工房で出来たばかりの碗を
「出来た?」
と無邪気に手に取る一輝少年。

しかし次の瞬間、碗を落として割ってしまいます。

あちゃー怒られるかな?

と思って観ていると、祖父が近寄って来て言います。

「一輝、どうしたらコレが輝くかな?」

笑顔で言うんですねぇ。



どうでしょう?

なんか違和感湧きませんか?

めちゃくちゃひっかかりました。

確かに、いきなり怒らなかったことはスゴい。
また「どうしたら輝くと思う?」という発想に
目を向けさせたのもスゴいと思います。

そこに引っかかる人もいると思うけど
わたしはそこはそうあるべきだと
思っていました。

それでもどうしても引っかかったのは

・・・その前に、「ごめんなさい」は
教えるべきなんじゃないの?

ということ。

人のもの、しかも今まで丹精込めて
時間をかけて大切に大切に
こさえてきた作品です。

人のものを壊して謝らせないの?

というのがどうしても引っかかったんですね。

でも、コレこそがこのドラマの
ねらいだったんだと今は思っています。

視聴者にそう思わせることも作者の計算
だったんだろうな・・・と。

人のものを壊したら謝る。

そんなの常識でしょ?何か間違ってる?

って、常識に対して

一番大事な事って本当にそれかな?

という視点を持って欲しかったんじゃないだろうか。

もう、このドラマ。
通算で3回観ています。

また近々見返そうかなと思っていますが、
最近になってやっと
あの1話目のプロローグで
一輝に謝らせなかったことへの
引っかかりが消えてきました。

人のものを壊したら謝る。
それは常識です。

そして一輝はそれができない大人には
なっていません。
そんなことはドラマ全体をとおして
一輝という人間をみようとすればわかります。

でも、あの碗を割った瞬間に
祖父が重視したのは常識よりももっと
一輝という人間が生きていく上で大切なものだった。

ということでしょう。

一輝少年が自分の魂の根っこをすくすくと
のばしていくために一番大事なこと。

そういうことよりもまずは
人様に迷惑をかけないための常識が先だろう!

という感覚を持つ人も多いと思いますが
まさにそこなんですよね。

ちょっと極端な言い方になりますが
常識というのは親や祖父母が教えなくとも
世間が教えてくれます。

わかっていなければ揉まれることになる。

しかもその世間はそれぞれの事情で
それぞれの正しさを内包していることが前提で
さらに一輝のことだけを第一に考えて
注意してくれる世間ばかりではありません。

むしろそんな世間で「自分」というものを
しっかりと持って、強く生きていけなくてはならない。

ということは根っこがしっかりとしていないといけない。

しっかりというのは、誰かや世間が決めた
正しさという意味ではなくて
シンプルに「自分」という個人の
心の強さという意味での「しっかり」ですね。

子を苗木に例えるなら
世間はその枝葉を揺らす雨風や
時に優しく時に激しく照りつける太陽だったりします。

でも子が育つのを見守る立場の大人・・・
親や祖父母などの近しい大人は
「世間」ではない。

むしろ苗木にとっては土、土壌に近い存在。
あるいは土壌を準備してやる存在。
なんだと思います。

地表に出ている苗木の部分以前に
地面の下の根っこの健康状態に
もっとも気を配る存在。

だったら、あの碗を壊した一輝に
「謝りなさい」「ごめんなさいは?」
なんてことを言うのはむしろ大間違いです。

今更ですが、そんなことをわからなかった自分が
怖いと思えるほど、今のわたしには
あのプロローグが腑に落ちています。

わたしたちの「こうあるべき」という
刷り込みを本当に心の底から
腑に落ちて変えて行くには
時間がかかることも多いですね。

わたしは今、その自分の根っこを
改めて見直そうとしています。

もう我が子も思春期で自分で自立に向けて
成長している時期です。

そんな親の年齢をさして「いい大人」というのも
恥ずかしくなるくらいいい大人ですから
自分の根っこのメンテナンスは自分でもできるはず。

見守ってくれる存在があることは
ありがたいけれど、親や祖父母が
やってくれていた土壌のメンテナンスも
自分でやれておかしくない。

わが子のそこに手がかからなくなった分
自分自身のそこに手をかける。

子が本当に大人になったとき
また、ちゃんと見守れるように。

わたし自身がさらなる幸せな状態で
生きていたいと思うから。

「僕らは奇跡でできている」

これからも何度も見続けていく物語に
なると思います。


          全ての物語のために


posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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