2017年05月02日

アニメ「終物語 そだちリドル #2」察しないわたし、世界の中心で「説明してください!」と叫びたくもなる



書店によく行くわたしは
「察しない男 説明しない女」という
ベストセラーにも非常に興味があります。

でもこの本に手を出せていない理由が
今回少し客観的に観れてきました。
腹まで落としこめず
小骨として引っかかっているから
なのでしょう。

でも、このような本がベストセラーに
なるということは
一般的に女性から観て
男性とはなかなか察しないモノだと
思われているのだということは理解しています。

自分がそんな男の典型なのだなとも
以前から意識はしていました。

説明しない女・・・という部分には
男としてとても共感しますから(笑)

でも、今以上に察せない自分が悪いのか?
それは悪いことなのか?
それを悪いと決めるのはオレ自身だろ?

それはオレの課題だ。
そして周囲がそれに対してどう思うかは
オレの課題じゃなくて周囲の人の課題だ。

…って、飲み込めないでいる自分がいる。
でも気になっているのも確か。
だから小骨としてひっかかっている。


DVDでまとめてみるより、HD画質で
週に1話ずつじっくり観ると
1話の濃さというか深みがより感じ取れる
怪作で秀作で傑作のシリーズの一篇

アニメ「終物語」
「そだちリドル」第2話


を観ました。

老倉育のことを思い出すために
阿良々木くんは忍野扇と一緒に
ある廃墟を訪れていました。

中学1年の期末テストの成績により
焦っていたまだ少年のように
まっすぐで純粋だった頃の彼は、
その年の夏休みに毎日、
この廃墟を訪れていたのです。

名前も聞かないと約束させられた
少女と一緒に数学の勉強をするために。

その夏の思い出を阿良々木くんから聞いた
扇は、探偵よろしく真実にたどり着きます。

その少女が老倉育であったこと
そして老倉がなぜ、何を求めて、
そんな行動をとっていたのか・・・に。

しかし翌日、友人の羽川翼に
そのことを話すと・・・。



阿良々木くんは老倉育と高校1年で
同じクラスになったときが
初対面だと思っていました。

「自分が何でできているかを知らないヤツが嫌い」

復学した老倉が阿良々木くんを
罵ったときの言葉です。

廃墟でのひと夏を思い出した阿良々木くんは
自分が得意な数学に救われていること
そして数学を好きで居続けられたのは
老倉のおかげだったことを思い知ります。

ボクは老倉によってできていた・・・

でも、阿良々木くんにも
言い分はありました。

あの夏、少女老倉は数学を教えること
意外は詮索をさせなかったし
挨拶もなく突然いなくなりました。
高校で再会したときも、なぜ、
自分から名乗り出てくれなかったんだ?
などなど

そんなことを言う阿良々木くんに
扇はいいます。

なぜ老倉先輩が自分から言い出せなかったのか?
阿良々木先輩はそれを考えるべきなのでしょうと。

実はここ、このシリーズで
わたしがもっとも飲み込めないでいる箇所
なんですね。

わたしは現時点で刊行されている
原作小説の最新刊「結物語」以外は
全て読破しています。

ですから老倉の行動にも合点はいっています。

扇が言うように、そこは
阿良々木くんも察してあげなきゃ

・・・とも思っています。
わかっているのですが、この察してあげる
という部分がどうしても
魚の小骨のようにのどにひっかかるんです。

なぜでしょう。

それはわたしが苦手なことだから?
正確にはわたしが自分で苦手だと
感じているからでしょう。

実際に察しが悪いことで、
多くの人、特に女性・・・とくに妻に
不満な思いをさせてきたことは
数え切れないほどあります。

でも、わたしは客観的にみれば
そんなに言うほど察しが悪いほうでは
ないはずなのです。

ただ、阿良々木くんのように
「なんで自分から言わないんだ?
説明してくれたらわかるのに」
とは思ってしまう。

なんなら、「嫌われる勇気」よろしく
言わないという決断、察してという思いも
勝手に相手がしていることで
それよって相手がどのような気分になるかも
相手の課題であってわたしの課題ではない。

と本気で思っています。

だから、阿良々木くんは優しいなと関心します。
高校生でここまで自分を改善できる。
とても大人です。

わたしも人に学んで欲しい、成長して欲しい
と思うことはたくさんあります。

でも、馬を水辺に連れて行くことはできても
水を飲ませることはできない。
水を飲むかどうかはその馬の課題。

と言われるように、相手が自ら学びたいと
思わない限り無理に押しつけても
横暴なだけ・・・

そう思っています。

察しないわたしが、
「察しない男 説明しない女」を
気になって買わないでいること。

「終物語」のこの部分が
どうしてものどにひっかかって飲み込めないこと。

それは、わたし自身が察するということについて
水辺にたたされている状態・・・

だということなのでしょう。

さて、わたしはどうするのか・・・?


         全ての物語のために


















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする