2017年04月09日

「青天の霹靂」本物の花のふりしていきてみない?



本物と偽物は、どちらが価値があるか?

ある者は、断然本物だろうという。

ある者は、等価値だという。

そしてあるものは、偽物のほうだとう。



本物に価値があるというのはわかりますよね。
当たり前ですから。

その他の二人の意見はどういうことなのでしょうか?

そこには、偽物が本物になろうとしている…

という前提があります。

本物のフリをしている。
まだ本物ではないけれど本物になろうとしている。

その気持ちがある以上、価値は等しいという二人目。

そして、本物はもともと本物であり、
本物になろうなんてする必要もない。

だからそこには心意気がない。

ならば、本物になろうとする想いを持っている方が
断然価値がある…という考え方が三人目。

わたしはこの二人目と三人目の考え方が大好きです。

二人ともロマンチストですよね。

アニメやライトノベルが好きな人は、
これがどんな作品のキャラクターたちがいっていることか
もうピンときているでしょう。

西尾維新さん原作の「物語シリーズ」に出てくる
三人の怪異の専門家で大学の同期、
影縫余弦、忍野メメ、貝木泥舟
の三人です。



自分なりに精一杯咲こうとしていて凄くきれい)
劇団ひとりさんの最初の小説「陰日向に咲く」は
とても話題になりベストセラーになりました。
わたしも購入して拝読しました。
上手いな〜と嫉妬。映画もよかった。
この作品は小説は読んでいないのですが
BSプレミアムでの放送を録画しました。

「晴天の霹靂」

を観ました。

浅草の場末のマジックバーで働く、
さえないマジシャンの轟晴夫(大泉洋)。

後輩マジシャンがテレビで話題になるのを
後目に自分は安アパート暮らし。
その安アパートも水道管の破裂で
部屋中水浸しになり住めなくなります。

晴夫はラブホテルの清掃をしていた
父親に育てられました。
母親は晴夫を生んですぐ、
父の浮気が原因で家を出ていったのだとか・・・

そんな家庭に育った自分、
だから自分は惨めな人生なんだ・・・

惨めな自分の暮らしぶりにため息ばかりの
晴夫がアパートに住めなくなり
公園でホットドックを食べようとしていると
警察から電話がかかってきます。

10年以上も関係を絶っていた父親、
正太郎(劇団ひとり)が
ホームレスになった果てに死亡したとのこと。

警察で父の遺骨を受け取り、その帰りに
父が住んでいた橋の下の
ダンボールハウスを訪れる晴夫。

父が大切にしていた赤子の自分を抱いている
父の写真を見つけます。

なんで、自分だけこんなに惨めなのに
生きてるんだよ!

そう泣き叫んだとき晴れ渡る青空から
稲妻が彼を直撃します。

晴夫が目をさますと、昭和48年。
どうせ帰るとこもないと驚きつつも
ふてくされていると、晴夫の手遊びマジックを
観ていた少年に浅草ホールを紹介され
舞台に出ることに。

なんと晴夫は行方をくらました正太郎の
代役として舞台に立っていたのでした。

やがて晴夫は出会った女性(柴咲コウ)が
自分の母だと知り・・・



タイムスリップして若き日の父と母に会う。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
みたいな感じで始まりますが
お話じたいは全く違います。

シンプルでしたが心が熱くなる感動の物語。

母が正太郎にプレゼントされた紙製の
バラの花を手に言います。

「地味で味気ないけど頑張って本物の花のふりして・・・」

晴夫がまるで自分のことを
言われているようだというとさらに
こう付け加えます。

「自分なりに精一杯咲こうとしていて凄くきれい」

頑張って背伸びをしてフリをする・・・

わたしがとてもロマンを感じるところです。

子供の頃、超合金のロボットのおもちゃを
持っている友達がうらやましかった。

でも、ねだって勝手もらえるものでは
ありませんでした。

当時でも数千円するようなおもちゃです。

わたしは100円のお小遣いを貯めて
300円のガンプラをよく買いました。

軽くてスカスカだけど、超合金よりも
完成したときのフォルムがスマートで
本物を模している。

自分で組み立てて、だんだん本物っぽく
なっていくプラモデルに夢中になりました。

マジシャンにあこがれて手品の道具を
紙工作で作ったり、
田宮模型のラジコンキットが欲しくて
たまらないときも、お小遣いを貯めている間、
工作用紙を使って、欲しいラジコンバギーの
ペーパークラフトを自分で設計して
展開図を手書きで書いて、組み立てました。
小学校で提出したときの先生の反応は
今でも嬉しく、誇らしく思い出します。

とにかく本物になろうとするその心意気が好き
…なんですね。

だからロマンを感じる。

じゃあ、そのロマンを感じるという熱い感情は
どこから来るのか?

それはきっと、自分の中にある
本物になろうとする魂なのではないでしょうか?

憧れがあって、自分もそうなりたいと思う気持ちが
きっと心の奥底のどこかにある。

その気持ちを上手く引き出すことができれば
夢や目標に向かっていく大きな力になりますよね。

逆に、ニセモノをバカにしていて興味がない…
という人はどうか?

すでに本物である可能性が高い。
けれども注意が必要ですよね。

本物は本物であり、また当人も本物たらんと
自分にも厳しいかもしれない。

しかし、はじめから本物だったら本物になろうと
努力する人をひねりつぶして
可能性を摘んでしまうかもしれない。

あるいは、苦労して本物に成長したは良いけど、
自分が本物になっておごってしまったせいで
ニセモノ以下の酷い存在になってしまう。

本物には、ぜひ本物になろうとするニセモノが
本物になろうとすることを見守っていて欲しい。

そしてニセモノたちには、誰もが本物になるタネを持ち
生まれてきただけで、その芽を息吹かせているんだと
確信を持って力強く生きて欲しいと思います。

親になれば、この気持ちは強烈に実感になります。


               全ての物語のために






















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする