2017年04月30日

ドラマ「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班 #3」絶望は何度でも



土曜日、休日の朝、
わたしの次に起きてきた息子。

感心なことにその日の勉強を始めました。
早く終わらせて遊びに出たいのでしょう。
漢字の書き取りです。

その最中に息子が語りかけてきました。

「なんか最近、イヤイヤすると」

漢字をノートに書きながら
ザワザワしてイライラしてノートを
グチャグチャっと塗りつぶしてしまいたくなる
という話でした。

そんな自分の感情を観察して
言葉にできている息子に感心しながら伝えました。

よくわかるよ。父も同じ年の頃
いっぱいそんな気分になっていたから。
でも、正常に成長している証拠。
体の中が、今までよりも早く激しく
大人になろうと暴れてるんだよ。
だから安心して良い。それで正常。

「え〜」

(笑)

いつまででしょうか?
まあ、中学生の頃より高校生では
落ち着くし大学生くらいの年齢でも
さらに落ち着く。

ただ、この間にはいろいろな
感情的な経験をします。

難しい言い方をすれば、
彼はこの思春期という期間を
健全に乗り越えなければならない。

ここからも母性の力は絶大ですが
今まで以上に父性の役割が大幅に増えます。

そして、それは安定した情緒で見守るのが
もっとも望ましいと思っています。

本当の意味で強くたくましい
健全な心を育んでもらうために。



最後に大きく盛り上げてくれるのでしょうか。
あまり期待し過ぎてもよくないのでしょうが
スカッと終わらせてもらいたいですね。

ドラマ「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班」
第3話


を観ました。

白昼堂々の議員宅前、しかも報道カメラの前で
議員が射殺されます。

犯行声明を出してきたのは
権力の悪用を断罪する謎のテロ集団
“平成維新軍”。

この先も権力を利用して
私腹を肥やす者たちを排除すると、
テロの続行を宣言していました。

犯人を逮捕してテロを未然に防ぐよう
命じられる特捜班。

班長の吉永(田中哲司)から、
襲撃犯が使用していた特殊な拳銃をたどって
実行犯を洗い出すよう指示された
稲見(小栗 旬)と田丸(西島秀俊)は、
銃器マニアの暴力団組長が同じ型の拳銃を
買い集めていたという情報を得ます。

早速組長に接触する2人。

やはり拳銃は組長が所持していたもので、
しかも保管していた拳銃はすべて
組長の息子の譲(大和孔太)に
盗まれていたことがわかります。

やがて譲の潜伏先を突き止めた特捜班は、
拳銃を装備して現場へう。

吉永、樫井(野間口徹)、大山(新木優子)が
建物の周囲を固め、
稲見と田丸が部屋へ近づくと、
外出しようとしていた譲と鉢合わせ。

次の瞬間、譲は部屋の中の仲間に
「逃げろ!」と叫び、
同時に素早く拳銃を抜き、稲見と田丸に
銃口を向けるのでした・・・。



衝撃のラスト。どのようなラストかは
ここではあかしませんが
田丸が最後に言った言葉は印象的でした。

「俺たちに勝ち目はあるのか?」

第1話で田丸が言っていました

「この腐ったシステムを変えてみせる」

純粋な正義感。
田丸は目の前で、その正義感が絶望した
結果を見せつけられて、
「勝ち目があるのか?」と
自問自答してしまったのでしょう。

でも、田丸が突きつけられた
純粋な正義感の絶望と田丸自身の正義感とでは
その純粋さ、根っこの部分は
まったく同じなのに決定的な違いがある。

絶望しきってしまうか
絶望からはい上がれるか・・・?

はい、まあそれもあるかもしれませんが、
自分の生を肯定できるかどうかです。

自分の命を大事にできるかどうか。

正義感にあふれ、純粋で思いやりがあり、
自分のことよりも人のことを大切にできる。

とてもすばらしいことですが、
だからといって自分の価値が人より劣る
なんてことはないわけです。

人のことを思うなら自分のことも
大切にしなければ、
本当に人のことを
大切にしていることにはならない。

厳しい言い方をすれば、
それは自己満足だと言われても仕方がない。

この感覚を伝えようとすると
「幸せに育ってこれた人間の戯れ言だ」
みたいな言われ方をすることもありますが
ほとんどの場合、自分が親になればわかります。

それでも、やはり人を愛するだけで、
親になるだけでわかるというものでもない。

人間はどこまで行っても主観の生き物ですが
それを承知の上で、自分を客観しする。

専門的にはメタ認知とも言われますが、
その感覚を持てるかどうか?

が、健全に思春期を乗り越え、
大人の世界の絶望を突きつけられても
そこから希望を見いだし
何度でも立ち上がりながら、

自分を含めた他社を大切に、
よりよく在ろうと生きていけるようになる。

健全で強い情緒を育み
健全な大人になるとはそういうことでしょう。


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2017年04月29日

ドラマ「母になる #3」新しい生活を送るなら思い出は・・・



中学生になり、新しい生活が始まった息子。

早速初月からいくつかの問題は起こりました。

学校でクラスメイトとの関係で
イヤな思いをして帰ってきたことも
ありました。

小学6年生のときのクラスが大好きだった彼は
卒業してからは寂しかったようです。

しかし、他の小学校からも
生徒たちが集まって、知らない子たちと
一緒にスタートした新しい中学校の
新しいクラスのことを
4月が終わる現時点で、「結構楽しいクラスだ」
と言ってきました。

まだ6年生のころのクラスのほうが
愛着はあるようですが、
今のクラスも結構好きになれるんじゃないかと
手応えを感じているようです。



「妹よ」「みにくいアヒルの子」など大好きで
ビデオに録画してよく観ていました。
水橋文美江さんの脚本作品。

ドラマ「母になる」
第3話


を観ました。

結衣(沢尻エリカ)と陽一(藤木直人)は
広(道枝駿佑)と一緒に暮らと決めました。

木野(中島裕翔)は広の存在を届けなかった
麻子(小池栄子)を訴えることもできる
とは言いますが、結衣も陽一も
それは望んでいません。

柏崎オートで広の誕生日会が開かれ、
すぐさまみんなにうちとける広の様子に
里恵(風吹ジュン)は喜び、
莉沙子(板谷由夏)もほっとしています。

しかし麻子の手紙から
広の本心を考えてしまう結衣は
陽一とのことについて、離婚はしていない
嘘をついてしまいます。

親子3人一緒に暮らすため、
柏崎オートに引っ越してきた結衣。

陽一との距離感に戸惑いながら、
柏崎家として新しい生活が始まります。

そんな中で広は、
結衣から誕生日プレゼントにもらった
スマートフォンで、こっそり麻子に
写真を送っていました。

そして、柏崎家に麻子がやってきて・・・。



麻子がネットカフェにこもり、
ひとり、スマホの写真のデータを
削除するシーンが描かれます。

観ていて胸が張り裂けそうになります。

麻子なりに前向きに生きようとしている姿
なのでしょうが・・・違うんですよね〜

何が違うって、思い出の取り扱い方がです。

思い出の写真はとっておけ、とか
忘れるために捨てなさい、とか
そういうことではありません。

そこは、最終的にはどっちに決めても良いんです。

問題は、自分の心の整理ができているか?
です。

大切な思い出の品を手放すか手放さないか・・・

それを決めるのは心の整理ができてから
することです。

わたしもそれはたくさん失敗して
学んできました。

恋した人との思い出の写真を
未練を断ち切るような思いで捨てたことも
あります。

でも、写真や映像をやっていたわたしは
自分の作品のひとつとして
あとでその写真があったほうがよかったな
と後悔したことがありました。

また、別の写真は、完全に紛失したと思っていて
またもう未練も完全になくなっていて
そんなころにひょっこりと残っていた写真が
出てきて笑ったことがあります。

モノをおいておけるスペースや収納に
余裕があるなら、とっておいてもいいし、
ないなら捨てても良い。

情緒的なことからエラく無機質で味気ない
話しになったなと感じていただけたら幸いです。

なぜなら、思い出の品、写真なんて
そんなモノだから。

もちろんそんなモノではない大事な
写真も存在します。

そんな写真こそ、冷静じゃないときに
「えいやっ!」と捨ててしまったら
後で、気持ちの整理ができたときに
ひどく後悔することになります。

わたしの息子もしばらくは6年のときの
クラスの写真を枕元においていました。

忘れる、断ち切る。

そんなことが必要に感じるのは
整理がついていないからです。

無理をしても整理にはなりません、
かき乱すだけ。

麻子と広、そして結衣たちと麻子も
ドラマの中で今から心の整理をつける
時期が始まるのでしょう。

陽一が、なぜ人は嘘をつくのかという問いに対して
それは生きているからだと言いました。

心の整理には時間がかかります。
でも、前むきに生きようとするなら
それは必ず自然とできるし、
良い形で整理されていきます。

ただそれまでの間に、寂しさやつらさと
向き合わなければなりません。

でも、それも生きているから、
生きているという喜びの瞬間だから
なんですよね。


        全ての物語のために



水橋文美江 脚本作品







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2017年04月28日

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION #16 2度目のインターハイ」メンタル合気道



意地の張り合い。

どうでもいいしょうもないことから
スポーツなどの大会での決勝戦まで
最後は気持ちの勝負…
ということは多々あります。

スポーツや将棋など
専門的な訓練を積んだ上での
特殊な勝負ごとではなく
わたしたちの日常の中でも
気持ちの強さで勝負をしなければならないことは
多々あります。

メンタルの強さ、生きていく上では
人と競わなくても自分との闘いで
必要なことがありますよね。

しかし、勢いや力技に負けて
おずおずと引きさがってしまうという
苦い経験をしたことがある人も
いるのではないでしょうか?

声が大きい人が理路整然と勢いよく
意見をぶつけてくると、もうそれだけで、
相手のほうが正しいと思わされてしまう。



今シーズン、質の高いアニメが多くて
このブログでも多く紹介していますが
この作品はやっぱり一際わくわくしますね。

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION」
第16話 「2度目のインターハイ」


を観ました。

いよいよインターハイの日がやってきます。

今回の舞台は栃木県。

連覇の決意を胸に会場入りしたチーム総北。

そして、王者奪還を目指す箱根学園や
御堂筋率いる京都伏見など…
全国の強豪チームが集まってきます。

快晴のなか、会場は熱気に包まれていました。

そして配られるゼッケン。

総北が手にしたのはひと桁のゼッケン。
前年優勝チームの証です。

とくに総合優勝を果たした坂道くんは1番。
今泉にも「誇りながら走れ」と背中を押されます。

そんな中、いつものように緊張で
トイレへと駆け込んだ鏑木は、
箱根学園の銅橋正清と遭遇し…。



鏑木は銅橋から精神的に揺さぶられます。

総北は強い、小野田先輩は強い、
そう思い込むことで総北に入った自分を
正当化しているのではないか?

そんな風に詰め寄られて次第に
自信を失っていきます。

一年生であるが故か、鏑木自信の未熟さが
露呈してしまうお話。

銅橋は声高に力を込めて自説をぶつけてきます。

威圧的な態度にこそひるみはしなかった鏑木も
よくよく考えれば一方的なだけの言葉に
なぜか気おされていきます。

声が大きくて自信満々に言われると
正しく聞こえてしまう。

銅橋の言葉に鏑木が惑わされてしまったのは
銅橋の声が大きくて正論に聞こえたから…
だけでしょうか?

違いますね。

鏑木自身のメンタルにスキがあったのです。
無防備だったから。

無防備と言っても、中学時代には
連覇をしてきた鏑木です。

試合会場でライバル同士虚勢を張り合うことなんて
ザラだったはずです。

しかし、今回はチーム総北という
新しい仲間との、しかもインターハイという
大きな大会です。

初めてコトだらけ。
打ちあって負けたというより惑わされてしまった。

でも、もし鏑木に余裕があっても
勝てたでしょうか?

言い合いですから負けることは無いにせよ
さんざん言い合って物別れで終り…。

つまり、力に対して同じように力で
ぶつかろうとする。

これだと勝負にならない。

わたしはこういうときはメンタルの合気道のつもりで
向き合います。

柔よく剛を制す。
相手の力を上手に受け流す。

とは言っても極力あげ足取りには
ならないようにします。…まあ、極力。

相手の鏡になっていると相手自身が
自分の矛盾を突きつけられたように感じ
あげ足を取られたと思って逆上しちゃうことも
なくはない。

でも、暖簾に腕押し状態にはよくします。

相手にはさぞ嫌なヤツに思えるでしょう。

例えばこれが、企業体クレーマーであれば
暖簾に腕押しさせながらも足はグッと
地面に杭で打たれたように動かない。

鉄壁になって相手が諦めるまで抵抗する。

でも、人対人という関係の場合は違います。
悪意を向けてきた人もほとんどの場合は
その人にとっての正義だったりします。

そんなときは、こちらのメンタルの合気道で
向き合いながらもこちらの善意で
なんとか同じ方向を向くことが出来ないか?
という方向性に持ち込もうとします。

心を開き合うのが最終目標。
相手の攻撃をかわしてトドメをさすのではなく
攻撃を受け流しながらより添える位置に
立とうとする。

力と力でぶつかり合っていては
絶対にたどりつけないですよね。

小野田坂道くんはそれを自然とやっている。
坂道くんの在り方は人間学を学ぶにも
とても勉強になります。


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2017年04月27日

ドラマ「母になる #2」子どもがモンスターに見えても可愛くて仕方なくても注意しておくべきこと



わが子のことなら何でもわかる。
あの子のことは私が一番よく知っている。

愛しいわが子のことを全部わかっていたい。
全て知っていたい。

親としてその感情を持っているのは
わたし自身のなかにも確認しています。

かといって、そんなことは不可能です。
後でわかっても、内緒にしている思いや
想像以上に早い心の成長のスピードなど
親の理解の範疇には収まらない理由なんて
いくらでも出てきます。

だからこそ、一方では
自分の子が何を考えているのかわからない!
と途方に暮れたり、悲しんだり、
あるいは、恐怖したりする親もいる。

まるで異性物やモンスターでも観るかのように
自分には理解し得ない存在として
扱ってしまっていたりするかもしれません。

その違いは捉え方の問題であって
子どもが悪いわけではありませんよね。

子どもは子どもとして日々成長しながら
そこに存在しているだけですから。



ドラマラッシュ、アニメラッシュの中で
弟がついに「ウォーキング・デッド7」の
後半を持ってきてくれました。
いや〜。忙しいな♪

ドラマ「母になる」
第2話


まで観ました。

9年前に誘拐され行方不明だった
息子の広(道枝駿佑)が生きていた。

その事実は、離婚して一人で暮らしていた
結衣(沢尻エリカ)の生活に
再び明るく照らし始めます。

一方、離婚後の陽一(藤木直人)は、
大学教師をやめ、マンションで引きこもり
同然の生活を送っていました。

そこへ広の過去について調べている
児童福祉司の木野愁平(中島裕翔)が
訪ねてきます。

木野は陽一にも、広が施設で
生きているこを告げます。

そして、先に結衣に知らせたら
結衣が先走ってしまったことや
実はまだ広について
結衣にはまだ知らせていないことがあると、
広が持っていた手紙の存在を打ち明けます。

手紙に記されいた事実とは・・・。



3歳で姿を消した我が子。
次に会うときが12歳。

その戸惑いが描かれていたお話でした。

わたしの息子もちょうど12歳なので
とても想像しやすいです。

12歳の広にしたって
戸惑わないわけがありません。

しかし、気持ち悪いほど素直です。

その不自然な素直さも
まるで気にならないかのように受け止める結衣。

陽一と結衣がそろって施設に出向き
木野と話をするシーンがあります。

木野は広が持っていた手紙を
陽一と結衣にみせる前に2人に言葉をかけます。

広くんはまだ12歳です。
12歳の子どもだということをうけとめて
読んでください。

と。

その手紙は、広が児童施設に預けられるまでの
7年間、彼を育てていた『母親』から
広への手紙でした。

その手紙によって、広の素直さに納得がいきます。
同時に陽一や、特に結衣にとっては
残酷とも言える現実でした。

広がもう少し、後数年成長していたら
また違った態度だったのかもしれません。

でも、まだ子ども・・・

それは事実です。

しかし、現実にわが子と毎日接している
わたしたち親は知っていますよね。

まだ子どもだと思っていても
想像以上にその内面は大人になっている。

びっくりするほど多くのことを
理解できるように成長しているものです。

常に親の想像を越えていると
思うくらいで丁度いい。

でも、やっぱり子どもです。
幼さも現実としてある。

やっかいなのは、びっくりするほど
大人な面とまだまだ子どもの面の
両方が混在するということは
いつまでも変わらないのに、
その中身は常に変化していると言うことです。

だから、ある親にとっては
わが子が理解不能なモンスターに見えたりする。

かといってわが子かわいさで
わが子のことを何でもわかった気になると
危険であることは分かり切っていますよね。

ここで大切なことは、やはり
「あるがまま」を受け止めるということ
なんだと思います。

勝手に子どもだからと決めつけて
わが子が言っていることを聴いていると
親のほうが子どもの言わんとしていることを
とらえ損ねます。

親が思っている以上に深いことを
伝えようとしているのに、
それを理解してあげられないなんてことに
なりかねません。

そして、わが子のことがわからない!怖い!
と思っているお母さんお父さん。

その子がいまそういう感情である。
という事実をまずはそのまま受け止めましょう。

そこからしか始まりません。
今はそう感じている、今はそうしようと思っている。
その事実をそのまま受け止めた上で
その子が苦しんでいるなら
その感情を理解しようとつとめる。

わが子のことがわからない!
と言ってしまうのは、その時点で
シャットアウトしているようなものです。

「そうなんだね」と
まずはあるがまま受け止める。

手紙を見せる前に
木野が言いたかったことも
不思議なくらい素直な広を
素直に笑顔で見守った結衣も、
衝撃の事実に傷つきそして結論をだした
陽一と結衣も、

今のあるがままを受け止める
その在り方を魅せてくれようとしている
ように感じます。


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水橋文美江脚本作品







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2017年04月26日

「ゴースト・イン・ザ・シェル 甲殻機動隊2.0」あなたはあなた自身を実感できていますか?



自分はなんのために生きているんだろう。

自分はどこからきて、どこへいくのかな。

思春期にはそういうことを
いっぱい考えて
悩んで苦しんで大人になっていきます。

大人になると、そんなことよりも
目の前の現実を生きていくことで
精一杯になる。

前向きにとらえるなら、今この瞬間を
大切に生きるようになる。

それこそが、わたしたちに与えられた
為すべきことといっても良いのですから。

でもそれでも、寂しさを拭えない。

だから人は恋をしてパートナーを見つけ
子を産み家族を築く。

多くの親が経験する、わが子が生まれたときの
世界が違って見える感覚。

それは、あの何のために生まれてきたのか?
の問いの答えをひとつ
大きな実感として手にした瞬間だから
なのかもしれません。



ハリウッドから日本へ逆輸入ということで
話題の実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」
予告編を観ていると、とても観たくてもう
たまらないのですが残念ながら我慢です。
来月も再来月も夏も秋も、息子と約束している
作品が公開されるので約束優先。
その代わりこの映画のもとになっている
日本のアニメーション映画
「ゴースト・イン・ザ・シェル甲殻機動隊」
を監督の押井守さんがバージョンアップさせた、

「ゴースト・イン・ザ・シェル甲殻機動隊2.0」

という作品を観ました。

西暦2029年。
高度な情報化社会で凶悪化する
コンピューター犯罪や
サイバーテロに対抗するため、
政府は非公認の超法規特殊部隊公安9課、
通称“攻殻機動隊”という組織していました。

ある日、国際手配中のハッカーでテロリストの
“人形使い”が現われたと情報が入り、
隊長の草薙素子を筆頭に
攻殻機動隊が追跡を開始します。

電脳の世界で素子は
ほとんどサイボーグ化されている
自分の存在について迷っていました。

その迷いの中で、人形使いと
接触した素子は・・・



草薙素子は脳の一部がオリジナルなだけで
そのほかは擬体と呼ばれるサイボーグです。

9課の中には完全に
電脳化している者もいる模様。

そして記憶とは別に、ゴーストと呼ばれるモノ、
恐らくそれが魂に当たると思われますが、
存在する。

どうやらゴーストがあるかどうかが
人間とマシンを分けているようです。

そしてそのゴーストもまた
劣化こそすれデータとしてコピーできし
ハッキングもできる。

電脳化されている人たちは
後頭部にプラグを刺せるようになっていて
ネットや電子機器とも
脳を直結させることができる。

この映画を観てインスピレーションを
刺激されたウォシャウスキー兄弟が
「マトリックス」を作った訳ですね。

「2.0」ではない1995年のオリジナル版では
オープニングのスタッフの名前の出方から
「マトリックス」への影響の大きさを
感じられます。



ハリウッド版は予想通り一般受けしやすいように
よりシンプルでわかりやすい話に
仕上がっているようです。

確かに90分弱で、ネット、人工知能、人、
記憶、魂、生命などを全部結びつけて
哲学しちゃった深い深いこの作品を
そのまま実写化しても一般の洋画ファンの
ハートは掴めないでしょう。

それにしても公開から22年たった今観ても
日本のアニメーションがどれだけ
進んでいるのかと思い知らされる作品でした。


人形使いと呼ばれる相手が
自分のことを電脳の海で発生した生命体だと
表現するシーンがあります。

最近でこそAI、人工知能についての問題が
やっと一般的に取り上げられるように
なってきています。

そしてそこに心が生まれるかどうか?
感情が生まれるかどうか?

そういうことが考えられていますよね。

じゃあ、心があるなら魂は?
命ってなんなんだ?

って思います。

そこまで、いやそれ以上に色々と踏み込んで
いるのがこの作品のすごさですね。

ロボットの記憶媒体だろうが
その中のソフトウェアだろうが
インターネットと言う世界に流れている
データであろうが、
自分で考え自己を認識しだしたときから
それは生命たりうるのか?

そんな深いことを観客に投げかけながら
この人形使いはとても原始的な目的を
もっていたことがわかってきます。

いくら自然発生し、自己を認識して
成長していくことができても、
交配しコピーではない子孫を残せなければ
生命とは言えない。

自分が生命体として完結するための
交尾の相手探し・・・

人間にとっては自分たちの生命を脅かす
驚異のテロリストに見えているでしょうが
考えてみたら人形使いにしてみたら
それこそ、必死ですよね。

自分がまだ同じ種がこの世にいない
最初の種として自然と誕生することを
想像してみてください。

気がついたら自分というものがここにいる。
でもひとりぼっち。
そのまま死んでいけば、本当に何のために
生まれてきたのか、全くの無意味です。

世界のどこかに同じ種はいないのか?
探し回る。必死で探し求める。

生きているものとして当然の行い。

同種の生命体のなかに生きている
わたしたちにもこの感覚は
共感できるものがあるはずです。

とくに今まさに、恋人やパートナーがいなくて
愛し愛される相手を求めている人なら。

それを考えると、わたしたちが
子を産み育てていくことの重みも
自然と想像できますよね。

人類を支えるわたしたちの根元にあるもの。

この作品は答えを出しません。

投げかけです。

ハリウッド版の主役、素子に当たる「隊長」
を演じた女優のスカーレット・ヨハンソンは
この作品のテーマを知って
本当に実写かできるのか?
と疑ったそうです。

実写版はある程度、限定されて、
縮小されたテーマで結論めいたことも
もしかしたらだされるのかもしれません。

それはスケールダウンという批判も
受けるかもしれませんが、
わたしたちが生きていく中で
定めなければならない方向性や
方向性の決め方を示すもの、
少なくともその手がかりにはなるもの
であって欲しいなと思っています。

う〜ん。実写版観たい!


           全ての物語のために
















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