お知らせ 2019年10月1日からこのブログ
「あなたの幸せ力を引き出すストーリーセラピー【ストセラ】」は
https://storytherapy.net/
へ移行します。

こちらのseesaa版は、これまでの記事のアーカイブとして残します。
今後とも、よろしくお願いいたします。

2018年05月31日

アニメ「弱虫ペダル GLORY LINE #21 リミッター」人の上に人、人の下に人



わたしはお金の面で
だらしない部分があります。

ギャンブルをやって借金で
首がまわらなくなるとか、そんなに
大げさな話ではありませんが、
貯金が上手くできない。

お金を残すとか守るということが
下手くそなんですね。

一方、妻はその辺が天才的。
押し入れや収納の管理の仕方も
テトリスみたいで天才的ですが
お金の管理もそんな感じで
ロジカルなのでしょうか
わたしには雲の上の存在に見えます。

わたしの場合は、だから自分には向いていない。
という話ではなく、

妻のように天才的ではなくとも
わたしの問題として、
あるお金をどう振り分けていくのか?

という部分は自制心の問題ですから
精神的に未熟だということになる。

ところが、妻は気性や持って生まれた性格も
もちろんありますが短気です。

それだけなら普通の性格の話ですが
腹を立てながらしゃべっていると
どんどん腹が立ってきて
長時間不機嫌に過ごしてしまうことがある。

もう少し手前でそういう自分に気づいて
自分の感情のかじを別な方向に
切ればいいのにとわたしなどは思うのですが
それがなかなかできない。

感情的な部分、特に穏やかさを
自分で保つ工夫をする・・・

こういう部分では圧倒的に
わたしが秀でています。

それが平均以上なもんだから
妻は短気とはいえ、平均的なのに
わたしとの対比で余計に自分でも
そう見えてしまい損している面もあるようです。

さて、わたしと妻はどっちが
「レベルの高い人間」なのでしょう?



どうやら第4期は全25話、残すところ
あと4話となったようです。つまり、
インターハイゴールまではいきません。
また半年で第5期やってくれるかな〜!?

アニメ「弱虫ペダル GLORY LINE」
第21話「リミッター」


を観ました。

インターハイ、2日目のゴール直前。

新開悠人は入部当初の
葦木場とのことを思い出していました。

箱根学園の自転車競技部の中でも
エーススプリンターだった兄、
隼人の存在は大きく、

俺は俺、という気持ちが強かった悠人は
部内で孤立していました。

先輩と衝突し、独自の
生意気な意見を持っている悠人に
葦木場は勝負を持ちかけます。

勝負は葦木場の圧勝、
勝負中の葦木場の言葉とその強さ、
そしてレース後の葦木場の
面倒見の良さから
悠人は葦木場を慕うようになります。

そんな葦木場に山岳賞を取りに行け
と言われ拒んだせいで
葦木場が山岳賞をとるために無理をしました。

悠人はそのことを悔やんでいました。

そのとき、とうとう葦木場が
総北の今泉、京都伏見の御堂筋から
遅れを取り始めます。

悠人も足をゆるめて葦木場と並びます。

しかし、そこで葦木場が明かしたのは…

そしてゴール手前数百メートル。

三校の強烈なスプリント争いの中、
総北の今泉は自分のリミッターを外すため
もがいていました…。



悠人は自分のクライマーとしての実力、
自転車競技の実力に自信があったんですね。

その自身が傲慢さになって
先輩たちを見下していた。

自分より自転車でレベルが低い人を
尊敬できないし、
そういう人たちから学べることも
ないと思っていた。

それだけ自転車のことしか見えてない、
自転車競技の強さのことしか考えていない。

そういう意味では純粋なのかもしれませんが、
まあ、普通は小中学生でもわかります。

視野が狭すぎる。了見が狭すぎる。
人としてのレベルが低過ぎる・・・と。

でもこうやってわたしたちは
自分と他者であったり
他者と他者とを比べて
レベルが高いだの低いだのと
競い合ったり、ランク付けをしたり、
見下したり、へりくだったりしています。

誰よりも誰が上で誰が下なんて
誰かに決める権利があるの?

と、ありがちな道徳的な話が
したいわけではありません。

わたしもよく使う表現で
『ステージが違う』という言い方があります。

人間的、精神的なステージが違う・・・と。

つまり、精神的な成長、成熟度だったり、
情緒的にどれだけ大人か?

ということをでのレベルを観てしまう。
感じてしまうんですね。

そういう意味でのレベルは存在すると
思っています。

でも、その上位下位の基準は
絶対的に私的なんですよね。

そこは忘れちゃいけない。

極端な話ではなく、
生まれたての赤ん坊の無垢さが
究極の精神的な成熟のかたち
だという見方もあります。

そもそもこんなことをあーだこーだと
考えているうちはまだまだひよっこで、
とにかく今、自分のすべてをあるがまま
味わえるようになって本物だという人もいる。

ぜーんぶ、そこに基準が入ってきて
レベルの上下が作られてしまいます。

誰かが誰かより秀でているのは
それが何かによってはそうです。

つまりズズーイっと視点を引いて引いて
神様の視点で観てみると
誰もが誰よりも秀でていて
誰もが誰よりも劣っている。

人を見下すことも、自分を卑下することも
そう考えると、
あまり意味がないとわかりますよね。

ではどういう時に有効なのか?
それはひとえに自分という個人を
昨日の自分より成長させようとするときに
人のことも観察し参考にするため。

わたしは今はそう結論づけています。
現段階のわたしはね。


             全ての物語のために










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2018年05月30日

アニメ「メガロボクス #8 DEADLINE OF THE DREAM」助けてくれる人がいても「やれることはやったかな?」



わたしは仕事を終えて帰宅すると
本当に気が抜けます。

抜けきって抜けきって、
ときどき・・・妻に言わせれば「いっつも」
失敗をやらかしてしまいます。

先日は妻が作ってくれた
味噌汁を温めなおしたら
火を切り忘れて焦がしてしまいました。

その翌日にはカレーを焦がしかけた・・・

息子のことに関しても
気が抜けて約束を忘れたりして
がっかりさせることもたまにあります。

そういうところは抜いちゃダメなところ。

帰ると気を抜ける。
そんな場を家族が作ってくれているというのは
本当にありがたいことです。

でも、それに甘えすぎて
家族のためにやれることをやらないのは
またわたしはイヤなんですね。

本当にやれることをやる。

それは家族が思っているようなこと
期待しているようなことではなくても
せめて自分が思うやれることは
ちゃんとやっておきたい。

甘えることも含めて(笑)



さて、良作が多い中、HDDも限界が近づき
観れそうにない作品は消し始めました。
もっともっと時間が欲しい〜

アニメ「メガロボクス」
第8話「DEADLINE OF THE DREAM」


を観ました。

注目の樹生対ジョーの一戦は
ジョーの不戦敗で終わりました。

樹生がジョーの過去をネタに脅し、
歯向かおうとするジョーを
南部が無理矢理抑え込みました。

ジョーにとっては不本意極まりない不戦敗。

それは南部も同じです。

メガロニア出場の道が断たれてしまい
行き詰まった南部。

藤巻に問い詰められながらも
「まだ終わっちゃいねぇ」と食い下がります。

そんな南部に藤巻は
ある男を引き合わせました。

それは白都のギア開発の内情を知る
元エンジニア。

その男から掴んだ思わぬ情報をもとに
南部は最後の賭けに出るのですが…



南部は賭けに出ますが、
ジョーはサチオたちと橋の下で待っています。

サチオはおっちゃんを信じようぜ
などと言っていますが、
ジョーは脅してきたときの
樹生の目から純粋な勝負への
自信みたいなものも感じていました。

もしも、ジョーと勝負する事になっても
勝つ自信があったのだろうと。

と言うことは、あの時に持ち出した
脅しの材料は最初の手だてで
それを突破されても
構わないという余裕もあったのかもしれません。

そう簡単にはいかないかも・・・

ジョーはそんなの気持ちで
南部を待ちます。

南部は手に入れた情報を武器に
白都と交渉をしていますが
なかなか苦戦しているようです。

観ているほうもジリジリと
もてあそばれる時間ですね。

観ながら思いました。

ジョー!お前は最後のチャンスを
南部のおっさんだけに
任せておいていいのか?

それでダメだったら
「やるだけやった」
って、本当に思えるのか?

って。

さあ、南部やジョーの運命は?
というのは観ていただくとしましょう。

ジョーは南部やサチオたちと
メガロニア出場を目指してきました。

チーム番外地。

彼らがつけたチーム名です。
家族同然で一緒に闘ってきたわけです。

だから、南部のおっさんを信じて待つ・・・
というのもアリです。

でも、この場面では本当にそういえるでしょうか?

やれる人間全員がやれるだけのことをやる。

決して一人に託さないといけない
なんてワケではないですよね。

自分を助けてくれる人がいる。
気をつけて見ていてくれる人がいる。

これはとても心強いです。
独りじゃないこと、心の支え。

独りで闘うのとは別世界のパワーが
宿るのは間違いありません。

でも、助けてくれる人に
全てに置いて身をゆだねていいわけではない。

もちろん自分が出るべきかそうでないか?
それを見極めるのもチーム全員の
苦労を無駄にするかしないかに
関わってきますから、
闇雲に動けば良いってことではありません。

それでも、チーム全体のために

この場合、おっちゃんやサチオたちの
思いに対して、ジョーはただおっちゃんを
待っているだけで
自分にできることをやったって言えるのか?

プロスポーツ選手のようなシビアな
魂を削るようなレベルの話じゃなくてもいいです。

夜寝る前に、明日の準備はできてるかな?
と一瞬頭の中で確認する習慣をもつだけでも、
朝、バタバタして家族に不愛想にせずに
おおらかに接することができたりします。

そういう温度感でいいから、
やれることはやったかな?

と、ちょっとだけ考えてみると
心の余裕がぜんぜん違ってきます。


           全ての物語のために










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2018年05月29日

アニメ「ピアノの森 #7 再会」わが子を見守る親の勇気



テレビのドキュメンタリーなどで
たまに一般の家族が紹介される時、
『厳格な父』みたいな
父親像にピッタリの人が出てきて
わたしの劣等感をくすぐることがあります。

わたしはそういう父親ではないから。

甘い父親。

妻からも言われますが、
周囲からそのように見られている部分は
まあ、多分にあるんだろうなと思います。

でも、くすぐられる劣等感も
少ししかありません。

なぜならそんな揶揄は
真っ向から蹴散らしてやれる気概は
誰にも負けない自信があるから。

こと、息子のことに関して言えば
彼の父親として世界一の自信がある。

オレが甘やかさずに誰が甘やかすんじゃい!

オレぐらい厳しく彼を甘やかす父親は
世界中探してもオレしかいない!!

(笑)代わりはいないので当たり前ですが
そんな自信があるくらい。

厳しく甘やかす?
なんのこっちゃ?

と思うかもしれませんが、
優しく接する、優しく見守るというのは
実は自分自身の強さが試されることです。

厳しい父親…と言われる人たち、
もちろん全員ではないでしょうが
その多くのお父さんたちに
優しい(甘い)父親をやらせようとおもったら
『耐えられない!!』『ガマン出来ない!!』
という人がほとんどだと思います。

わが子の将来を思えばこその厳しさ。

絶対にそうでしょうから、
彼らにとって厳しくしないということは
わが子の将来に無責任になる…

ということになる。

もちろん、わたしも息子の将来を考えて
優しく接しているわけですが
そこにある第一関門の厳しにまず耐えられないはず。

挙句の果てにわたしのような父親が
厳しくしないことの「言いわけだ」などと
逆に責める意見をくれるる人もいます。

勘のいい人は、第一関門の厳しさがわかると
即座にその先にある厳しさにも気づきます。

わたしもそこは怖いです。
覚悟は決めたとはいえ、それは
怖くなくなったということではない。

でも、わが子の人生を信じるって
そういうことなんですよね。

え?意味がわからない?
わからない人は、少し考えて
自分の思考の道筋を
たどっていった方がいいでしょう。



つくづく良作ぞろいのシーズンですね。
2週分まとめて観ることになってしまいました。
「ヒロアカ」「ゴールデンカムイ」などとは
また違うカタチで感性に語りかけてきます。

アニメ「ピアノの森」
第7話「再会」

を観ました。

5年、経ちました。

ザンツブルグに
音楽留学している修平が一時帰国。

仕事で日本にいた父、洋一郎が
空港で出迎えます。

修平は学校の友人から見せられた
ピアノを弾くピエロの動画が
頭から離れなくなり
スランプに陥っていました。

そのピエロの正体は一ノ瀬カイ、
そう確信を持って、
カイに会いに来たのです。

しかし、森に行っても、
昔カイが済んでいた街に行っても
誰も海の居所を教えてくれず
むしろ敵視されます。

なぜかみんなで海を隠している。

なかなか海に合えずに困っていると
洋一郎がある情報を入手してきます。

そして、再開。

修平は改めてカイと向き合い…



マンガ、ちゃんと読みたいですね。
また弟に借りちゃお。

今回の話と、第8話「挑戦状」は
見入ってしまいました。

胸にくるものがあります。


修平の悔しさや無力感。
そして大切な友人でありライバルとの再会。

突如として5年分話が飛んだわりには、
スゥッと胸に入り込んできたし
わたしも作品に引き寄せられていました。

「おピアノをお弾きあそばせてらっしゃる
お金持ちのおりこーさんおぼっちゃん」

みたいな子や、ピアニストとか
バイオリニストとかって、
ドラマなんかの中では
ちょっと嫌みな感じや、お高くとまった感じに
描かれることって多いですよね。

ザマス系

そんな系統があるかは知りませんな
そんな感じ…わかるでしょ?

でも、この作品は、そういうところを
上手に心地よく外していきます。

カイという天才と修正という秀才の
親友でありライバルの物語ですが、

彼らの嫉妬や悔しさも表現されているけど
そこに捕らわれない。

そんなところにいつまでも捕らわれていて
一流になれるはずがそもそもない。

ということでしょう。

でも人間ですから感じながら乗り越えるし
さらにその先での葛藤や苦悩がある。

人の精神のレベルが高いんですね。

前々から思っていましたが、
修平の父、現役の世界的なピアニスト
として活躍している雨宮洋一郎も
そんな精神年齢の高い男のひとりです。

洋一郎は、わが子、修平に
決してエゴを押し付けたりはしません。

それどころか、5年前に一ノ瀬カイの
演奏を息子とともに聞いた洋一郎は
息子の傷を理解し、
「海外へ逃亡」させていました。

向き合うのではなく「逃げる」ことを
手伝っていたんですよね。

凄いことです。

親として、厳しくあらねば!
自分の人生から逃げるな!立ち向かえ!

それだけが正しいと凝り固まっている
お父さん、お母さんたちには
ぜひ、親の視点でこの作品を
じっくりと観てみて欲しいですね。

ドラマなどで描かれる変にお高くとまった
金持ちの音楽家の家なら、
「わたしの名前に泥を塗るな〜!」と
星一徹ばりの厳しさで
立ち向かうことを強要するか、
あるいは「わたくしのスネちゃまがかわいそう」
と間違った過保護に走る母親が描かれるとか…

そういう描かれ方が一般的でしょ?
ありきたりだけど、未だに出てきますよね。

きっとこれからつくられる作品を観ていても
どこかで「あ、また出た」と何度も
遭遇するはずですよ。

でも、リアルに考えてみてどうでしょうか?

洋一郎は甘いのでしょうか?

世界的なピアニストとして活躍し続けている
プロフェッショナルですよ。

感情豊か、情緒豊かでありながら
それらをじっくりしっかり味わえる精神性。

それがなくてピアノの演奏や
オーケストラとの共演なんてできるはずがない。

そして、それだけの精神性があって
わが子を観る時に、そんな安ドラマみたいな
見栄や嫉妬に我を忘れるなんて
低レベルな言動になるはずがないんですよね。

「ルパン三世」で、たまに石川五ェ門が
安い描かれ方をして不満に思うことがあります。

あれだけの修行をしている男が
そんなに安っぽいやずないだろう…と。

それと同じですね。

洋一郎と、阿字野の関係も絶妙だし
コンクールで審査員を務める大人たちも
非情にそのあたりが繊細に描かれています。

そういう大人たちに見守られている
修平たちですから、嫉妬に駆られた
ドロドロの物語には流れて行かないんですね。

たぶん、そういう物語は彼らのところには
たどりつけない、もっと底辺の人たち…

「宅の御子は御月謝数万円の○○センセに
おピアノを習わせてマスのよ、おほほほ」

みたいな、中流家庭のご近所のママさんたちの
見栄の張り合いレベルの物語なのでしょう。

父親の厳しさ、優しさ論議も同じだと思います。

人の心、子どもの心を考えた時、
何でもかんでも
「立ち向かえ!」「逃げるな!」
「強くあれ!」「一度決めたらやり抜け!」
が正しいわけではない。

勇気ある撤退という言葉もある通り、
大口叩いて決めたことでも
やめて、後戻りする勇気だったり、
背を向けて逃げ出す勇気も
必要なことがあります。

みじめさや悔しさと丁寧に向き合う勇気。

怒りや嫉妬で誤魔化さずに
そういう感情とも向き合う勇気も
必要な時があるんですよね。

そのために一旦逃げる…

だから5年後の今、
修平は自らカイと向き合う勇気を持てた。

その先の先の、強さ優しさを育む深さを思えば
洋一郎の在り方は「父親」として
めちゃくちゃカッコイイです。

洋一郎自身の葛藤も含めて。

わが子のための厳しさという安い「厳しさ」
が横行している今の社会が
物凄く安く思えてきますよ。


             全ての物語のために










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2018年05月28日

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期 #46 飯田から緑谷へ」魂の仕事を知る手掛かり



これをやるために生まれてきたんだ!!

そんなものを見つけたい。
そんな感覚を味わいたい。

ず〜っとず〜っと前から…

思い返すと…
思い返してみると…



思い返せば返すほど、
切りなく記憶はさかのぼり…

なんだコレ?

結局、わたしはものごころついた時には
すでにそんな感覚によって動いていたようです。

記憶と言っても頭の記憶じゃなくて
心、気持ち、感情、感覚の記憶ですね。

あなたも思い返してみてください。
静かに独りで、

いつも喧騒にかき消されている
胸のうずきを敏感に捉えて
手繰っていけるような
ひとりの静かな時間をつくって

感覚の記憶を手繰って行ってみてください。

これをやるために生まれてきた!
って喜びを味わいたくて
行動してきた記憶が
切りなく思い出されて
結局、幼い頃の最初の記憶まで
遡って行ってしまうはずです。

きっと…いやたぶん、間違いなく
わたしたちは生まれたときから
そんな衝動に突き動かされて
動いてきたんじゃないでしょうか?

日々の喧騒の中で忘れがちなこと。

今、改めて、自分にとっての
コレをするために生まれてきた!
という「コレ」がなんなのか?

問い直してみて、確かめてみても
良いのではないでしょうか?



やっぱりずば抜け過ぎていて、
他の作品群も良作揃いなのに、
それらをくすませてしまうほど
罪作りな面白さ、

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期」
第46話「飯田から緑谷へ」


を観ました。

勝っちゃん救出に手が届くかもしれない…

切島と轟に爆豪救出に誘われた出久くん。

本来は大人たち・ヒーローたちに
任せるべきことで、
子どもたちが出るべき時ではない。

飯田を筆頭に、梅雨ちゃんらも
そう言って切島、轟の蛮行を
止めようとします。

出久くんの診察の時間となり
部屋を出て行く1-Aの面々。

切島は出久くんに「もし行くなら…」
と決行の時間と待ち合わせ場所を
伝えます。

診察で医師は出久くんに
怪我の状況を告げました。

あと、2-3度同じようなケガをすると
一生腕を使えない生活になる…と。

待ち合せ時…
切島、轟が待っていると
八百万と出久くんが病院を抜け出して来ます。

そして、飯田も…

飯田は3人に、
かつて兄の仇討ちのため暴走した自分を重ね、
厳しい言葉をぶつけます。

切島は戦闘なしの隠密行動だといい、
結果、飯田と八百万もブレーキ役として
同行することになり…。

一方、ヴィラン連合のアジトでは
拘束された爆豪が死柄木に
仲間になるよう誘われていて…



エンディングの音楽と映像が
10代の高校生たちのさわやかな夏
という感じでとても雰囲気がいいですが

1クール目のクライマックスに向けて
物語の雰囲気がだいぶ
苦しくなってきましたね…

シリアスな状況に…

飯田くんが激するのは
第二期で描かれたステインとの戦いが
原因ですね。

兄のかたき討ち…
私怨で暴走した彼を察知して
助けたのが出久くんと轟でした。

だからこそ、自分の思いだけで
ルールを破ることで周囲にかける迷惑を
誰よりも重く受け止めたのが飯田くんです。

難しくて、面白いのはここからです。

これで轟と出久くんが動いたら
その行為、そして罪は
あの時の飯田くんと変わりません。

でもひとつ違うのは飯田くんは
私怨、復習、仕返しでした。

出久くんは飯田くんに言いましたね。
「助けたいって思っちゃうんだ」

考えて観れば、飯田くんが暴走したときも
出久くんが加担したのは飯田くんを
助けるためでした。

出久くんは今回、お医者さんに
粉砕骨折の余りのひどさに
今後の腕についての注意を受けますが
その酷いけがをした戦い…

マスキュラーとの戦いも、
洸汰くんを助けるための戦いでした。

「助けたいって思っちゃう」

考えるより先に体が動いていた…

オールマイトの言葉もオーバーラップします。

どうしてもそうしたいと思っちゃう。
コレだけはどうしてもやってしまう。
コレだけはどうしてもやめられない。

わたしにとっては、それは
「物語に触れること」
です。

映画、ドラマ、マンガ、小説、
媒体は何でもいい。

昼ごはん代を浮かせてでも
寝る時間を削ってでも
とにかくその時間はつくってしまう。

妻と息子が外出しているとき
いつもより早く起きてしまった時、
電車、待ち合せの待ち時間、
ウンコ中…

スキあらば録画を再生したり
DVD・ブルーレイを再生したり
レイトショーをチェックしたり
鞄から文庫本を取りだしたり…

そして、そこから感じることを
誰かの役にも立てたい。

自分がそうだったように、
人の人生がより良い方向へ向かうように、
誰かの物語の一端を担えれば…

物語が紡ぐ広い意味での感動が
リアルに生きる人の人生という物語に
プラスの影響を及ぼす場に立ち会いたい。

そういう衝動があるんですね。

これは、何年も何十年も
自分の行動と感情と向き合って
削ぎ落して削ぎ落して、
削り出して見えてきた思いです。

だいぶ結晶に近づいてきています。

この思いをどんな行動につなげれば
「これをやるために生まれてきたんだ!」
という感覚を味わえるのか?

これから息子の体育祭ですが
小説の文庫本が入ったカバンを肩に下げ
観戦に行ってきます。

あなたの「〜したいって思っちゃうんだ」
は何ですか?


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2018年05月27日

アニメ「ゴールデンカムイ #7 錯綜」誰もが毎日過ごす至福の一瞬



サラリーマンではありますが、
月〜金出社、土日休みという
一般的な生活ではありません。

職場は年中無休ですから
わたしたちもシフト制。

土日祝日に仕事をするなんて当たり前。

曜日の感覚も麻痺仕掛けますが、
土日の朝は電車がガラガラです。

いつもはラッシュ時でごった返しているのに
同じ時間に街を歩いても
明け方まで飲んでいた酔っ払いの
若者たちとすれ違う程度。

そんな中で久し振りに
コンビニで野菜ジュースと
チョコチップメロンパンを買って
会社の休憩室で朝食をとりました。

1食200円なり。

マックのソーセージマフィンコンビと
同じ金額です。

しかしこの久しぶりの野菜ジュースが
身体に染み入るように効くんですね。

びっくり。

やばい、いままでもかなり摂生してきたはずですが
摂生しすぎて医者からコレステロールが
不足気味の警告を頂戴しているこの身体が
今、欲しているんだということが
ダイレクトにリアルに理解できました。

こんなに野菜ジュースを飲むこと
そのものを集中して行ったことは
初めてでした。



今シーズンのドラマ・アニメの中で、
トップが「ヒロアカ」
そして、2位がこれです。

アニメ「ゴールデンカムイ」
第7話「錯綜」


を観ました。

雪山の中で戦う杉元と二瓶。

谷垣にアシㇼパを人質に取られ、
杉元と白石は動けなくなります。

白石の縄抜けで
なんとか逃げ出して、
谷垣とアシㇼパを追う2人。

その頃、谷垣は狩猟用の罠で
重傷を負います。

すかさず毒矢が刺さった周囲の肉をえぐり
応急措置を施すアシㇼパ。

二瓶は、谷垣を置いて
アシㇼパを使いレタラを
おびきだそうと考えます。

思惑通りに姿を表すレタラ。

猟銃を構えレタラに挑む二瓶。

しかし二瓶は自分の誤算に
気づくのでした・・・。

その後、重傷の谷垣を連れて
アシㇼパの村に戻った杉元たちは、
村に残された言い伝えから、
埋蔵金が自分たちの想像を
遥かに超えた量だと知ることになります。

谷垣が鶴見中尉から聞いた話によると
その量は2万貫。

さっそく金塊の情報集めに
小樽の町に繰り出した白石は
土方一味の牛山と遭遇し・・・



Youtubeで観れる日本のアニメの海外の反応でも
「僕のヒーローアカデミア」とこの
「ゴールデンカムイ」が2トップだという声が
高いですね。

どうやら彼らもほぼ日本での放送と
同日には英語字幕付きで観れているようで
放送から3〜4日で彼らの反応が楽しめます。

怒ったり笑ったり、時に泣いたり。

そんな海外の人の反応を見ながら
わたしも一緒に作品を楽しんでいるような
錯覚に陥っています。

(笑)おかしいですね。

そして、この「ゴールデンカムイ」を観ている
“仲間”(笑)である彼らが
共通して気に入っているのが
食事のシーン。

ほぼ毎回出てきます。

それが毎回実においしそうなんですね〜

アシㇼパも杉元も、今は白石も
一緒になってこの食事を楽しむ。

この楽しみ具合もとてもいいんですよね。
本当に美味しそうに、そして
幸せそうに食事をしますから。

そして時々、アイヌの思想みたいなものも
食事を通じて語られることがあります。

海外の人たちも「興味深い」と
食い入るように観ていますが
わたしたちにとっても
学ぶべきことが非常に多い。

今、放送されているTBS日曜劇場
ドラマ「ブラックペアン」の原作
小説「ブラックペアン1988」には
現在のところ2作の続編があります。

その一つ「ブレイズメス1990」を
今読み返しているのですが
渡海誠一郎とはまた別の“手術職人”
天城雪彦という強烈なキャラクターが
登場します。

その天城も「食事は人生最大の楽しみ」
だと言っています。

楽しみ・・・というと、なんだか贅沢な
モノの言い方のようでもあります。

でも生きることが喜びなのであれば
食すという行為は生命と直結している
至福のときであっておかしいはずがありません。

これまで、「お金がないから」と
あまり食事に対して無反応な自分がいましたが
節約、摂生はしながらも
身体ごと魂を喜ばせるために
食事のことを考えるのは
健康も基礎だなと反省しています。

なにを食べるかということもそうですが
食べている行為そのもの
その瞬間をどれだけ楽しめるか
どれだけその時をのものを
味わえるか・・・

という意味で。


           全ての物語のために









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