2017年03月11日

アニメ「鬼平 #9 わかれ道」あなたとわたしが道を選択する力



わたしは鬱屈せずに
真っ直ぐに育つことができたのか?

周囲の人がかけてくれることばを受け取ると
わたしはやはり恵まれていたんだと思います。

純粋に真っ直ぐに育ってこれた”ほう”なんだと
思っておかないと罰があたるかな…

というくらいの認識はもっています。

しかし、自分の中に鬱屈した気持ちが
一切生まれることなく生きてこれたか?

そんな気分を全く残さずに
完全に清々しく今暮らせているのか?

というと、もちろんそんなことは言えないわけです。

十代のころは「大人は分かってない!」
と思っていたし、
二十代でも「世の中バカばっかりだ!」
みたいな気分で暮らしていた時期もある。

幸せ家族に平和に育てられたとか、
家庭の事情で苦労して育ったとか、
そういうこととは関係のない問題。

人間の成長過程のある時期
みんなに共通している時期の問題
なのだと思います。

そのときに、どんな道を選ぶのか?
心と体と頭と…魂。
そんなモノが色々な方向でせめぎ合い
暴れまわるころ。

やけっぱちで人生を選ぶ人と
そうはならない人がいる。

なにがそれをわけるのでしょうか?



息子にこのアニメの良さが分かるようになるのは
後、何年かかるのかな?
でももう、彼が生まれて12年。その半分もきっと
かからないでしょう。きっと後2-3年もすれば
それだけの想いを内側に抱えるだろうから…

アニメ「鬼平」
第9話 「わかれ道」


を観ました。

ある日息子の辰三が張り切って
剣の練習に出ていきます。

急にやる気を見せる辰三の変わりぶりに
驚く平蔵と妻の久栄。

平蔵は、娘のお順に剣の修行は
お手玉よりも面白いの?ときかれ、
自分が剣の修行を通して出会った人との
思い出を久栄たちに話し始めます。

平蔵がまだ“銕三郎”と名乗っていたころ、
高杉道場で稽古に励んでいると、
松岡重兵衛という腕の立つ男が乗り込んできます。

その後実家を訪れた銕三郎(平蔵)は、
父の正妻・波津から「妾腹の子」と罵られます。

腐って酒・女・博打・ケンカ…
鬱屈を晴らすように遊びまわる平蔵。

銕三郎(平蔵)の鬱屈を高杉先生から聞いた松岡は
銕三郎(平蔵)を気にかけ、ある言葉を伝えます。

松岡にすっかり傾倒した銕三郎(平蔵)は
心を入れ替え剣の修行に励み始めますが、
ある日、実家の後継ぎが
従兄に決まったことを知った銕三郎(平蔵)。

「こうなったら、落ちるところまで落ちてやれ」と
自暴自棄になり、ある男から持ちかけられた話に
親友・左馬之助とともに乗ってしまうのでした。



30分で一話完結で見せるお話は
毎回スピーディーな展開ですが
その分ぎっしりつまっていて
非常に見応えがあります。

鬱屈を抱えた気性の荒い青年が
悪の道に踏み込むか、
一線を超えず、真っ当な道を進むか…

その「わかれ道」のお話。

銕三郎(平蔵)は気性の荒い性格。
かと言ってガサツなわけではなく
繊細な感受性も持っているのでしょう。
根は真っ直ぐ。

でも、生い立ちと気性もあって
やけっぱちになりかけていました。

しかし一線を踏み越えずに済んだ。

それが、ある人との出会いのエピソードで
表現されています。

現実の世界でも、荒れていた人が
素晴らしい恩師や恩人に出会って…

というお話は枚挙にいとまがありません。

でも、そういう話を聞くと、
自分にはそんな出会いが無かったから…

と思ってしまうことがあります。

でも、本当はそうじゃありません。
どんな人に出会っていても、
そこから何を考え、何を感じとり、
どう捉えて、その結果どんな行動を選ぶのか?

それは全部自分で決められる。

例えば、今まさにあなたがそんな岐路にいて
この文章を読んだのをきっかけに、
見ず知らずの人間の言葉が何かに気づく
きっかけになることに思い至ったとしましょう。

この程度の文章では何も感じなくても
他の文章ならと古本屋にでも行って
運命を変えるような本に出会うかもしれない。

それこそ、池波正太郎さんの
「鬼平犯科帳」の文庫本を買って、
人情味にあふれつつハードボイルドな鬼平さんに
心震わされて、自分も真っ当なカッコよさで
生きていこうと思う人も出てくるかもしれない。

それは、全部、そうしようそう在ろうと思った
まさに今できることです。

自分で選べる。

わたしはお陰さまで、今までは”一線”を超えずに
真っ当に生きさせてもらえています。

ありがたいことです。

でも、反抗期のような鬱屈した時期を越え
大人になったからと、安堵していられない。

大人の余裕は楽しみつつも
不完全な人間としては”油断”をするつもりは
全くありません。

いつ、やけっぱちになりたくなることが
わたしたちを襲ってくるかなんてわかりません。

そう考えれば、いつでも「わかれ道」は
そこにあって、選び続けているんですよね。

…で、今もなんとか真っ当に生きれていられるのは
常々その道の選び方を間違えずにこれている
ということ。

逆に、いつも間違っていると思っている人は
次はいつもと違う道を選べば良いだけ。

それがわかるだけで、次の道を正しく選ぶ力が
誰にも備わっていると思えますよね。


             全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする