2017年03月27日

ドラマ「A LIFE〜愛しき人〜 #9」なにも聞かないけど勇気づけることもできる



心理学は科学です。学問です。
ですから、基礎とは言え学問として
心理学を学んでいるとどうしても
頭でっかちになってしまっている自分に
気づかされることがあります。

カウンセリングもその科学からきた技術ですから
知識を活用した対話をもちろん行っていくのですが、
じゃあ何でもかんでもカウンセリングの
知識通りにやっていればいいのか?

というとそうはいきません。

リーダー研修なるなるものを受けてきた上司が
急にコーチングの技術を使って
面談をされたりしても、なかなか良い対話にならない。

なんてこともよくあります。

どうしてもその人の人間性や相性、
そして信頼関係が左右する領域は大きいでしょう。

いくら科学でも、人の心の全てを解き明かしきっている
わけではないのですから。

それでも、例えば、ドアオープナーと言って、
悩んでいるなとわかる相手に「話しを聞かせて」という
声かけをしたりすることがあります。

これは、本当に功を奏することはあります。

しかしだからと言って、悩んでいるな?と分かったら
誰かれ構わず、いつでも
心のドアをオープンさせれば良いわけではないですよね。

そもそも相談にのることだけが解決ではなく
本来は自らの気づきを手伝うのが目的。

その本質を見誤らないようにしなければ
下手に知識があるからこそ
”技に溺れる”状態になってしまいかねない。

やはり向き合うというのは技術以前に心と心ですよね。



春のせいでしょうか、勉強意欲がとても上がっています。
今のうちに色々なことを習慣化しておいたほうが
のちのち得をしそうですね。

ドラマ「A LIFE〜愛しき人〜」
第9話


深冬(竹内結子)が急変、脳内で出血し
沖田(木村拓哉)はもっと早く
手術をしていれば、と悔やみます。

そんなとき、壮大(浅野忠信)に
現職大臣のオペの相談が持ちかけられます。

日本初の難易度の高い手術で行うとこ決めた壮大は、
大臣の手術が成功したら
深冬は自分が手術すると沖田に言うのでした。

愛する妻の手術をするプレッシャーに
勝てることを大臣の手術で証明しようというのです。

本気かと問う沖田に、
壮大は「俺はお前とは違う」と言い放ちます。

それでも沖田は・・・。



最後の2話はまとめて観ました。
さすがTBS日曜劇場。
最後までしっかりと作られていました。

さて壮大、いよいよ最後の暴走でしょうか?

沖田は沖田でイラつきます。
父親の手術で一瞬でしたが自分の意に反して
手が動かなくなったことを
まだ、引きずっているようでもあります。

深冬の腫瘍は脳内の出血によって
また難しい手術が必要となっていました。

そんな中で壮大が暴走し始め、
自分は未だ父の手術のときの失敗を
引きずっている。

そして、そんな自分の内面を
井川にも見抜かれ指摘されてしまいます。

イライラしたまま沖田が実家に帰ると、
退院したばかりの父・一心が、
店のカウンターの中で包丁を研いでいました。

一心の体を気遣いながらも
イライラをぶつける沖田。

一心のいつもの悪態を軽く流せなくなっています。
何かあったなと一心は悟った様子。

しかし、「何かあったのか?」
なんてそのときは聞きませんでした。

一瞬、動きが止まっただけで
また作業に戻ります。

そして、自分のこととして、
自分の仕事に向かうときの心構えを短く伝えます。

それで十分でした。

沖田は、自分が余計なことに捕らわれていたことに
気がついたのでしょう。

父の姿勢を観て、「病院に戻る」と
出て行ってしまいます。

一心が言った言葉は…
「雑念は入らねぇ。一途一心だ」
と、まさにそのキャラクター設定どおりのイメージ。

それでもあくまで自分の仕事の準備に対する話であって
沖田の話を聞いたわけでもないので、
沖田は相手が相手の話をしている中で
自分で勝手に気づいた…と思っている状態です。

まさに、カウンセリングの目指すところです。

でも、こういうことはわたしたちは
カウンセリングの技術なんて学んでいなくたって
日ごろやっていたりしますよね。

相手が大切な人であればなおさら
土足で踏み込むような野暮なことはせず
相手を慮って、見守る。

そういう気づきの促し方、勇気づけの仕方をしますよね。

心のことを勉強するには、
知識だけ詰め込んでもダメです。

人と人の心の触れ合い。

知識なんてそのためのほんの参考に過ぎません。

本物はもっと、今目の前の関係の中にある。

相手のことをどれだけ思っているか?

一心のわが子を思う親ご心。

これに勝るカウンセリングなんてないでしょう。


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2017年03月26日

ドラマ「下剋上受験 #10(最終話)」その2 パラダイムシフト(価値観の転換)の起こし方



日本人は勤勉。

そう言われていました。

実際にそうだった時代もあるし
それは素晴らしい文化であり習慣でもある。

日本人の細胞に培っている気質、
財産だと思いたい。

だからこそ「お勉強」する
というのがどういうことなのか?

暗記してテストで良い点をとることではない。
インプットしたままアウトプットするのではない。
猿真似の訓練ではない。

さらに良い未来に今をつなげるための
創造のための準備、
材料や道具、技術を集めている。

それが勉強。

ということを前回
ドラマ「下剋上受験 #10(最終話)」勉強ってなに?を捉えなおしてみる。
の記事で書きました。

だから、
学歴が足りなかったから勉強する
知識を詰め込む為に勉強をする
資格をとるために勉強をする

という発想からもう一歩先へ
勉強というものを捉えなおしてみよう。

という意図で書いたものです。

世界が変わる。とは、
自分のものの見方が変わるということです。

世界が違って見えるということです。

世界はわたしたちが捉えるようにできている。
だから世界を変えたければ、
自分が世界の捉え方を変える。

それがパラダイムシフトということですよね。



新しい靴をおろしました。
普段、履き慣れた靴は、底が割れて
雨の日は水を吸い上げてしまいます。
でもまだまだ靴としては十分に履けます。
だから晴れの日用と雨の日用に
分けてみることにしました。

ドラマ「下剋上受験」
第10話


佳織が桜葉学園に落ちて
祝賀会の予定がお疲れ会に変わってしまった夜、
信一が「ウサギとカメ」の
タイトルについて話します。

もともとは「油断大敵」というタイトルだったのが、
エリートたちによって「ウサギとカメ」に
書き換えられたのだというのです。

要するに、エリートとそうでない人たちの差は
エリートがちょっとやそっとさぼったり
怠けたりしたからって簡単に縮まるような
ものではないってことだろう・・・と。

一夫や信一はそんなふうに解釈している様でした。

その後、香夏子が違う中学の受験票を出し
佳織は新たな受験に挑みます・・・



おうよう桜葉学園しか見えていなかった信一が
佳織や周囲の視線の中で、
自分の価値観、捉え方を変える瞬間が
描かれていました。

さて、「ウサギとカメ」の真相はともかくとして、
「油断大敵」というのは、確かに
ウサギとカメの話を子どもの頃に聞かされて
最初に考える教訓ですよね。

ちょっとできるからって油断していると
こつこつ頑張っている人に追い抜かれるよ。

とか、人が遊んでいる間に努力した人が勝つんだ。

とか・・・

そういうことを教えられる物語。

でも、それだって一つの解釈にすぎません。

本当にこの作者はそういう教訓を得て欲しくて
この物語を書いたのでしょうか?

解釈はほかにもいくらでもできそうではありませんか?

だいたいなぜカメがウサギの得意分野で
勝負しているんですか?
海で泳ぐ勝負だったらどうなるのでしょう?

それとも他人のフィールドで頑張れという
メッセージですか?

ほかにも陸の勝負だとしても、
ぴょんぴょん飛び跳ねずにいかに
ゆっくりじっくり進めるか?
という勝負なら?

もっといえば、勝ち負けにこだわらないという
心の勝負だったら?

「油断大敵」というタイトルをエリートが
「ウサギとカメ」に変えたといいながら
エリートをあっち側の人、
凡人をこっち側の人、
みたいに捉えたままわが子を勉強させて
いい学校に行かせたのなら
わが子にはあっち側のエリートになって欲しい
という考え方になってしまいます。

でも、佳織が言った「世界が変わる」

はそういうこととはぜんぜん違うはずですよね。
勉強をして、それまであっち側だと思っていた
世界に言ってみたら、
思っていたのとは全く違っていた。

あっち側とかこっち側なんてことではなくて
もっとすてきな世界が広がっていた・・・

ということでしょう。

だから、あんな風に幸せでいられる。

信一も本を書いてベストセラーになるほど
ですから世界が大きく変わったはずです。

生活が変わったという意味ではありません。

世界の見え方が変わったはず。

もちろん、勉強してもあっちからこっちへ
移っただけで世界の見え方を変えられない
人たちもいるわけですよね?

学歴で人を判断するような人たちは
少なくともそういう部分をまだ残している
と感じるのはわたしだけではないでしょう。

でも、そういう人たちを憎んだり
見下したりもしていられない。

そこにはやはり努力があった訳です。

エリートになって、
そうじゃない人をバカにする人も、
バカにされて学歴コンプレックスを持っている人も、

どちらもまだ同じ世界の見方をしている。

まだ心の傷を癒せないでいる。

世界を捉え直すには、自分の傷、
相手の傷の痛みをわかろうとして、
視線を全く違う方向へ向けることです。

生きることは、本来全ての瞬間が学び。
だとするとなにも学んでいない人なんていないし、
全ては他の人にはない独自のもの。

だったらその人にしかできないものの見方がある。

このドラマの何話目だったかで
信一たち中卒組の前で、
エリートの徳川がどんな思いで頑張ってきたか
打ち明けるシーンがありました。

信一たちはあの時に
パラダイムシフトが起きたでしょうし
徳川も信一との交流で大分変わりました。

わたしたちは自分にしかできなかった学びを
他の人たちと分かち合うだけで
自分も相手も、世界の見え方、捉え方を
変えていける。

世界を変えていけるのではないでしょうか?


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2017年03月25日

ドラマ「下剋上受験 #10(最終話)」勉強ってなに?を捉えなおしてみる。



このドラマの感動的なラストで
受験をのりきった後、中学生生活を送っている
佳織の言葉がとても印象的でした。

「勉強は、世界が変わります」

これは真理ですよね。
誠の理。とても当たり前の理屈。

勉強をすれば世界が変わる。

でも、不思議なことに社会人になってみると
沢山勉強をしてきて
そこそこの大学を出たエリート
・・・のはずの人たちが自分の世界を変えられず
四苦八苦しているのでしょうか?

それは結局、エリートというには中途半端で
勉強が足りなかったということでしょうか?

そこそこの学歴じゃダメで
やはり東大とか慶応とか名のある大学を出て
官僚なり医者なり弁護士なりに
なれるくらいの学力を付けられなかった
”負け組”ということなのでしょうか?

今でも、朝の電車の中や朝のコーヒーショップ
などなど、スーツを着た働き盛りの
おじさんたちが黙々とお勉強をしています。

わたしもそんな中で、勉強をしているひとりです。

さあ、コレでどう世界が変わるのか?



やっと観ていなかったドラマを
まとめて見れました。

ドラマ「下剋上受験」
第10話(最終話)


を観ました。

約1年半かけて桜井家が挑んだ中学受験。
その結果が今出ようとしていました。

佳織(山田美紅羽)に中学受験をさせる
と決めてから約500日。

紆余曲折を経て迎えた桜葉学園の合格発表。

信一(阿部サダヲ)と佳織は合格者の
受験番号が張り出された掲示板から
自分の番号を探します。

一方、香夏子(深田恭子)や一夫(小林薫)
居酒屋ちゅうぼうの仲間たちは
信一からの連絡を待っていました。



この作品も息子を妻が先に観ていて
「面白かった〜!」
と気持ちを込めて言うほどですから
ただのまとめ的な終わり方には
ならないだろうと思っていましたが
最後までちゃんと面白く、感動的に
魅せてくてましたね。

このドラマに関しては、わたしは第一話から
危惧しているというニュアンスを含めて
取り上げてきました。

誤解のないようにいっておきますが、
このドラマ大好きですよ。
毎回のように感動して泣いていましたからね。

家族全員で楽しみに観ていました。

でも、危惧はずっとしています。
アドラー心理学の団体と衝突したり
視聴率で伸び悩んだり、いろいろ話題のあった
「嫌われる勇気」よりずっと多くの人が
ある注意をしながら楽しむべきドラマが
この「下剋上受験」だと思って観てきました。

最後までその感触は変わりませんでした。

それは、なにかというと、
「お勉強」に対する捉え方です。

世の中にはお勉強ができてバカな人は
いっぱいいる。

学歴にコンプレックスがあって、
’エリート’という言葉にトゲを含ませてしまう
人たちの多くはお勉強ができてバカな人に
ひどい扱いを受けたりした経験がある人も
多いはずです。

でももちろんエリートの中にだって
マトモな人はたくさんいますよね。

このドラマに出てきた楢崎や徳川社長などは
マトモな人たちの方に入るでしょう。

そして、今現実に朝勉をしている社会人の人たち。

彼らもきっとそうでしょう。

でも、何かがズレている。
わたしたちがやらなきゃならないことって
そういうことじゃないんじゃないかな?

と、ずっと思っています。

新しいことを覚えるのはとてもいいことです。
でも学力を付けること、英検何級とか
なんたらの資格をとるとか、
そういうことではないんですよね。
勉強って。

たくさん勉強したはずなのになんで?
まだ足りないの?

と思っている人たちにこそ、
お勉強に対する捉え方を変えてみて欲しい。

お勉強はすれば学力はあがります。

佳織は公立とは違う学力という意味で
レベルの高い学校に行きました。

でも、佳織自信もそういう意味で
世界が変わると言ったわけではないですよね。

勉強をする喜びを知ったのでしょう。
それは、学ぶことそのものへの探求心かもしれないし、
学んだことでつながる新しい出会いかもしれません。

いずれにせよ、学ぶという行為により
知らなかったことを知り、
知ったことを使って、新しい可能性や価値を
自ら作り出していけている。

だから世界が変わる。
自分の人生、自分の世界を変えていける。
そういう意味ですよね。

英語力があがれば転職に有利なのも
資格があればキャリアアップに有利なのも
よくわかります。

でも、その英語力を使って誰になにを伝えるのか?
誰とどんなことを語り合うのか?

その資格勉強で身につけたスキルを
自分のどんな特性と組合わせて
どんな新しい価値を生み出していくのか?

そういうことですよね?

いっぱい勉強をがんばってきたのに・・・

そう、いっぱい頑張ってきた。
でもそれは今を変える力ではありません。
今を変える力を生み出す材料にすぎない。

いっぱいお勉強をしてきたというのは
いっぱい材料を集めてきたということ。

あるいは効率よく材料を集める
訓練をいっぱいしてきたということです。

じゃあ、次になにをするのか?

その材料を使って「作る」「造る」「創る」

あなたなりの今を変える力を生み出していく。

それがお勉強を頑張って
世界を変えるということです。


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2017年03月24日

アニメ「鬼平 #11 むかしの男」そして、あなたはイイ男




結婚するまでは身体の関係を持たない!

みたいなことが当たり前だとされていた
大昔ならいざしらず、
いまの時代に、恋人の過去を気にする男が
実は結構多いようですねぇ。

まあ、時代に関係なく
0歳で生まれて一生懸命思春期を乗り越え
成長していくのは一人の男の一生として
今も昔も変わらないということでしょうか?

そう考えると、その操の守り方に対する考え方、
貞操観念がいまよりもずっとずっと厳格だった
その大昔に、こんな態度でいられた
この男は本当に器の大きな男だったんでしょうね。

今の時代に観ても、普通にそう感じるのですから
イイ男、そして、イイ女というものの
根本的な基準というのは変わらないものなのでしょう。

それが本物ということなのかな。



ドラマ「弱虫ペダル」を見たときに思いましたが
やはり元の話が良くできていると、
アニメ化だろうがドラマ化だろうが映像作品も
良いモノができるんですかねぇ。
いや、原作を殺しちゃう映像化失敗もあるもんな…
やっぱり、これもかなり成功している作品ですよ。

アニメ「鬼平」
第11話「むかしの男」


平蔵の留守中、妻の久栄にある男から
手紙が届きます。

手紙には
『明日四ツ、護国寺、門前の茶屋よしのやまで…』
と書かれていました。

差出人は近藤勘四郎。久栄は息を飲みます。

近藤はむかし久栄が初めて恋仲になった相手でした。

一人で指定の場所に出向く久栄。
ふすまを隔てて対話する久栄と勘四郎。

「長谷川平蔵の妻を、何用あって呼び出された」
と毅然とした態度をくずさない久栄でしたが、
去り際に「屋敷へ戻って、驚くなよ」と勘四郎に言われます。

屋敷に戻った久栄を待ち構えていたのは…



むかし、父が中村吉右衛門さんの
ドラマ「鬼平犯科帳」を観ている時、
わたしは中学や高校生だったころですが、
多岐川裕美さん演じる久栄を観ながら
「この奥さんがまがイイ女なんだよ〜」
と何度も言っていました。
「うちのお母さんも負けてないけどよぉ」
という一言を忘れずに(笑)

十代とは言え、そのころはわたしも
大人への階段を上っていた頃…

一緒に観ていて分かりました。

器量のいい女性というのがどういうものか。

今回の話の最後で鬼平が久栄のことを
「イイ女だ」と勘四郎に言うシーンがありますが
一緒に観ていた息子は「そして、あんたはイイ男だ」
と鬼平に向かってつぶやいていました。

12歳の少年にも分かる、これは男の器量でした。

それだけ、根源的なカッコよさなのだと思います。

勘四郎が牢屋に入っていて、
出張から戻った鬼平が何を企んだんだ?と
聞きます。

勘四郎はただ、自分が久栄の昔の男だと
バラしてやりたかっただけです。

鬼平は笑います。

そんなことは承知の上で娶ったんだよと
笑い飛ばすわけですね。

まあ、勘四郎がまたちっちゃな男だったわけです。

それだけに、イイ男・イイ女の見本のような
鬼平と久栄の器量の大きさ深さが
分かりやすく浮き彫りにされました。

どうすれば、自分の器を広げられるのか?

わたしたちは男も女も関係なく、
常々探求していきたいものです。

あなたはイイ男ですか?イイ女ですか?


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2017年03月23日

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION #11 決着」先輩が尊敬されるときってどんなとき?



この人の言うことなら素直に聞けるな。
と思える尊敬する先輩がいます。

しかし、わたしは自分が先輩として
ある程度の尊敬を受けなければならない立場
になると言うことを考えたことが
ありませんでした。

というか、今でも考えるのは苦手です。

でも、今回のお話を観て考える機会を得ました。

そして、安心しました。



3週連続でワクワクさせられながら
泣かされています。

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION」
第11話「決着」


を観ました!

1年生ウェルカムレースは、
2年の杉元も参加して混戦。

1年生の大本命、鏑木と段竹、
そして弟・定時とのシンクロ走法で
驚異の追い上げを見せた杉元。

両者のゴール争いが白熱します。

杉元の想定外の食らいつきに
動揺した鏑木の目を覚まさせたのは
彼がインターハイを走ることを
信じて疑わなかった段竹でした。

・・・そして、ウェルカムレースのあと

鏑木は先輩らしくない坂道くんに
不満を抱くのでした・・・



まだ、観ていない人も多いでしょう。

あらすじは、控えめにしておきます。

今回おもしろかったのは
・・・全部ですが・・・
アツいレースの部分は置いておいて
描かれ方がおもしろかったのは
鏑木視点による『先輩らしさ』でした。

レース後、鏑木は自分の背中を押す杉元を
先輩として尊敬します。

しかし、いつも気弱でひ弱な感じで
オドオドしている坂道くんのことは
尊敬できない。

この対比と、鏑木が杉元と坂道くんを
尊敬し始めるまでのプロセスが
面白かったんですね。

レース中、鏑木は杉元のことも
「へぼい」やつだとタカをくくっていました。

その「へぼい」はずの杉元が
想像を絶する食らいつきを魅せます。

鏑木が体験したことのないほどの
衝撃だったようです。

ソレもそのはずです。
エースの今泉や鳴子、キャプテンの手嶋たちでさえ
驚くような走りだったのですから。

そして、坂道くん。

鏑木と坂道くんは練習で、組まされ
マンツーマンの練習という名のレースをします。

坂道くんも牧島先輩と走りましたね。
アレです。

先輩らしくない坂道を置いて、
ぶっちぎったつもりの鏑木でしたが、
登坂で独り坂道への不満を吐き出していると
「ごめんね」とすぐ後ろから聞こえます。

坂道くんは最初からぴったりと
張り付いていました。

鏑木はそれでも気弱な坂道くんに
「本気で走って下さい」といいます。

そして、本気で坂を上り始める坂道くん

鏑木が坂道くんを尊敬し始める瞬間です。
とんでもないハイケイデンスによる登り。
しかも楽しそうに笑顔。

つまり、鏑木が先輩たちを先輩として
尊敬し始めたポイントはギャップ。

ただ、「じゃあギャップを魅せればいいのか」
とまるでモテない男子がモテるように
なるマニュアルを読んだときのように
単純にギャップを演出しようとしても無駄です。

これはあくまでポイントの一つ目。

大事なのはここからです。
そのギャップはなにによって生み出された
どんなギャップなのか?

です。

杉元が本気で尊敬され始めたのは
レースでの衝撃がきっかけではありませんでした。

その後で、杉元は鏑木の背中に手を当て
思いを伝えます。

杉元は格好を付けたかったわけではありません。
ただ素直にそうした。
自分の全てを出し切った後の
澄んだ気持ちだったのでしょう。

坂道くんの登りもそうです。
素の坂道くん、つまり先輩らしくしなきゃとか
ヘんな気負いのない坂道くんです。

自分の素の部分で、しかも本気を出している。

素で本気、これがあるから伝わる
『本当のその人』というのがある。

普段の姿とは違う本物をそのときに感じる。

これがギャップにって大事なこと
なんだと思います。

そしてこれは、ギャップを意識するようなことで
生まれるものではない。

素なのですから。

そして、杉元と坂道くんにはもう一つ共通点が
ありました。

それは後輩への思いやりです。

素とはいっても
自分のことしか考えていないのではなく
素のままで、後輩を思いやっている。

つまり、素直に先輩になれていたんですね。

わたしも気がつけば、
先輩として扱ってくれる後輩がいます。

尊敬されることを意識してやってきたことはない。
でも、それでいいんだと思いました。

ただ、自分にできることを素直にやって、
目の前にいる人、これは後輩だろうが
同僚だろうが、先輩だろうが
家族だろうが関係ないけれど・・・
その人への気配りを持てるくらいの自分では
あろうとすること。

それだけはいつも意識していければ
自然と先輩をやっていることになるんですね。

あなたも素で一生懸命楽しんで
ほんの少しだけ、周りの人に気配りを
分けてあげてみて下さい。


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