2016年12月31日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 下 おうぎダーク 西尾維新 著 講談社」正しいことって間違いを正すこと?



あばたもえくぼで恋人のことを愛おしいと
思えていた時期は三年で終わりをつげる。

わたしは本をよく読むので
どこかでその知識を得ていました。

たしか脳科学とか大脳生理学とか
それ系の本です。

恋愛感情、恋心というのは脳の構造上
三年で終わる。
脳内の分泌物が三年以上同じ相手には出ない。

…らしい。いや、もうどの本だったかも
全く覚えていませんし、だからこうすれば…
みたいな対策も書かれていたのかもしれませんが
それも覚えていないくらいなので
どの程度正しい知識かも定かではないですが、
科学的にそういう側面があるのは本当でしょう。

そう言われて腑に落ちる人だって多いはずです。

わたしはそれを分かっていたので
妻との結婚を決める時も覚悟していました。

永遠と続く恋人のような夫婦なんて幻想。
その幻想を現実にしたいのなら、
それ相当の努力がいる。

それは、相手がどう在ろうともその全て…
これから見えてくるであろう嫌いな部分も全てを
受け止め好きも嫌いもひっくるめて愛『を』していく。
『愛を行っていく』そういう覚悟です。

だから、相手の欠点がどんどん見えてくることも
自分の欠点がどんどん相手に見えて行くことも想定内。

価値観の相違も、性格の不一致も全部想定内。

ケンカのときにそれを持ちだすと
妻には「元も子もね〜」と呆れられますが(笑)

我ながらスゲェ覚悟をしたもんだとも思いますが、
それもまた幸せな家庭を築いていく人たちの
誰もが当たり前にやっていること。

「逃げるは恥だが役に立つ」でも
「騙し騙しでも…」夫婦をやって行こう
みたいなセリフがありましたよね。

さて、相手の欠点がどんどん見えてくる。
そしてケンカになるとき、それを指摘し合うことになります。

あれがダメ、それがダメ…と。

指摘しているほうからすれば、
「自分が正しくてお前が間違っている」
ということになる。

自分は相手の間違いを指摘している。
間違いを正そうとしているのだと…
感情的には、自分がとっている立場って
そういう立ち位置にいる。

そういう構造ができあがっていますよね。

でもそれが正しい行いなのかというとそうではない。

正しい行い=間違いを正す

ではないんですよね〜
これはオトナこそ、学んでいかなければならない
大切な大切なテーマなのではないでしょうか?



完結!いい終わり方だ!と良い読後感を得て、
また一抹の寂しさを感じつつ書店で手に取ったのは
「続・終物語」(笑)
“再終話”ということらしく、それがホントの
ファイナルシーズンの最終巻になるそうです。
その前にこちらの紹介を終えておきます。

小説「終物語(オワリモノガタリ)」
下巻 「おうぎダーク」 西尾維新 著 講談社


この巻でほこれまでの物語シリーズの
ほとんどの伏線が回収されます。
(すべてではありませんでしたが)
感動的で気持ちのよいラストとなっていました。

一話目「まよいヘル」で
いったん地獄に落とされた阿良々木くん。
生き返って怪異の専門家の元締め
臥煙伊豆湖との話で、“敵”は翌日の夜必ず動く…

それまでは阿良々木くんは受験生に戻ろう。

ということでその日の受験に挑むことになりました。

二話目の「ひたぎランデブー」では
受験を終えた阿良々木くんが疲れ果てて帰宅すると
戦場ヶ原ひたぎが家の前で待ち伏せ。
そして、翌日はデートをしましょうと誘います。
恋人と言えど高校三年生…受験生。

二人は受験勉強に集中し、
高校生の恋人同士らしいことをほとんどしていない。
その分を明日一日で埋め合わせるのだと。

明日は卒業式の前日でもあり、
ホワイトデーでもありました…

そして、戦場ヶ原とのデートを終えた阿良々木くん。
夕方帰宅すると前日戦場ヶ原が待ち伏せていたように
今度は後輩、一年生の忍野扇が待ち伏せています。

そして三話目「おうぎダーク」

扇ちゃんとお話をしたあと、一人で浪白公園へ。

阿良々木くんを待っていた臥煙さんたちと合流し
いざ、最後の戦いに向けての作戦会議。

というより、敵の正体…謎を明かされながら
お互いの望みを確認し合う中で、
阿良々木くんのすべきことが見えてきます…



このシリーズ。初めて触れたのはアニメです。
当時小学5年生の息子がTSUTAYAで
「終物語」のアニメのDVD化の予告を見て
アレを観てみたいと言い出したんですね。

忍野扇と阿良々木くんが不思議な教室で
向き合っているような不思議な予告編。

それからこれが「化物語」から始まる
物語シリーズだと知り、順番に観て行くことにしました。

初めは息子が観ているのをチラチラを
観ている程度でした。

「おかしな雰囲気のアニメだな…心理描写みたいな
会話みたいなセリフばっかりで、しかもなんだ?
変態エロアニメか?子どもに見せていいのか?」

そんな風に思っていたら息子は
「めちゃくちゃ面白い!忍野メメがかっこいい!」
と食いついてしまいました。
「不味かったかな〜」と思いつつ、
わたしも最初のエピソード「ひたぎクラブ」を
ちゃんと観てみることに。

すると怪異の専門家忍野メメが
体重を失ったツンデレ少女戦場ヶ原ひたぎにいいます。
「助けない。君が勝手にたすかるだけ」
そして戦場ヶ原は自分の感情と向き合い
重みを…重さを引き受け、体重を取り戻します。

六年生になり活字慣れしていない息子に
どんな本なら読んでみたいと思う?
と聞いたときに出てきたのが「物語シリーズ」

ということで、「化物語」上巻を買ってやり
まずはわたしが読んでみました。

アニメよりも地の部分での説明がわかりやすい分
本来のテーマがしっかりと読み取れる。

「これは、君がこれから“大人は何にも分かってない!”
って思う年代になっていくときに自分と向き合う
いい本だから、チチが揃えてあげる。
読みたいときに自分のものにしていいから」

と買い始めました。そして、最後のクライマックス。
「終物語」下巻、わたしが最初に感じて
息子に買ってやる理由として挙げたテーマ

“自分と向き合う物語”

それを最後まで貫き通してくれていました。

阿良々木くんです。今回ガッツリと自分と向き合うのは。
主人公です。

正しい行いって何なんだろう…

正しさや正義という言葉のもとに
「間違いを正す」という行為をする人はいます。

でも、『間違いを正すこと=正しい行い』
で良いのだろうか…?

「まよいヘル」で投げかけられた質問を
「ひたぎランデブー」で無意識の中で投げかけられ
「おうぎダーク」で阿良々木くんなりの答えを迫られる。

正義の味方や正義そのものだと名乗る
二人の妹たちに「お前たちのは正義ごっこだ」
と言い切ってきた阿良々木くん。

しかし、じゃあ正しい行いとはなんだ?

と問いかけたときに、自分でも答えを出せない。
妹たちの間違いは指摘できても…

そうですよね。

間違いを指摘して正そうとすることが
正しい行いだとは限らない。

なぜなら、正しさなんて人の数だけある。
だから正されそうになったほうも攻撃する。

オレは間違ってない!おかしいのはお前だろう!

確かにやってはならないこと=本当の間違い

だってあります。

それでも、その人にとっての必要な行いだったのなら
法律や倫理や道徳を取っ払って考えたとき
それはその人にとっての“正”になる。

それは極論ですが、極論でシンプル化して考えなければ
自分以外の人間との付き合い方は見えてきません。

それは自分の正しさとはそぐわない
正しさを持った人たちとの共同生活ですから。

そして、自分の正しさに忠実になりすぎて
今度は自分の中の矛盾を許せなくなる人もいる。

正しさに縛られ過ぎると、自分を愛せなくなる。
正しいことを求めること自体が正しいことなのか?

阿良々木くんだけではありませんよね
わたしたち全員、そのテーマは
いつも考えてその瞬間瞬間での
答えをひとまずでも出していかなければならない。

阿良々木くんやその周りの子たちの
抱える問題はとても厄介ですが、
とてもとても真っ当に向き合い成長する姿を
見せてくれます。

これから親や先生をはじめとした大人たちを
入り口として息子自信のこころのモヤモヤが
発動し始める…息子の青春が始まる。

辛いこともいっぱい、喜びもいっぱいあるだろう
青春を生き切って欲しいから、その願いを込めて
まだ子どもの息子に買って“あげる”物語。

申し分ないと思います。

では、よいお年を!!

              全ての物語のために










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2016年12月30日

小説「張り込み姫 君たちに明日はない3 #1 ビューティフル・ドリーマー 垣根涼介 著 新潮社」人生がぶれていると思ったら読んでみて



モラトリアムという言葉がありますね。
わたしはこの言葉の意味を調べることから
長い間逃げていました。

なぜなら、その使われ方から
なんとな〜く、
「それオレのことじゃね?」
みたいな嫌な予感がしていたから。

もともとはハッキリした夢を持ち
社会に出たので、自分がふらふらしているなんて
思ってもいなかったんです。

最初に就職した東京での一年間の生活をやめ
福岡に戻りフリーターをやっていた時も
映像作品をとったり脚本を書いたり、
とにかく目標はハッキリしていた。

しかし、遅まきながらそのやり方に限界を感じ、
改めて自分の生き方を振り返ったとき…

愕然とします。

履歴書…転職活動のために書いた履歴書。

その経歴の一貫性の無さに自信が崩れていきました。

そりゃそうです。一本通っていた夢のカタチという軸が
無くなったわけですから、生活のために
その軸の周りにくっつけていた部分だけになった。

かと言って、夢を諦めたわけではない。
でも夢のカタチが定まらない。

やりたいことは山ほどある。
やりたいことがないなんて悩むことも、
やりたいこと探しなんてことも
わたしには必要は無かったのですが、
やりたいことが定まっていない…

それはやりたいこと探しをしている人たちと
何も変わらない…

モラトリアム・・・いい歳してなにやってんだ…
この感覚との戦いは本当に長い間苦しかったですね〜



大好きな作家さん。ですが暫く持っている作品の
読みかえしばかりしていました。ブログの読者さん
に感想を教えてもらい読みたくなりその日にブックオフでGET!
いつの間にかシリーズ5作品出ているんですね〜

小説「張り込み姫 君たちに明日はない3」
第1話 「ビューティフル・ドリーマー」
垣根涼介 著 新潮社


を読みました。

リストラ代行業者日本ヒューマンリアクト(株)
のクビ切り面接官、村上真介。

その日は彼の三十五歳の誕生日でした。

誕生日の日も、面接の仕事はしています。
いつものようにアシスタントの川田美代子から受け取った
ファイルに目を通し、被面接者の経歴の最終確認。

そして被面接者を呼び出します。

武田優子、二十八歳。

履歴欄を見て、腑に落ちないものを感じる真介。
大学は哲学科卒。その後、スイスにある
ホテルの専門学校に留学。
帰国してわずか半年のホテル勤務。
その後の一年のブランクを経てこの英会話学校に入社。

このちぐはぐさ…どうもこの女のイメージングができない

一回目の面接を終えた真介は
恋人の陽子とのデートに出かけます。

優子は両親と妹に自分の状況を説明し…



シリーズの作品の中では比較的短めの作品です。

しかし、この優子に共感めいた感覚を
抱いてしまいました。

この「君たちに明日がない」シリーズは
大好きなのですが、じつは読んでいて
“居心地”の悪さを感じます。

どこに居る居心地だよ…という話ですが、
物語の読者、受け手、
お話を楽しむ自分…という居場所での
居心地です。

なんと言うか、作者さんか、登場人物か
あるいは実生活での家族や友人たちか…

そういう人たちの中での自分という
ものの観方をしている自分に対して
気まずいというか、居住まいを正したいけど
上手く行かなくて取り繕えない居心地のわるさ。

その中でも、この優子の勤め先の
選び方に対するスタンスは
わたし自身に近いものを感じてしまい
余計に落ち着かなくなりました。

このお話でリストラ=自主退社に応じるか応じないか?
その帰路に立たされる英会話学校の講師、優子もまた
その一貫性のない経歴に思うところがあるようです。

厳しい妹の言葉、自分の世代の生き方が
現代を生きる上では正解にはなりえないことを
よく分かっている父や母。

彼らの愛情の中で、優子なりの清々しい答えを出します。

しかし、わたしはこの答えにまた
居心地の悪さを感じました。

自分に置き換えたら空恐ろしくなりました。
でも、優子の世界の捉え方は素敵です。

今までのわたしが自分に対してやってきたこと…
にかなり近いものがあります。

でも、わたしはそろそろそこから脱出したい
とも思っている。四十一歳ですからね。

いま、このタイミングでこのシリーズを読むことを
再開したことはわたしにとっても
とても大きな意味があることなのかもしれません。


               全ての物語のために








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2016年12月29日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 下 まよいヘル 西尾維新 著 講談社」その2 つくりものの世界の生きた言葉



自分の胸に腕を突っ込んで魂の玉を取り出す。
超人たちがそうやって死んだり生き返ったりする。

わたしが小学三、四年生のころ流行った
「キン肉マン」の中で描かれた描写です。

その描写を見て、自分たち現実の人間が
死んでも生き返ることができるなんて
勘違いをしたことなんて一度もありません。

命はこの人生、たった一度きりのもの…
アニメやマンガと現実の違いは
しっかりと意識して認識していた記憶があります。

「ああ、これはアニメの世界のことだな」
と言葉にしてリアルに自分の中で
確認した記憶がはっきりとあるんですね。

だから、マンガやアニメ、ゲームが
命に対する現実的な尊さを学ぶ弊害になる…
なんて論調には賛同できません。

したくない。

ただ、一方で、生きている意味がないなんて
自分で命を絶つ子供が実際にいる現実は
残念極まりない。

そんな世の中をなんとかするなんて
大それたことは言えなくても
一人でもそういう子は減らしたいし、
自分の子にもそんな選択はして欲しくない。

だから、やっぱりここはずっと考えて
生きていくことになるんだろうなと思っています。



さすがに総決算とあって、また、アニメにもなっていない
初めて知る物語というのもあって、読むスピードが
かなり上がりました…

小説「終物語(オワリモノガタリ)」
下巻 「まよいヘル」 西尾維新 著 講談社


のみならず、全エピソード読破しました。

春休みの吸血鬼との遭遇、
一学期、戦場ヶ原との出会い…

などなど、この一年のはじまりを
再現されたような阿鼻地獄を
八九寺真宵に案内されながら
ついていく阿良々木くん。

八九寺はある人物の代理できていました。

そしてそのある人物から
敵の正体を教えられた阿良々木くんは
現世へと戻ることになるのですが…

つまり生き返ることになるのですが、
この瞬間に、またこれ、
とんでもないことをとっさにやらかしてしまう
阿良々木くん。

生き返ると臥煙伊豆湖に殺されてから
一分と絶っていませんでした。

そこで待っていたのはもちろん
臥煙さん、そして阿良々木くんが
死んでしまったことで彼の影と呪縛から
開放されて完全体として復活してしまった
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。

臥煙さんは、阿良々木くんのミラクル加減に
呆れながらも、感心するのでした…
そして言います。

「反撃開始だ」と…



(笑)もう、あらすじもアラ過ぎますね。

でも、ここをネタバレするのは
まだ読んでいない人にとっては野暮だろう
と思うんですよね。

でも、出来るだけ紹介したい!!!

だからどうしてもこういうバランスになっちゃう。
ご勘弁ください。

さて、こんかい阿良々木くんが
地獄に落ちたところから話しが始まって
生き返って現世に戻るところで一話目の
「まよいヘル」が終わります。

地獄に落ちたときに阿良々木くんはふと思います。

死んだ後に地獄があることも
逆に天国があるということも、
現世を生きることへの真剣みを
削ぐことになるんじゃないか?

みたいなことを…

なるほどわからなくもないですね。
実際、現世が苦しいから
別な世界に行きたいみたいな感覚で
死んでしまう人もいるのかもしれません。

誰だって生きていれば
死んじゃったほうがラクかな…
なんて思ったことはあるでしょう。

本当に死んじゃいたいと思ったことが
ある人だって決して少なくないはずです。

わたしの経験から言えば
死ぬことを考える時は別世界に行きたい
なんて認識もなく、ただ存在そのものを消したい
ただ消えたい。ただ無くなりたい。
ゼロになりたい。

どうでしょう?違いますか?
死んで天国生きたいなんてメルヘンなことを
考えているうちは本当に死にたいなんて
思っていない気がするというのは
結局今は前向きに生きれている甘ちゃんの
感想でしょうか?

この第一幕「まよいヘル」のクライマックスで
語りべである阿良々木くんは地の部分で
このような表現をします。

 地獄があろうと天国があろうと。
 生きる意味は決して、なくなったりしない。
(P124より引用)


これは生きた言葉ですよね。

このお話は文学や文壇という世界から見たら
軽く見られるライトノベル、ラノベなんて言われる
軽視されているジャンルの小説です。

高校生が妖怪変化に遭遇し
萌えキャラとして読者たちを楽しませる
現実にはあり得ないマンガのようなお話です。

エンターテインメントというよりエンタメ、
エンタメというよりサブカル、
サブカルというよりアキバ系…

みたいな、とられかたもされていて
不思議でもないものです。
わたしもそんな偏見を持っていました
(ゴメンナサイ…)

アキバ系であることに誇りを持っている人には
失礼な言い方かもしれませんが、
ここまできたら軽視というより
作品としてはバーチャルな世界の
悪い部分をまき散らす弊害みたいな
扱いをされたりもする。

でもそのアキバ系の人たちも喜ぶような
萌え系エンタメの部分は
“生きた言葉を活かすためのもてなし”
純然たるエンターテインメントであり、
エンターテインメントだからこそ
本当に言葉が生きるんですよね。

難しい顔して(…してないけど)
こんなブログを書いている自分が恥ずかしくなるくらい、
エンターテインメントとして物語を紡ぎ
言葉に魂を起こす、言霊使いには叶いません。

天国があろうが地獄があろうが
生きる意味は無くなりはしない。

全ては今ここにある。

どこまでも、真っ当な作品です。
わたしたちは、自分の命の重さを実感して、
子どもたちがそれを分かるように育てていく。

いや、子どもたちは分かっている。
わかるように育ってくれる力を持って生きている。

わたしの息子はまだ小さい頃、
言葉を覚えたか覚えていないかのころに
妻が指に切り傷を作って少し血が出たのを見て
「ハハがしむ〜」と泣きだしました。

取り返しのつかなさを本能で感じたのでしょう。
傷つくことの怖さを知っていた。

学んだというより知っていたという感じです。

だから、子どもたちは大人が変なことをしなければ
真っ当に当たり前に知っている。

子どもたちが生きる意味を感じられなくなるのは
大人たちの責任なのでしょう。

子どもを産んでいようがいまいが関係ない
全大人にその責任を突きつけて余りあるほど
大きな責任だと思いますね。

世界をもっと面白くして魅せろ!

               全ての物語のために







ラベル:小説 終物語 オワリモノガタリ まよいヘル 西尾維新 講談社 その2 つくりものの世界の生きた言葉 魂の玉を取り出す 超人 死んだり生き返ったり キン肉マン 描写 現実の人間 死んでも生き返ることができるなんて 勘違い アニメやマンガと現実の違い リアルに自分の中で 確認した記憶 命に対する現実的な尊さを学ぶ弊害になる なんて論調には賛同できません 生きている意味がない 自分で命を絶つ子供が実際にいる 一人でもそういう子は減らしたい 自分の子にもそんな選択はして欲しくない 戦場ヶ原 八九寺真宵 阿良々木 阿鼻地獄 現世 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード 生きた言葉 軽く見られるライトノベル ラノベ 軽視されているジャンルの小説 エンタメ サブカル アキバ系 偏見 まき散らす弊害 生きた言葉を活かすためのもてなし エンターテインメントとして物語を紡ぎ 言葉に魂を起こす 言霊使い 子どもたちは分かっている わかるように育ってくれる力を持って生きている 学んだというより知っていた 取り返しのつかなさ 傷つくことの怖さ 本能で感じた 子どもたちが生きる意味を感じられなくなるのは 大人たちの責任 子どもを産んでいようがいまいが関係ない 全大人にその責任を突きつけて余りある 世界をもっと面白くして魅せろ!
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2016年12月28日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 下 まよいヘル 西尾維新 著 講談社」“成幸”したいステージに合わせて頭と心を入れ替える



自分が何を得たいのか?
自分がどうなりたいのか?
自分がどう生きたいのか?

それによって、選ばないといけないことがあります。

「そりゃあ、目的に応じて手段はかえないと」

…はい、そうですね。まさにその通り。

でも、実は行動だけ変えたってダメなんですよね。
結果が出ない。

じゃあ、何を変えればいいのか?

感情を変えないと本当の意味での行動は変わりません。
感情を変えるには、思考を変えることです。
価値観を変えることです。

自分の中のジョーシキを、
なりたい自分の姿に合わせたジョーシキに
変えていかないといけない。

価値観や感情を選びなおす必要がある。

価値観も感情も、選べるもんだという
ことから知っていかないといけないですよね。



アニメでも未だ語られていない未知のお話に
とうとう突入してしまったので、読むスピードに
拍車がかかってきました。

小説「終物語(オワリモノガタリ)」
下巻 「まよいヘル」 西尾維新 著 講談社


を読みました。

三月十三日、大学受験当日。
朝、恋人である戦場ヶ原ひたぎとの待ち合わせ前に
北白蛇神社へ出向いた阿良々木くん。

暴力陰陽師の影縫余弦と落ち合う意予定でしたが
影縫さんは来ず行方不明に…
それは阿良々木くんの吸血鬼化が急に
進行し始めた二月のことでした。

それから北白蛇神社へ通うことが
毎日の日課となっていました。

しかし、その日は別の待ち人、
影縫さんたち怪異の専門家の元締め、
臥煙伊豆湖がそこにいました。

「君が死ぬしかない」といきなり
阿良々木くんを輪切りにしてしまう臥煙さん。

目覚めた阿良々木くんの目の前には
半年ほど前に感動的にさよならを告げた
幽霊少女、八九寺真宵の姿が…

というのは、実は「暦物語」のラストシーン。

今回はその直後からのお話。

そこは地獄、それも阿鼻地獄だと
八九寺に言われた阿良々木くんは
案内するために待っていたという彼女に
ついていき思いもよらない人物と再会します…。



いよいよシリーズ完結編です。
その後、オフシーズンもシリーズで数冊
出ているらしいですが(笑)

この「終物語」下巻は、まだアニメ化されていません。
来月劇場版の「傷物語」が完結するので、
その後にはアニメ化されるかな〜と期待しています。

何かのインタビュー記事で総監督さんが
シナリオはすでに完成していて
どういう形で発表するか?という段階だと
仰っていたのを読んだ記憶があるので
きっと、アニメ化されないということはないでしょう。

ファンとしてはオフシーズンもアニメ化して欲しいですね。

「終物語」下巻は「まよいヘル」「ひたぎランデブー」
「おうぎダーク」の三話で構成されています。
ちょうど三幕構成。

今回、下巻のテーマは「正しい行い」について…
ということのようですが、
それは読破した後に取り上げるか取り上げないか…
後で決めるとして、

今回幕開けのお話の「まよいヘル」
地獄でも阿良々木くんと八九寺真宵ちゃんの
軽快なトークは健在でした。

しかし、何やらひねこびた弱気な発言の
阿良々木くんに真宵ちゃんが含蓄のある
厳しい助言をします。

ちょっと引用します。

「誰かに評価されることが前提じゃあないですか。
それでは、人がくれるものしかもらえませんよ。
もちろん、それが悪いというわけではありませんが――
阿良々木さんみたいに、手に余るものや身に余るものを
求めた場合は、そのやりかたでは無理でしょうね」
 いっぱい間違って。
 いっぱい失敗して。
 二の足を踏んで、地団太を踏んで。
 トライアンドエラーを繰り返し。
 非難轟々の末に――
「成功するしかないんじゃないですか?」
(P77-78より引用、改行はブログ筆者による)


成功するよりも失敗しない方が出世街道を歩みやすい…
なんていういかにも日本的な考え方に対して
そのやりかただと、
本当に欲しいものは手に入らないですよね?

という話をしたんですね。

誰かに評価されることが前提…
人がくれるものしかもらえない…

ゾッとしますよね。
自分が本当に欲しいものがそれだけならいいのでしょうが
明らかにそれ以上を求めている人には
看過できない言われようです。

そう、何かを創り出したり、新しい価値観を広げたり
誰からかもらうものではなく、自分で掴み取るもの
自分で創り出すことでしか成功できないことを
目指しているひとが、誰かに評価されることだけを…
ただ失敗しないことだけを目指していたってダメ。

組織の中でしか通用しない、
それもつまらない組織の中でしか通用しない
悪い意味での日本的な思考。

人からもらえるものだけではないものを欲している人が
そんな考え方をしているのなら、
そう考えてしまう感情の元と向き合って、
自分の思考パターンを変えていかなければならない。

これはもう社会人、いい大人でも
(わたし自身も含めてですが)
何度も何度も確認していかないといけないことですよね。

ジョーシキなんて言葉をつかって語られることが多い
悪い意味でのサラリーマン的思考。

そこから脱するには、自分が思っている「当たり前」が
本当に当たり前なのか?という疑問を
自分で持つことから始める必要があります。

そして何より、自分がほんとうにほしいものは何なのか?

そこをしっかりと自分で把握する必要があります。

これは、アンパンマンの歌でさえ歌われていますよね。

聞いたことがない方は、一度、
歌詞を考えながら聞いてみてください。



                 全ての物語のために







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2016年12月27日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 中 しのぶメイル 西尾維新 著 講談社」その6 その“努力”は本当に幸せのための“アクション”か?



ガマン大敵!

もうこれは、本当に自分に戒めて戒めて、
戒めまくっても、戒めすぎることはない。

非常に個人的なことですが、
わたしにとっては本当に重要で重い言葉です。

ガマン大敵!ガマンするな!
やりたいことは今やれ!
今やれることではなくても、
やれるようになる努力は今すぐ始めろ!

わたしには悪い意味でのガマン癖があるんです。

いい風に働くときはもちろん
忍耐強いということになりますよね。

それは決して悪くはない。

でも、ガマンばっかりしてきてわたしは
たくさんのチャンスを失ってきました。

結局、自分の好きなことを極めて
それで生きていくためには
できるだけガマンはせずに
どんどん好きなことをしてし過ぎることはない。

もう、当たり前のことですよね。

なのに、「将来すきなことをするためだ」
と好きなことを後回しにして、
ガマンして、“常識的”にしなきゃならないこと
を優先してきました。

それが常識だというのも結局は思い込みだったし
常識が正しいことそうあるべき模範的なこと、
というのも勘違いもはなはだしいことで、
取り返しのつかない時間を思うと
悔やんでも悔やみきれません。

やりたいことがあるなら、今すぐやるべきです。
ガマン大敵。

「ガマンしている」「忍耐強い」ことを
努力しているだなんて勘違いしちゃダメ〜〜!!



さて、アニメ化されている部分はすべて読破しました。
今は下巻を読んでいます。完結編の下巻。
しかしすでにその後のオフシーズン作品も
数冊出ている模様。飽きさせません。

小説「終物語(オワリモノガタリ)」 中巻 「しのぶメイル」
西尾維新 著 講談社


怪異の王、吸血鬼。
その吸血鬼の中でもトップクラスの能力を誇った
旧キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。

現在はその吸血鬼性のほとんどを失い
幼女の姿となり忍野忍と呼ばれる彼女。

600年近く生きてきた中で初めて眷属を作ったのが
400年前。
それ以来の二代目眷属が阿良々木くんです。

阿良々木くんは、復活した初代と、
忍の眷属の座を競って
決闘をすることになります。

「猫物語 白 つばさタイガー」の裏で起きていた
二学期最初の数日の話…



いよいよシリーズ完結編となる下巻の前に、
散りばめた謎のうち、完結編とは
時間的にかけ離れた夏の謎を明かしておこう
ということだったのでしょうか?

いろいろな謎がつながっていくのは
それだけでも面白味がありますね。

この話を取り上げるのはすでに6回目。
まだまだ、考えさせるいい部分はたくさんあるのですが、
そろそろエピローグから拾ってみようと思います。

式神童女の斧乃木余接ちゃんが
阿良々木くんにいうセリフを一部抜粋引用します。

「言い訳のようにも聞こえるけれどね」
「幸せにならないから勘弁してください、
幸せになろうとなんかしないから、どうか許してください、
どうか見逃してくださいと言っているようにも。
僕たちはこんなに不幸なんだから責めるなよ
可哀想だろって主張しているようにも。
ねえ鬼いちゃん、ひょっとしてあなた、
不幸や不遇に甘んじていることを、
『頑張ってる』と思っちゃってるんじゃないの?」
「そういうのを世間では『何もしていない』って言うんだよ――
不断の怠けだ。不幸なくらいで許されると思うな。
終わったくらいでリタイヤせずに、
ハッピーエンドを目指すべきだ。また、顔を踏んであげようか?」
(P324より抜粋して引用、改行はブログ筆者による)


大人でもドキッとしますよね。

「ひょっとしてあなた、不幸や不遇に甘んじていることを、
『頑張ってる』とおもっちゃってるんじゃないの?」

これって、今の自分かな〜って思っちゃったりします。

いや、まあ、コツコツといろいろなところで
実は現状を打破するための行動を続けているし
確実に積みあがっているので、
現状に甘んじてはいないよねと、冷静にいえますが、
「〜だから仕方ないじゃん!」
なんて思ってしまうことも多々あります。

「不幸なくらいで許されると思うな」

う〜む。厳しいですよね。
これは、高校生の阿良々木くんが言われている
言葉ですが、大人になればなるほど、
この言葉には重みが増すものではないでしょうか?

「ハッピーエンドを目指すべきだ」

これが、わたしにも信念としてある。
命尽きるその瞬間まで、人生という物語が
どうあがいても本当に終わってしまうその瞬間まで
幸せでい続ける努力を毎瞬毎瞬怠るな。

不幸でいる人…不機嫌でいる人には、
心の底からそう思います。

今すぐ笑顔になれる努力をしようよ!って。

だから、こんなブログをやっているともいえます。

でももちろん、わたしでも…
十分恵まれていて、十分幸せなわたしでも
笑顔でいられないときもあります。
いっぱいあります。あっちゃいます。

だから、もっとおおらかで強い自分に成長するために
こんなブログをやっているともいえます。

「忍耐」を言い訳に現状に甘んじることなく
もっともっとプラスの欲求・欲望に従って
なりたい自分を目指しつつ、
未だそうはなれていない今を嘆くことなく
そこを目指している今この瞬間を喜びで
満たす努力も続けながら笑顔で生きていく。

幸せな人生だったという結果は、
その最後の瞬間までの過程をどれだけ
笑顔で生きられたか?

ですよね。


             全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする