お知らせ 2019年10月1日からこのブログ
「あなたの幸せ力を引き出すストーリーセラピー【ストセラ】」は
https://storytherapy.net/
へ移行します。

こちらのseesaa版は、これまでの記事のアーカイブとして残します。
今後とも、よろしくお願いいたします。

2018年06月30日

アニメ「ピアノの森 #11 ポーランドの新星」宇宙の力が自分の身体を通して出る感覚



(笑)凄いタイトルですね。

宇宙の力が自分の身体を通して出る感覚

スピリチュアル的な感じを
狙ったわけではないんですが
でもまあ、それも無いわけではないか…。

わたしは、幸運にも
数回だけですが、そういう感覚を
味わえたことがあります。

自分がただの器となって
自分の身体を通して
宇宙からの力みたいなものが
そとに出て行く感じ。

作家やクリエイター、アーティストなどは
そういう感覚になることは
多いようですね・・・

わたしが感じたのは
中国武術の練習をしているときに一度。

脚本を書いている時に一度。

最後は電話応対のコンクールで
風邪で喉を壊してしまった県大会の時。

この三回は、本当に自分でも
不思議なくらい自分ではない何かが
自分を使っているという感覚でした。

自分の調子が良いなんてものじゃない。
空っぽの心地好さがある。
空っぽなんだけど意識が無いわけではない。
自分でもびっくりするくらいの
パフォーマンスが出るんです。

その代わり、終わった時は
もうすっからかん。

ぜ〜んぶ出し切ったような感じになって
放心状態になっちゃいます。

ある意味、嘔吐している時の
苦しさもなくはないけど
「まだいける、まだいけると」
自分でもいけるところまで行きたくなる。

成人してから記憶に残っているのは
たった3回ですが、もっと昔は頻繁に
あったというな気がしなくもないですね〜



一週休みがありましたよね。
1クール終了前に休みと言うのは珍しい。
7月からはこの作品に続けて「進撃の巨人」の
シーズン3を放送するようですね。

アニメ「ピアノの森」
第11話「ポーランドの新星」


を観ました。

とてつもない緊張の中、
修平がステージに上がります。

信じられる自分を取り戻すため、
そして自分の心の唄をカイに聴かせるため、
修平は透明になり鍵盤を弾いていきます。

修平の演奏はカイだけではなく
誰もが心揺さぶられてしまう
そんな演奏だったようです。

修平の演奏に心打たれ
自分の出番まで緊張をほぐそうと
ワルシャワを走るカイ。

ショパンの森に入ると
あるポーランド人の出場者
レフと出会います。

レフもまた、緊張をほぐすために
来ているようです。

自分のことで精一杯だとカイが語ると
レフも自分と同じだと言い、
実はこのショパンの森は
自分の森だというのです。

2人は予選最終日の検討を
互いに祈ります。

そして迎えた予選最終日…。



この作品はピアノ演奏にもこだわっていますよね。
演奏シーンではCGアニメに切り替わります。

あれはモーションキャプチャーで
本物のピアニストが演奏している動きを
各キャラクターに反映させているから。

アクションやダンスと違って、
ピアノの演奏と言うところが新しいですね。

特に手、指の動きにいたるまで
モーションキャプチャーしているそうです。

そして、そしてそれぞれのキャラクターが
演奏する曲はキャラクターごとに
声優ならぬ奏優がいる。

それが、それぞれ本物の有名な
ピアニストなんだそうですね。

役に合わせてピアニストが
当てられている。
しかも、キャラクターと同じ国出身の
ピアニストたちが。
こだわってますね〜

今回は雨宮修平の演奏に
皆が心揺さぶられるというシーンでした。

わたしも聴きいってしまいました。

アニメの公式HPでも30秒程度ずつ聴けますが
MP3ではなくせめてCD音質で聴いてみたいですね。

今回の修平は透明になることを
意識して弾き始めました。

透明になる…

これって、空っぽになるとか
器になるということなんじゃないかな…

修平は偉大な音楽がが残した音楽を
そのまま再現しようとして
自我を捨てたということなのでしょう。

それは見事に成功して
その透明感をカイたちも感じていました。

そして最後はその透明な器に
自分の悲しみを注ぎ込んでいきます。

今回のこのシーンとこの演奏で
これまでで一番この作品のサントラを
本当に欲しくなりました。

わたしは武術の練習中に
全身全霊で自分が宇宙と繋がった感覚を
感じたことから、健康状態が
万全の時にそういう感覚になるのかな?
って思っていたのですが、
電話応対のコンクールの時は
風邪をひいていました。

喉は声を出せないほどに酷い状態。
でも本番の3分間だけビックリするほど
腹からの声が会場中を震わせた。

演技が終わった直後、もう
スタート前の声が出ないわたしに戻っていました。

必ずしも健康な時とは限らない。
要は集中力なのかな…

と思っています。
健康な方が集中力は発揮しやすいから
健康に機を使うのは悪くないけど
健康でなければ集中できない
と決めつけるのも早計。

時には枷になるような条件が
逆に集中力を高めてくれることもある。

でも、その集中力の源って
やっぱり子どものころにはいつも
触れていた物だと思うんです。

触れていたというか当たり前に
自分の魂と一体だったもの。

夢中で画を書いたり、何かを作ったり
真似たり、遊んだりしていたあの頃。

あの頃の体験は全部
この感覚が当たり前だったはずだと
自分の記憶をたどっても納得できます。

透明になる、空っぽになるとは
大人になるまでにくっつけてきた
余計なものを一切合財手放して
ただ、生まれたばかりの自分に戻る。

そういうことなのかもしれません。

どこかで渇望していないでしょうか?
常に心のどかで感じている。

わたしももう少し多く
あの感覚を味わえるように
自分に溜まり溜まったものを
手放す作業を心の中で行っていきたいです。

そろそろ、断捨離の時期かな?


             全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #4 王への忠誠(Some Guy)」注入した元気の使いどころ



自己啓発書にハマったのは
高校卒業のタイミングでした。

中谷彰宏さんの本に出会って
リズミカルに自分の中に入ってくる活字が
心地よくて元気をたくさんいただきました。

高校生までは読書を
全くしていなかったのに
浪人時代は書店に毎日通いました。

それまで自分の中にもやもやとしていた
いろいろな思いを、言葉にして
わかりやすく見せてくれている感じ。

自分がどう在りたいのか、
どんな風でいたいのか、
自分で自分を理解していく感じ。

特にそれまで活字に触れていなかった分
乾いたスポンジを水が潤していくような
そんな状態だったのかも知れません。

ただ、そこからが課題となっていきました。

元気があるときは良いです。
どんどん吸収できてどんどん元気になれる。

でも、元気がないときに
まるで栄養ドリンクでも飲んで
一時しのぎの元気を注入するような
そんなノリで自己啓発書を
貪るようになった時期がありました。

元気がないときに読むこと自体は悪くない。
でも本来、書籍、特に自己啓発本って
そんな使い方をするためのモノではないはず。

むしろ、逆でそんなことをする必要がない
自分を作り上げていくための
知恵や知識が詰まっているはずのモノ。

心が折れそうなときにコレまでに
身のうちに取り込んできたそれらの
知恵・知識のかけらを
本当の自分が拾い集め
自分自身を発見するためのヒントにする。

そんなイメージをつかめてから
さまざまな本とのつきあい方が
健全になっていった気がします。



一息ついていたら、一週間ずつ見れるテレビの
番組表に新番組がちらほら出てき始めましたね。
さて、この作品は全16話。
見終えることができるか?

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第4話「王への忠誠(Some Guy)」


エゼキエルたち王国の部隊は
救世主の基地に奇襲をかけ成功。

キャロルが基地の建物内の
確認に向かいました。

しかしそのとき制圧したと思っていた
建物から機関銃が火を噴き
瞬く間に王国の人々が倒れて行きます。

エゼキエルの周囲にいた数人は
エゼキエルが制止するのも聞かずに
エゼキエルをかばうように
覆いかぶさってきました。

キャロルはリックとダリルが
探している武器がこの基地に
運ばれていたことを知ります。

王を守ろうとして覆いかぶさった
王国の民たちの山から這い出るエゼキエル。

ぼう然とするエゼキエルの目の前で
仲間たちが動き始め
次々とウォーカーとなっていきます。

エゼキエルは脚に銃弾を受けており
満足に歩くことが出来ません。

キャロルは機関銃を片づけていた
救世主の内の数人を奇襲をかけて倒します。

さらに生き残りの救世主が武器を
持ち去ろうとするのを
キャロルは阻止しようとして…



今シーズン、少なくとも前半は
この調子で行くようですね。

各拠点での戦いが
リアルタイム形式っぽく描かれていく。

これまでも、様々な見せ方をしてきた
シリーズですから、このような
スタンダードな見せ方も
悪くはないのかも知れません。

ショッキングな第3話のラストシーンの
続きから始まったので
これまでのシーズンに比べると
安心して観ていられます。

さて、王国の王であるエゼキエルさん。

相棒である虎を傍らに置き
その貫禄をもって王を演じてきた彼。

今シーズンの第2話では
とても感銘を受ける言葉を残してくれました。

「それでもわたしは笑う」
「できるまで、できるフリをする」

その強さで王国のみんなを
引っ張ってきたんですね。

実際に彼のその強さは第2話でも
勝利を導いていました。

ハッタリは大切です。
嘘じゃなくてハッタリ。
踏ん張り、背伸び。

しかし、ハッタリを効かせれば
いつでもどこでも成功するほど
世の中は甘くはありません。

それが第3話のラストでした。

この第4話では
「なるべき自分になると決めた」
とエゼキエルが語るシーンが出てきました。

この戦いを始める前のシーンです。

そんな彼が、家族や愛する者を町にのこして
自分に命を預けてくれた民の
悲惨な末路を目の当たりにしてしまう。

それは全部自分のせい、
わたしは王などではない・・・

終末の世界になる前は
動物園の飼育員だった彼は
「なるべき自分」を見失ってしまうんですね。

見失うというか諦めかける。

でも、それでも自分の身をていして
彼を守り助けようとする人たちがいる。

みんな大人です。ちゃんとわかっている。
王は神様じゃない。
自分と変わらないひとりの人間。

でも、あなただからついてきたんだよ
と彼を支え彼の背中を押そうとする。

そんな心意気がかいま見えるお話。

エゼキエルさん、
「それでもわたしは笑う」
「できるまで、できるフリをする」
「なるべき自分になると決めた」

その言葉、今がまさに
発揮すべきときですよ!!


         全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #3 歪んだ正義(Monsters)」ヤケッパチから抜け出して手にしたいもの



十代の気持ちを理解できないような
大人には絶対にならないぞ!

って、中学・高校生のころに
自分の胸に誓ったことを
はっきりくっきりと覚えています。

でも、今はわかります。

あの頃に反感の対象としていた大人たち。

アンタたちが十代の時は
どうだったんだよ!

と言う気持ちを向けていた大人たちの中には
当時の自分を思い出しながら
わたしたち若者を見守ってくれていた大人も
実は思っていた以上にいたんだろうな〜

って。今はわかるんですよね。

一方で、本当に自分が十代の頃のことなんて
全く覚えちゃいないだろ!
今の自分のことも客観的に見えてないだろ!

と思っちゃうくらい今に振り回されているような
大人もいますから、
あの十代の頃の大人への反感が
すべて間違っていたわけではない
ということも、今となっては
寂しいくらいリアルに実感できますけどね。

だからやっぱり、十代特有の
あの思いを持ち始めた息子を観て
その思い、大事にしろよ!!

って思っちゃう。

自分が反感を持たれる側にはなっても。

ただやっぱり寂しいと
そんな風に自分や自分たちのことを
客観的に見れなくなりそうなとき、
ヤケッパチになって
当たり散らしたくなるようなときって
どうしてもあるんですよね。。。



わたしよりも息子のほうがテレビドラマを
観るようになってきました。そういう年齢ですね〜。
しかしまだやっと国内のドラマを見始めた感じ。
海外ドラマはまだ少しあとかな〜

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第3話「歪んだ正義(Monsters)」


を観ました。

銃器を捜しダリルと共に
救世主の基地に侵入したリック。

手分けして探索を続けていると
見覚えのある男に銃を向けられます。

その男はモラレス。

彼は終末の世界になった初めのころに
リックたちと行動を共にしていましたが、
家族と共に別の場所へ向かった男でした。

そんなモラレスも今は
救世主の1人になっていたのです。

一方、キャロルとエゼキエルたち
王国の一行は綿密に計画を立て
救世主を次々に倒していきます。

また、ジーザスは投降した救世主を助け
ヒルトップに連れていこうとしますが、
モーガンは合点がいかず、
ジーザスと対立してしまい…。



なんだか、モーガンはまだ
自分を受け入れられてはいないようです。

リックに銃を向けたモラレスもそう。

「こんな時代だから仕方がない」
「ヤツらも俺たちと変わらない」
「俺たちもヤツらと変わらない」

罪と正義の間で板挟みになって
苦しいから「結局」と諦めの結論を出して
ヤケを起こしてしまう。

その難しい境界線の上で都度都度
葛藤して選択をしていきながら
「それでも」と答えを求め続けたり
悟り(成長)をし続ける覚悟ができていない。

そんな風に見えてしまいました。

一方リックは常に自問自答を繰り返し
それを今でも続けています。
正気を保っている。

おもしろいのはダリルもそうですが
ダリルの決断とリックの迷いにも
少しズレがあって、このシーズンでは
そこにもまたフォーカスされている
という点ですね。

これは以前にも一度ありました。

モーガンの迷いも前にもありましたから
同じ事が繰り返されているわけですが
実際そうですよね。

人生はスパイラル。
堂々巡りではなくて螺旋階段
のようなもの。

同じ事で悩み苦しんでいるように見えて
少しずつ成長している。

恐らくダリルはモーガンのような
やけっぱちとは違います。

自分の役割として客観的に
自分を捉えたうえで
自ら選んでいる立ち位置だと思います。

だからリックが迷ったときに
すかさずダリルは打ちますが
迷うリックを責めないし理解している。

まるでリックはリーダーとして
そうであってくれなきゃと言わんばかりです。

リックはそんなダリルにも
そして鏡に映る自分にも今は少し
戸惑っているようです。

戸惑っているけれどモラレスとの対峙と
対比がリックが正気であること
モラレスがヤケクソであることを
浮き彫りにしました。

たぶん、リックもダリルも
そうやって自分を客観的に見れる
強さがある。

問題はモーガンです。
いいや、このドラマのひとりのファンとして
踊らされているのかも知れませんが
モーガンは大丈夫かな〜
リックやダリルと違ってやっぱり
どこか弱い面をもっているのかな〜

と心配になりながら観ていました。

たぶん、彼なりに
状況を客観視しているからこそ
自分たちも人を殺すなら奴らと変わらない。

と思っているのでしょうが、
その罪にさいなまれて
ヤケになってしまっている時点で
客観性は失われていますよね。

そういう時期、そういう瞬間があるのは
仕方のないことだと思います。

今回合気道系の棒術で襲ってくるモーガンに
空手系と思われる体さばきで
応戦しながらも常に冷静だったジーザスは
そのあたりのこともよくわかっていたのでしょう。

だから冷静でいられた。
これも客観性を持てる強さと優しさです。

かといってジーザスもまた
生きている以上は成長過程ですし
迷い、失敗し、苦しみながら・・・
という場面が今後も起きるのだろうとは思います。

このエピソードのラストでの
エゼキエルのように・・・

大事な場面でヤケッパチにならないためには
そういった視点は持ちながらも
どこかで上手に(人に迷惑をかけないように)
ガス抜きをする術は自分でも
持っておかないといけませんよね。

ストレス発散方法を。

まあ、わたしの場合はそれも
映画やドラマやアニメだったりするわけですが(笑)


             全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

アニメ「ゴールデンカムイ #12 誑かす狐」中高生にスマホを持たせるか否か、悩む親。



わたしたちが中学生のころ
スマホはおろか携帯電話なんてありませんでした。

それでも親たちは今のわたしたちのように
子育てにも悩んだりしたのでしょうね。

だって、テレビゲームをはじめとする
親たちが子どもこのころには
存在しなかったような娯楽が
わんさか出てきたわけですから。

そういったモノをどんな風にどの程度
与えて良いものか?
経済的な事情による差はあるにせよ
お金とは関係のない部分での
わが子への影響というのは
考えないわけにもいかなかったはずです。

で、今わたしたちの課題は
わが子にスマホを持たせるか否か・・・です。

わたしが中学生の頃はスマホ・携帯はおろか
インターネットすらありませんでした。

大学生の頃に周囲がポケベルやら
携帯電話を持ち始めPHSの登場で
やっとわたしも持てたという感じです。

PCをインターネットに接続できたのは
確か社会人になってから・・・

つまり携帯もネットも成人してから
使い始めています。

それでもメールをしたら返事がこなくて
ヤキモキしたり、メールの活字だけをみて
相手の感情を誤解して
自分の感情に振り回されたり・・・

精神的に慣れるまでにかなりの時間と
失敗を費やしてきています。

もちろん、「なんで今月こんなに高いの!?」
という経済的な失敗もしてきました。

そんなスマホはアレコレが1パッケージに
治まっています。

いやいや、それ以前に電話の出方の基本も
わが子にちゃんと教えた記憶がありません。

固定電話を使う機会なんて、
その存在が意識から完全に飛んでしまうほど
ありませんでした。

そんなものが1パッケージですよ。
ど〜しましょ?

でも、今のネット社会で生活していくには
必需品でしょう。
なくても生きてはいけますが、
社会人として仕事で他者とのやりとりを
していくような生き方を選ぶなら
すでに必須でしょうし、
今後のテクノロジーの世界は
そんなことを言っていると振り落とされてしまうほど
破竹の勢いで進化していくはずです。

そのためには精神的耐性はもちろん必要ですし
スキルとしてもある程度使いこなせる必要も
確実にあります。

だったら、そろそろ子どもに
スマホを持たせるかどうか考える時期です。



凄い!第二期は10月から!
1クール分休むだけ。1年もあけたりせず、
半年ぐらいで観れたらいいなと思っていたら
3ヶ月のインターバルで次期をスタートって・・・
コレは嬉しい!しかも公式サイトでは
7月から再放送もするとのこと・・・つまり、
途切れない!これホント凄い!

アニメ「ゴールデンカムイ」
第12話「誑かす狐」


を観ました。

杉元たちは、長沼にある
アシリパの親戚の村を訪れます。

村にはインカラマッという
占い師の女性が滞在しており、
よく当たる占いに村人は浮き足立って
おかしくなっていると聞かされます。

インカラマッは杉元たちに会うなり、
アシリパがが父親を探していることを
言い当てます。

杉元もアシリパもキロランケも
本気でインカラマッの占いを信じはしません。

しかし、白石だけは違いました。

彼女の占いの高い的中率に
目を付けた白石は競馬場に連れていき、
占いで馬券を当てようとするのでした…。

杉元たちも白石を追って競馬場へ。

キロランケはそこで、逃げた騎手の代わりに
八百長レースに出て欲しいと声をかけられます。

しかし、馬を勝たせたい思いと
旅の資金のことも考えたのか、
キロランケは、馬主の指示を無視して
見事な手綱さばきでレースに勝利します。

一方、自分への警戒心を露にするアシリパに対し
父親のことをを知っているような言葉を残して
姿を消すインカラマッ。

白石は密かに牛山と家入と接触し
得た新たな情報を
まるで偶然聞いたかのように杉元たちに話し…。

また、土方の前には尾形が現れ…。



白石はホントにダメな奴ですね(笑)

美人にはすぐに媚びへつらうし
今回はそれに加えて
ギャンブルに簡単に狂う姿を
見せてくれました。

ギャンブル好き、というのは
決してそれだけで悪いことだとは思いません。

趣味で身を崩さない遊びとして
やれているなら良いでしょう。

また、本格的なギャンブルが好きで
夢はラスベガスでカジノ施設を経営すること!

なんてのもその人なりの
ロマンがあって良いと思います。

また、人生はギャンブル!
そういう気概を持たないと
闘えない瞬間というのは誰にだってあります。
そういう意味でもギャンブルの感性を
磨くというのは悪くないのかもしれません。

わたしはからっきしですけどね。

ただいずれにせよ、大切なのは
自分を見失わないことです。

白石は一瞬で自分が吹き飛んで
どこに行ったかわからなくなりました。

趣味のギャンブルも自分をしっかりと持っていれば
勝ちも負けも、身を崩さない程度で
楽しんで受け入れられるでしょう。

本格的にその業界で生きていこうと思えば
それはもうプロの世界ですから
並大抵の自制心では追いつかないほど
高いレベルの精神的成長が求められるはずです。

人生ギャンブルは誰にでも大事で
一瞬一瞬の選択の全てが
自分の精神性からくる思考や感情に
つながっている分けですから
なおさらですよね。

自分を見失って舞い上がったり
やけになったり「次こそは〜!!!」と
ドツボにハマってしまったり・・・

そうなってしまってはいい結果が出せない。
出し続けられない。

電子ゲーム、ネット、SNS、
そこから派生する人間関係。

それらインターネットの世界もそうですし、
現実の世界でさえギャンブル、
色恋、お金・・・その他の人間関係も
自制心というのは当然ながら必要です。

危険だからと避けてもいられない。

避けられないからこそ
社会に出てもちゃんと健全に
幸福を築ける大人になるために
十代という時期はとても大切。

だからこそ、わたしもスマホをもちたい
息子の気持ちを蔑ろにはできないし
息子が望まなくてもそろそろ
慣れ始めることと、自制心の自己育成を
促すためにも悪くはないと
考えているところです。

とはいえ、わたしの両親がわたしを含め
子どもたちがゲームをすることに
そんなに神経質になっていたかというと
そんあことはありませんでした。

むしろとてもおおらかでした。
そこは、わが子の人生への信頼が
あったのだろうと思います。

ですからわたしも深刻にはならないように
おおらかで在ろうと思っています。

でも、親として無自覚にも渡せないので
真剣かつおおらかにというバランスで
考えて決めて、見守っていこうと思っています。


            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期 #50 始まりの終わり 終わりの始まり」親の成長が試されるとき



朝、出かけに寝室にこっそり入ります。

時間大体6:30〜6:45くらい。

まだ、妻も息子も寝ています。

目的は2人の寝顔を観るため。

スヤスヤと寝ている2人を観ると
言いようのない感謝がわき上がります。

妻は起こすと期限が悪くなりますから(笑)
そっとしておくのですが、
息子はそっと頬や手に触れます。

彼にはそんな事では起きない。
息子がまだ小さかった頃から
ずっとそうやって出て行くようにしています。

今夜も全員無事で
この家に集まれますように・・・

しかし、息子はもう中学二年生です。

健やかに育ってくれるのは嬉しいことですが
家を出る日まで数年しかない。

わたしは今みたいな感じで
本当に子離れできるのだろうか・・・?

妻は強いからできるだろうと
思っていますが妻は妻で息子が
可愛くてしかたがない。

“その時”がくることは幸せなことですが
“その時”とその後のためにも親としても
色々と成長しなければなとも
最近とても強く感じています。

自分のことが心配(笑)



昨日も今朝も早起きして、結局2回
観ちゃいました。2回で治まるかな〜。
原作でも好きなエピソードの一つですが、
とてもよくアニメ化されていました。

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期」
第50話「始まりの終わり 終わりの始まり」


を観ました。

オールマイトの活躍により
オール・フォー・ワンはねじ伏せられ
逮捕されました。

しかし、オールマイトも力を使い果たし、
世界は「平和の象徴」を失いました。

半日かけて帰宅した出久くん。
疲労の余りうたた寝をしていると
オールマイトから呼び出されます。

オールマイトは事実上自分が引退し
今後は出久くんを育てることに
力を注ぐことを告げました。

一方、雄英高校では
敵<ヴィラン>の脅威から生徒を守るため、
全寮制への移行が計画されていました。

オールマイトと相澤は説明のため
生徒たちの家を回ります。

厳しい声を聞かされることを
覚悟していた2人は
予想外に好意的な親たちの反応に
驚いていました。

しかし、ここだけはとオールマイトひとりで
出向いた出久くんの家。

あのオールマイトがうちに・・・
と緊張する出久くんのお母さんと
対峙します。

彼女は全寮制に体して
「わたしは嫌です」
ときっぱりと言い放つのでした。

母の気持ちを蔑ろにしてきた
当然の帰結・・・

しかし、出久くんは・・・。



原作を読んだとき、
オールマイトVSオール・フォー・ワン
の盛り上がりの後、
本当に更に面白くできるのだろうか?

と不安になるくらい盛り上がったのですが、
その直後のエピソードがコレで
そんな不安は吹き飛びました。

出久もオールマイトも、
彼らが対峙するのは敵〈ヴィラン〉
だけじゃないんですね。

出久くんの母親とオールマイトの対峙は
これまたドラマとしてとても緊迫感があり
心揺さぶられる感動的なシーンでした。

出久くんやオールマイトが
乗り越えなければならないもの・・・

でもありましたが、
ここは愛する一人息子を送り出す
母親として、成長しなければならない
そういう場面でもありました。

息子の夢は応援する。
でもそれは息子を心配しないってことじゃない。

親なら当たり前ですね。

多くの親がこのジレンマで苦しみます。
苦しみますといっても
本当はその苦しみも幸せの一つとして
受け止めなけれなならないのですが・・・

多くの若者が
「大人はわかってくれない」
というフラストレーションを持つものですが
その多くの場合が、
親は親で苦しんでいる場面です。

親はどうしたってわが子を危険から守りたい。

だから、冒険しようとするわが子が
無知なまま危険な世の中に
無防備に飛び出していこうとしているように
見えてしまって仕方ない。

だから、それはダメ、あれはダメ、
こうしなさい、ああしなさい!

とついつい口うるさく言ってしまうんですね。

素直で賢い若者は愛すればこその
心配であることもちゃんとわかっていたりしますが
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
と思っています。

「もっと信頼してくれていいのに」
という不満から親に反発する若者も多い。

反発できれば元気なほうで
反発できずに親に従ってしまって
本来の自分の思いをねじ曲げて
ゆがんでしまう子もいるわけです。

だから、ここはただ単に
親の心子知らずではすまされない。

やっぱり、親も強くならなくちゃならない場面。

わたしの場合は本当に恵まれていて
息子はすくすく育っています。

つまり、段階的に自立心や
反抗期も訪れるので
親としてもそのたびに“その時”のための
心づもりをしていくことになる。

大筋では妻もわたしも大丈夫でしょうが

本当にそうか?
と、自分の胸に聞いてみると
ズキズキ、ズキズキしてくるんですよね。

大丈夫!息子の人生を信じる!
そう決めて、親をやってきたつもりなのに。

だからこそ!というのもあって、
とにかく今、精一杯
いろいろな瞬間をめいっぱい
感じておこうと思っています。

「大人はなんにもわかってない!」

そう思っていた彼らがまた
子をもつという何者にも代え難い
喜びを手にし、同じように
子離れに胸を痛める日が実現しまうようにと
祈りながら・・・


            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする