2017年04月26日

「ゴースト・イン・ザ・シェル 甲殻機動隊2.0」あなたはあなた自身を実感できていますか?



自分はなんのために生きているんだろう。

自分はどこからきて、どこへいくのかな。

思春期にはそういうことを
いっぱい考えて
悩んで苦しんで大人になっていきます。

大人になると、そんなことよりも
目の前の現実を生きていくことで
精一杯になる。

前向きにとらえるなら、今この瞬間を
大切に生きるようになる。

それこそが、わたしたちに与えられた
為すべきことといっても良いのですから。

でもそれでも、寂しさを拭えない。

だから人は恋をしてパートナーを見つけ
子を産み家族を築く。

多くの親が経験する、わが子が生まれたときの
世界が違って見える感覚。

それは、あの何のために生まれてきたのか?
の問いの答えをひとつ
大きな実感として手にした瞬間だから
なのかもしれません。



ハリウッドから日本へ逆輸入ということで
話題の実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」
予告編を観ていると、とても観たくてもう
たまらないのですが残念ながら我慢です。
来月も再来月も夏も秋も、息子と約束している
作品が公開されるので約束優先。
その代わりこの映画のもとになっている
日本のアニメーション映画
「ゴースト・イン・ザ・シェル甲殻機動隊」
を監督の押井守さんがバージョンアップさせた、

「ゴースト・イン・ザ・シェル甲殻機動隊2.0」

という作品を観ました。

西暦2029年。
高度な情報化社会で凶悪化する
コンピューター犯罪や
サイバーテロに対抗するため、
政府は非公認の超法規特殊部隊公安9課、
通称“攻殻機動隊”という組織していました。

ある日、国際手配中のハッカーでテロリストの
“人形使い”が現われたと情報が入り、
隊長の草薙素子を筆頭に
攻殻機動隊が追跡を開始します。

電脳の世界で素子は
ほとんどサイボーグ化されている
自分の存在について迷っていました。

その迷いの中で、人形使いと
接触した素子は・・・



草薙素子は脳の一部がオリジナルなだけで
そのほかは擬体と呼ばれるサイボーグです。

9課の中には完全に
電脳化している者もいる模様。

そして記憶とは別に、ゴーストと呼ばれるモノ、
恐らくそれが魂に当たると思われますが、
存在する。

どうやらゴーストがあるかどうかが
人間とマシンを分けているようです。

そしてそのゴーストもまた
劣化こそすれデータとしてコピーできし
ハッキングもできる。

電脳化されている人たちは
後頭部にプラグを刺せるようになっていて
ネットや電子機器とも
脳を直結させることができる。

この映画を観てインスピレーションを
刺激されたウォシャウスキー兄弟が
「マトリックス」を作った訳ですね。

「2.0」ではない1995年のオリジナル版では
オープニングのスタッフの名前の出方から
「マトリックス」への影響の大きさを
感じられます。



ハリウッド版は予想通り一般受けしやすいように
よりシンプルでわかりやすい話に
仕上がっているようです。

確かに90分弱で、ネット、人工知能、人、
記憶、魂、生命などを全部結びつけて
哲学しちゃった深い深いこの作品を
そのまま実写化しても一般の洋画ファンの
ハートは掴めないでしょう。

それにしても公開から22年たった今観ても
日本のアニメーションがどれだけ
進んでいるのかと思い知らされる作品でした。


人形使いと呼ばれる相手が
自分のことを電脳の海で発生した生命体だと
表現するシーンがあります。

最近でこそAI、人工知能についての問題が
やっと一般的に取り上げられるように
なってきています。

そしてそこに心が生まれるかどうか?
感情が生まれるかどうか?

そういうことが考えられていますよね。

じゃあ、心があるなら魂は?
命ってなんなんだ?

って思います。

そこまで、いやそれ以上に色々と踏み込んで
いるのがこの作品のすごさですね。

ロボットの記憶媒体だろうが
その中のソフトウェアだろうが
インターネットと言う世界に流れている
データであろうが、
自分で考え自己を認識しだしたときから
それは生命たりうるのか?

そんな深いことを観客に投げかけながら
この人形使いはとても原始的な目的を
もっていたことがわかってきます。

いくら自然発生し、自己を認識して
成長していくことができても、
交配しコピーではない子孫を残せなければ
生命とは言えない。

自分が生命体として完結するための
交尾の相手探し・・・

人間にとっては自分たちの生命を脅かす
驚異のテロリストに見えているでしょうが
考えてみたら人形使いにしてみたら
それこそ、必死ですよね。

自分がまだ同じ種がこの世にいない
最初の種として自然と誕生することを
想像してみてください。

気がついたら自分というものがここにいる。
でもひとりぼっち。
そのまま死んでいけば、本当に何のために
生まれてきたのか、全くの無意味です。

世界のどこかに同じ種はいないのか?
探し回る。必死で探し求める。

生きているものとして当然の行い。

同種の生命体のなかに生きている
わたしたちにもこの感覚は
共感できるものがあるはずです。

とくに今まさに、恋人やパートナーがいなくて
愛し愛される相手を求めている人なら。

それを考えると、わたしたちが
子を産み育てていくことの重みも
自然と想像できますよね。

人類を支えるわたしたちの根元にあるもの。

この作品は答えを出しません。

投げかけです。

ハリウッド版の主役、素子に当たる「隊長」
を演じた女優のスカーレット・ヨハンソンは
この作品のテーマを知って
本当に実写かできるのか?
と疑ったそうです。

実写版はある程度、限定されて、
縮小されたテーマで結論めいたことも
もしかしたらだされるのかもしれません。

それはスケールダウンという批判も
受けるかもしれませんが、
わたしたちが生きていく中で
定めなければならない方向性や
方向性の決め方を示すもの、
少なくともその手がかりにはなるもの
であって欲しいなと思っています。

う〜ん。実写版観たい!


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2017年04月25日

アニメ「終物語 そだちリドル #1」わかろうとするからわかってあげられなくて相手も自分も苦しむ



わたしもわかってあげたくても
わかってあげられない人がいます。

それってものすごく辛い。

辛いというか寂しいです。

でもわかろうともしてくれないこと
興味すらももたれないことの寂しさは
知っているから、
せめて自分の大切な人にはそういう思いは
させたくない。

せめて自分の大事な人が自分を相手に
そんな風に思って欲しくはない。

だからわたしはわかってあげられなくても
相手のことを聴こうとします。

聴いてもわからないこともあるけれど
時間がかかっても聴こうとします。

じゃあ、わかろうとしているのか?

わかろうとはしていますが、
それに捕らわれないように自分を戒めてもいます。


DVDなどのソフト版とは放送版の映像が
若干違うのでしょうか?
印象的なのに記憶にないカットが
よく出てくる気がします。


アニメ「終物語」
「そだちリドル」 第1話


を観ました。

忍野扇と不思議な教室に閉じ込められて
1年生の頃の教室での出来事を
思い出した阿良々木くん。

今度は、扇ちゃんと一緒に
自分が卒業した中学校に来ていました。

不思議な教室での謎解きの翌朝、
阿良々木くんが登校すると、
待ちかまえていた委員長、
羽川翼に廊下で止められます。

阿良々木くんとよい仲ではなかった老倉育。

休学していた彼女が登校してきているとのこと。

心配する羽川を安心感させて職員室へ
送り出し、ひとり教室へ入る阿良々木くん。

老倉は阿良々木くんの席に座っていました。

「私はお前が嫌いだ」
「私が嫌いなのは、幸せの理由を知らない奴。
自分がどうして幸せなのか、
考えようともしない奴」
「自力で沸騰したと思っている水が嫌い」
「自然に巡ってくると思っている季節が嫌い」
「自ら昇ってきたと思ってる太陽が嫌い」
「人は誰かに助けてもらわなきゃ幸せになれない。
そんなこともわからない馬鹿が、
嫌いで嫌いで死にそうだ」
「お前は何も覚えていないのよ、 阿良々木。
自分が何でできているかを知らないの」

そう執拗に絡んできた彼女が発した言葉に
中学校の下駄箱の話が出てきたのです。

その言葉を手がかりに、母校を訪れたのでした。

すると扇ちゃんが開けた“誰か”の下駄箱から
阿良々木くん宛ての3通の手紙が出てきます。

それをみた阿良々木くんは・・・。



「訳の分からない理由でこちらを嫌い、
攻撃してくる輩が1番怖い。
相手の目的が分からないから対処の仕様がない。
闘うためにはまず、相手の正義を知ることだという。
老倉育が何を正しいと思い、
何を正義だと信じているのか。
それを探るための、これは旅路でもある」

阿良々木くんの言葉です。

相手が何を正しいと思っているのか・・・

そうか相手を知るというのは
相手の正義を知るということでもあるんですね。

そう考えた方がポイントが定まって
むしろわかりやすいかも・・・

ひとつ大きく役立ちそうな視点に
気づかせていただきました。

ゲームで旅の途中に大切なアイテムを
ひとつゲットしたような気分です。

わたしが相手のことを聴くときに
自分に戒めていることは、
わかろうとし過ぎないことです。

わかるかわからないかに、
執着し過ぎない。

と言ったほうが伝わりやすいかな?

ここで言うわかるというのは
相手が何をどう観るかをその視点の
基準になっている感情まで掘り下げて理解し、
同じように感じられるか?

と言う意味です。

そこまでわかることができたら
もちろん理想でしょう。

でも、全く違う人生を生きている他者のそれを
そこまで理解し合うなんてできることでは
ありませんよね。

なのにそこまでわかろうとしてしまうから
わかってあげられなくて自分も苦しむ。

自分が苦しめる人はまだ優しくて
「意味がわからない!」
「なんでそんなことで!」
と逆ギレしちゃうひともいる。

だから、わかろうとし過ぎないということが
鍵になってくると思っているんです。

わたしが大切にしている在り方は、
知ろうとすること。

ああ、そういう考えなのか?
(そういう考えで、なぜそう感じるかは
よくわからないけれど)
あなたはそういう考えで、
それをそう感じているんだね。

ということを知る。知ってあげる。
わからなくても良いから
その事実を認めてあげる。

わからないと言ってしまうと否定になります。
でも、わからなくても知ったわけですから、
否定せずそうなんだね、
と受け止めてあげればいい。

知ってあげて、
知ったことを受け止めることができたら、
時間をかけてでもいつかわかる時が
くるかもしれません。

実際に「なるほど」と、あとになって
わかってあげられることも多いものです。

でも、「なんでそう考えるの!?」
「こう考えればいいじゃない!」と
押しつけてしまうと、否定して、
答えまで決めてしまっているから
その先の理解への可能性が閉ざされますよね。

相手をわかろうとするのはいい。
でもわかろうとし過ぎない。
知ることが大事。

わたしが気をつけていることです。

相手が何を正しいと思っているのか?
という基準もひとつ、
参考にしてみようと思います。


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2017年04月24日

ドラマ「小さな巨人 #1」金を払う方もサービスをする方もエラくなる視点




いろいろな仕事をしてきました。
いまでもいろいろな仕事をしています。

仕事には誇りをもって取り組んでいます。

でも自分がどこかの勤め人として働いている時、
残念ながらその組織の一員だと
胸を張って言えない気分のときもあります。

雇ってもらってなにを生意気な!

という意見も出るでしょうが、残念ながら
雇い主とは関係なく、一緒に雇われている
人たちで織りなされている組織の問題で
そういう気分になることがある。

お客さんに対して組織の恥をさらしたな…

という瞬間です。

人為的なミスなどはどうしてもあります。

ミスではないにしろ新人や後輩たちのいたらなさ、
自分自身の配慮の浅さなどから、
お客さんをガッカリさせることもある。

そういうのは良いんです。誠意を持って対応すれば。

ただ、問題はそのひとりのいたらなさを会社全体が
ひとつ組織として受け止めようとしているかどうか?

結局それも組織を織りなす
ひとりひとりの在り方次第になってくるわけですよね…

もっと広い視野で言えば、集団を織りなす
ひとりひとりの在り方。



さて、今シーズンの目玉のもう一つ。
一週遅れですが、

ドラマ「小さな巨人」
第1話


を観ました。

警視庁捜査一課強行班1係長、
香坂(長谷川博己)は、今年三度目の
捜査本部事件を解決する活躍をみせます。

その祝勝会と称して、前捜査一課長で現在は
所轄の署長をしている三笠(春風亭昇太)と
料亭で会食していた香坂。

そこへ現捜査一課長の小野田(香川照之)が現れます。

三笠と小野田は優秀な部下の香坂を
評価しているという共通点はあるのですが、
エリートとたたきあげという相反する経歴から
捜査理論も全く違い腹の底ではいがみあっている様子。

会食を終えた香坂は、料亭の前で
中小企業の社長・中田隆一の飲酒運転を疑い
職務質問をします。

振り払った中田は自分の車を傷つけるのですが
翌朝、大手ニュースサイトでは
“飲酒状態の刑事、車を破損”と記事が掲載されます。

香坂は警察官による不正を調査する監察官、
柳沢(手塚とおる)に呼び出され、
宴席の直後で飲酒をしていたのかと問い詰められます。

香坂が黙秘を続けていると、
直属の上司である小野田が呼び出されます。

小野田に日本酒を飲んだことを打ち明けられ、
警察の名誉を傷付けたとして
所轄への異動を命じられてしまう香坂。

香坂が所轄にやってくると、
日本経済のトップに立つIT企業ゴーンバンク社の社長、
中田和正(桂文枝)が誘拐される事件が発生。

誘拐犯は身代金を要求していました。

捜査一課の時のやり方で捜査をしようとする香坂。

しかし、これまで部下だった警視庁捜査一課長付
運転担当・山田(岡田将生)に
「所轄は後方支援。現場は本庁に任せてください」
邪険に扱われます。

香坂のもとに残されたのは、問題だらけの所轄刑事のみ。
捜査一課に返り咲くことを目指す香坂は…



相変わらずしっかりと創り込まれていて
安定感のあるTBS日曜劇場ですね。

「IQ246」「A LIFE」に続いてガッチリとした感じの
映像に仕上がっていました。

主演は「鈴木先生」からカッコイイな〜と
羨ましく思っていたスマートな長谷川博己さん
そして日曜劇場常連の香川照之さんの
出演も嬉しいところです。

最後の香坂の覚悟を小野田が問うシーンは
同局の大ヒットスペシャルドラマ「リーダーズ」
へのオマージュでしょうか?

香川照之さんが目を見て覚悟を問われる側から
覚悟を問う側になっていましたね。

見応えがあるドラマになりそうです。

なぜでしょうか?観ていて熱くなりますね。

わたし自身は組織論からは遠い世界で
自由に生きたい人間なのですが、
まだまだ組織の中にいる。

もちろん組織だからこそ出来る大きなことを
やっている。大きな仕事を支えている、
誇りを持って取り組める仕事なのですがはやり、
組織は誕生した時から死に始めるのでしょうか?

いろいろな、それはそれはバカバカしい壁が
存在しますよね。

その中の一つが組織特有の文化です。

起業文化という言い方はありますが、
その前に巨大組織の場合は部署ごとの文化がある。

ある程度のそ気になると”セクショナリズム”
という言葉にぶち当たるでしょう。

部署部署で壁がある。雰囲気が全然違います。

でも、お客さんにとっては部署なんて関係ない。
サービスを受けている会社との関係なので
社内での責任のなすりつけ合いを見せられたって…

って思いますよね。

自分が消費者側にいるときはよく分かるのに、
なぜか毎日仕事をしているサラリーマンとしては
お客さんに対して同じことをしてしまっている。

部署ごとの壁なんて、会社ひとつと考えれば
小さな世界ですよね?
起業文化、つまり会社全体として考えた場合も
一歩外の世界に出てみれば小さな世界です。

自分は外の会社の人たちとやり取りがあるから…

なんて思っていても、結局は同じような業界。

その業界を飛び出せば全く違う世界が広がっている。

そういう視点を持っていないと、自分たちの組織や
チームをひとつのものとして、お客さんからどう見えるか?
という視点もなかなか持てません。

でも、すこし考えをずらしてみると、
自分たち…つまり組織を織りなすひとりひとりは、
責任のなすりつけ合いをしようとしているわけでも
責任逃れをしようとしているわけでもない。
目の前の出来ごとに、会社として精いっぱい対応
しようとしているのに、お客さんからはバラバラに
見えていることもあると思います。

なぜならみんなそれぞれ持っている正しさが違うから
同じ方向を目指していてもやり方やアプローチが
違ったりする。

それでも全部誠意だったりする。

自分が客としてサービスを受ける時は
ついついそういう視点が抜けがちです。

こんどは業者対顧客という壁ができる。

当たり前ですが、当たり前に捉えすぎていると
”幸せ力”としては損をすることがあります。

みんな一生懸命やっている。
それぞれの誠意を持って、正義をもって。

そして、自分が歳を取れば取るほど、
企業で働いている人たちがどんどん歳下の人たちに
なっていくわけです。
育とうとしている、ある意味では未熟な人たち
ばかりに見えることもある。

でも、かれらは自分たちが世界に生み出した
希望であるはずです。

別企業だとか、別部署だとか、そんな見苦しさと
業者と客の区別も等しく見苦しい。
等しく恥ずかしい。

そして、そんな組織、集団を織りなすのは
ひとりひとりの人間。

だからわたしは基本的には外でサービスを受ける時も
ワァワァ声を荒げて文句を言うことはありません。

もちろん買ったものが壊れていたら
取り換えてもらったり、
お釣りが間違えていたら正しい金額を指摘したりしますが
”怒り”はしない。

その人がその商品を手わたし計算しわたしのモノになる
手助けをしてくれたことには変わりは無いから。

つまり、世界を一つの大きなかたまりとして捉えるには
目の前の人との組織の違いや立場の違いなんて
全く関係なく、一人の人対人、一対一の関係を
純粋に見つめて大切にすれば良いことなんですよね。


                全ての物語のために



警察組織論ドラマの代表作はコレ







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2017年04月23日

ドラマ「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班 #2」その迷惑をおおらかにとらえたら才能が見えてこない?



非常にモヤモヤしています。

体調が優れないだけではなく
さまざまなことが同時多発的に起き
打開策が見つからないというか
もう、頭がついていかない。

憂鬱の原因がいくつも積み上げられます。

しかし、ひとつひとつ対処していきますよ〜!

わたしは、いろいろなことに興味を持つ
好奇心旺盛な楽天家・・・という一面があります。

周囲の人たちにはそれでよく迷惑を
かけているようです。

それでも、自分の非は認めつつ
受け入れて、卑下はせず進んでいくしかない。

実は息子もわたしとタイプが違いますが
楽天家の一面を持っています。

共通しているのは好奇心旺盛で
やりたいことが次から次に出てくる。

ある部活の体験入部にいったら
ツラくあたる先輩がいたようです。

曰く、「どうせお前ら本気じゃないんだろう?」と・・・。

体験入部ですからお試し気分で行っている
子も沢山いるでしょうが、
まあ、ショックでしょう。

小学校を出たての子どもたちから観たら
中学3年生のお兄さんはとても大きく見えます。

その人に凄まれるというのは
衝撃的な体験です。

息子は優しい先輩もいたから
内心そんなに気にはしていないようでしたが、
息子も幼少の頃から続けているゴルフを
やめるつもりはなく体験入部している身。

凄んだ先輩くんの気持ちも、
凄まれた息子ほか1年生の気持ちも
考えてしまいました。

自分のことも手が着かないのに
一晩、この件を考えてしまった自分にも
つくづく反省しますが、息子にとっては
大事なことかもしれず考えてしまいました。

答えは、思い出すだけで十分でした。


ドラマも今シーズンいろいろ始まりましたね。
録画したのはいいけど、1話目でその後観ない
という選択をすることもあります。
取捨選択するために広く録画しているわけで
すから、まあ当然ですが、一方ではじめから
保存版にするつもりで構えている作品もあります。その中の一本、

「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班」
第2話


を観ました。

田丸(西島秀俊)に“国家の危機”を
伝えようとしたフリージャーナリストが
田丸の目の前で殺されます。

待ち合わせ場所で田丸が待っていると
彼が現れますが、人垣をかき分けながら
向かってきます。
途中、男性とぶつかってしまうジャーナリスト。
田丸のところまできた彼は突然倒れます。

薬物注入による中毒死。

特捜班は、身の危険を感じていた彼が
あらかじめ田丸に送った1枚の写真と、
死ぬ間際に口にした「アリス」
という言葉を手掛かりに捜査にを開始。

写真に写っていたのは普通の一軒家です。

吉永(田中哲司)は樫井(野間口徹)と
大山(新木優子)に家の特定を急がせ、
田丸と稲見には殺された男の自宅を
捜索するよう指示。

しかし、稲見に見張りを任せて、
1人で部屋に入った田丸は、
先に侵入した男に襲われ、
取り逃がしてしまいます。

無線で田丸の異変に気付いて駆けつけようと
稲見がエレベーターを観ると
ちょうど怪しい男が出てきました。

稲見と男は激しい格闘と繰り広げます。

そして、この事件への箝口令がしかれ
始めた気配を察知した特捜班の面々は
この件に政府が関わっているのではと
睨みはじめます・・・。



後味の悪いお話でした。
すっきりしない。

(笑)いや、
文句を言っているのではないです。

わざとそういうお話にされてある。

正義や正しさが本当に人を幸せにするのか?

捜査班たちがその矛盾と対峙させられます。

とくに田丸。

この先のお話への原動力となる不満を
ここで見せておく・・・という意図も
もしかしたらあるのかもしれません。

どうしてもモヤモヤが残ったまま終わる。

しかし、モヤモヤは消えないながらも
そこには希望もかすかにありました。

田丸の強い決意を込めた宣言です。

この腐ったシステムを変えてみせる!

その意志がこのお話の希望でした。

田丸の思いが作品の中でどうなっていくのか?
はわかりません。
このお話を作っている金城一紀さんは
エンターテインメントの作り方が
非常に洗練されていますが、
最後にズーンと重くなる作品も作ったりします。

数年前に小栗旬さんと組まれていた
「BORDER」のラストはとても
ショッキングでした。

ですからこの作品もどう転ぶのかわかりません。

しかし、田丸は大きな矛盾をはらんだ
組織や国家、そして自分・・・

そういうものをドンといったん受け止めて
前進しようとしています。

矛盾もそうですが、もっと脳天気な話を
させていただくと、わたしや息子のように、
様々なことに興味をもってしまう人間。

その多くは途中で飽きて手も着けなく
なってしまったりもするので、
周囲からはいい加減なやつ、
不真面目なやつ、中途半端なやつ、
と観られがちです。

周囲の視線は痛いほど経験してきましたし
自分でそんな自分を責めることも
数え切れないほどやってきました。

本人たちにとってはそれで大切な人に
迷惑をかけて起こらせたりするのですから
大問題なわけです。

しかし、この特質を肯定できるか
ダメなやつ中途半端なやつと
レッテルを貼ってしおれてしまうのか?

それで大きくその後の可能性が変わります。

反省すべきは反省すればいい。
でもその特質は才能でもあります。

息子たちの体験入部に
「お前たちは本気じゃないだろう」
「お遊びでくるな」
みたいなことを言った先輩くんは
きっと、その種目一筋なのでしょう。
だから、楽しくあれもこれもやってみたい
なんて気楽な気持ちでこられると腹が立つ。

非常によくわかる話しですし、
それだけ真剣に打ち込めることは
賞賛に値します。

それはそれでいい。

立派なことです。

しかし、それだけに打ち込むことだけが
正解で他は間違いなのでしょうか?
本気ではないということなのでしょうか?

わたしはその矛盾に何十年も苦しんできました。

常識がそうなので息子も今後苦しんで
しまうのは目に見えています。
すでに、自分のそういう部分を
省みている節も観られます。

でも、その在り方そのものを否定すると
自己否定になります。
部分的な改善ならいい。

でも大事な部分をつぶしちゃいけない。

わたしは翌日息子に言いました。

一つのことに集中するという生き方もあるし、
それを本気でやっている人も尊い。

でも、それはその人が選んだその人の正しさ
であって人に強要することではないね。

「おれはやりたいことは全部やってやる!」

という本気だってあるんだから。

沢山のことに興味があるというのも
才能なんだからそういう生き方を
本気でやればいいんだよ。

自分のその本気を大事にする代わりに
相手の本気も尊重してあげようね。

わたしはわたし、あなたはあなた。

ドラマでもあった「嫌われる勇気」の
お話だよ・・・と。

息子が、いろいろなものに手を出して
飽きてまた次に・・・というのを
よく思わない人は、同年代にも
大人たちの中にも沢山いると思います。

でも、わたしは息子がどんな生き方をしようと
味方でいる。親ですから当然ですね。

そんあわたしを「甘い」という人も言ますが
人の特質や心の有り様を学びもせず
信じる覚悟も持たずに人を非難して
自分のやり方が他者に対しても正しいと
押しつけて人のためになっているという
考え方こそ甘い。

人間はそんなもんじゃない。

もっともっと、みんなそれぞれ、
欠点だと思われているところも
じつは凄い才能の現れであるということを
認め合いながら、発展していける国、世界で
あって欲しいと心から願います。


          全ての物語のために










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2017年04月22日

アニメ「アトム ザ・ビギニング #1 鉄腕起動」わたしたちが自ら育とうとする本能はどこからきているのか?



わたしは団塊ジュニアと言われる世代です。
1975年生まれ。

わたしたちの世代はこれまでの考え方や
価値観の中で平和に育ってきて
その価値観を急激に手放し
変化させていくことを求められて
困っている世代・・・なのでしょうか?

正直わたしが接することができた範囲の世代
の人たち、祖父母や両親たちの世代が
どんな社会情勢の中で生きてきたかを
考えると、わたしたちなど非ではないと思います。

文字通り命がかかっていたのですから。

それでも、その彼らが強固に築いてきた
「正しさ」が通用しなくはなっている。

つまりわたしたちの心に染み着いた
無意識の価値観が急激に古くなっている。

早急に次の段階へと成長しないとならない。

技術の進歩の方向性を観ていると
そう感じざるを得ませんよね。

これからの社会に子どもを残していく
親となってみるとなおさら思います。

変えなければならない考え方のひとつが
教育についてでしょう。



わたしが知らないだけですか?
NHK総合でこういったアニメをやるって
珍しいな〜なんて思って録画しました。
AIがテーマなので今やるのはNHKらしいのかな。

アニメ「アトム ザ・ビギニング」
第1話 「鉄腕起動」


を観ました。

ある大災害から5年。
復興のためのロボットは技術の発展を促し、
人々の生活に欠かせないものとなっていました。

練馬大学の第7研究室では
天馬午太郎とお茶の水博志が、
試作機・A106に次世代型の人工知能
を搭載しようと奮戦していました。

とはいえ底をついた研究費。
2人はバイトをしてまかなっているようです。

その日もテーマパーク・メカシティでの
バイトの予定が入っていました。

慌てて研究室を飛び出していく博志。

急いで追いつくからと博志を見送った天馬は・・・。



「踊る大捜査線」の本広克行監督や
「機動警察パトレイバー」の
ゆうきまさみさんの名前が
スタッフの中にあったのでしっかりした
エンターテイメントになるんじゃないかと思って
録画していました。

毎週楽しみな作品に加わりました。

勝手な思い込みでしょうが
こういった作品はNHK教育のほうでやるもの
なんだろうと思っていました。

教育。

鉄腕アトムは正義のロボットです。

優しくて強い心を持ったロボット。

AI、人工知能。
それは人間が命令言語として組み込む
プログラムによってできている。

わたしは専門家ではありませんが
そういう理解でよいのでしょうか?

しかし、人工知能ですから、
自ら学び成長していく。

人間の種の存続は、わたしたちも知らない
宇宙の謎に包まれている部分もまだまだ
あると思っています。

自然と発生してここにいるわたしたち。
そこからわたしたちは何者なのか?
この世界はいったいどうなっているのか?

と学問が発達してきたわけですよね。

それで全てが解明されているわけではない。

そんなわれわれが、自立型の知能を
自らの生殖機能とは違う方法で、
作り出そうとしている。

わたしは常々言っています。

子どもたちは自分でまっとうに育とうとする力を
もともと持って生まれてきている。

親はそれを信じて育とうとするわが子を
サポートすればいいと。

それはまるで教育を洗脳と勘違いしているかのように
それはダメ、あれはダメ、こうしなさいああしなさい
と自分の正しさを押しつけようとする
大人への提言です。

でも、はたと思います。

わたしたちは生まれながらに持っている。
その真っ当に育とうとする力を。

あらかじめDNAにプログラムされている。
という言い方が今の科学世界では
わかりやすい言い方なのでしょうか?

でも、その理解がまだまだ釈迦の手のひら
程度のもので、追求していくと
もっともっとその先の世界、
これまでに理解されていたことが
完全に覆ってしまうほど
もっと深い理解が必要な代物なのかもしれない。

少なくともそうではないことを証明した人は
いないはずなんですよね。

そんな状態で、わたしたちは
自分たちの理解が及ぶ範囲だけで
その神秘の宇宙がプログラムしたらしきものを
人工知能に人間の力でプログラムしようと
している。

いまのAIを取り巻く流れの見方として
あながち的をはずしてはいないと思うのです。

よく言えば、人間として、
大きな危険を冒しながらも「冒険」に
挑もうとしている。

確かにロマンがあります。確かに空恐ろしい。
未知の領域へのわくわく
得体の知れないものへの恐怖・・・

でも、言えるのは、SFではないということ。
サイエンス『フィクション』ではない
ということ。

もう現実に始まっていることです。

これから報道されたり商品化されたり
世の中に出てくるものはもう
サイエンスノンフィクション、SNFです。

生命があるのかどうか?魂は?
クローンと同じくそういった倫理という
大きな問題も出てくるでしょうが、
それとは別の問題として、
今ここにもうそれは誕生しているということ
ですよね。

人間が作り出したプログラムから発し、
自分で学び成長していく。

わたしたち人間の神秘がつながっている何か
をより所にわたしたちは

子どもには自ら全うに育つ力がある

と信じられる。

実際、その愛が子どもたちをすくすくと
成長させています。

果たして、AIにもそれは望めるのでしょうか?

AIを生み出すわたしたち人間、
AIとこれから接していくわたしたち人間は、
教育というものについて、
もっともっと深い部分で
理解していかなければならない時代が
来ているのではないでしょうか?

知識レベルでもそうでしょうが、
情緒レベルでの理解、知恵。

そういう部分で教育について理解すること。

理解を深めること。

それはわたしたちひとりひとりが
自ら感じ考えながら、
学びを深めていかなければならないもの。

生命の根幹を感じながらの教育。

AIは生み出す側も使う側も、
そもそも「使う」という言葉自体が不適切だと
言われるときも総遠くないでしょうが・・・

人工知能が持つであろう『心』と
どう接していくのか?

それはわたしたち人間が、
自分たちの教育をより深く理解するところに
大きな鍵があるのは間違いないでしょう。

ひとりひとりが未知の世界へ
大冒険です。

           全ての物語のために








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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする