2016年07月31日

小説「猫物語(ネコモノガタリ) 白 つばさタイガー 西尾維新 著 講談社」その4 「伝える、ではなく、伝わる」も大事だけど、伝わっていても、伝えなきゃいけないこと。


言った言わないの問題。

仕事の現場ではよくあることです。

そこに言及すると、物事が進まなくなる。
でも言ったほうは「言ったのに」と納得できないし、
聞いてないほうも「言われてない」と納得できない。

だから、この問題はいつまでもなくならない。
だからこそ報連相が大切…だなんて話になる。

サービスの業界では
「伝える より 伝わるを」
ということをモットーにして顧客対応をされている
企業も多いのではないでしょうか?

わたしも、電話での応対に
10年以上携わっているのでそのあたりは
常に心がけているところです。

しかし、伝わっていればそれでいいのか?

という問題も、実はこの世には存在する。

伝わっていればいいんじゃない。
自分で伝えなあきゃ意味がないんだということ。

あなたが伝えなきゃ意味がないんだということ。

それは、つまり在り方の問題。
礼儀の問題。
相手に対する礼儀であり、自分に対する礼儀。

聞きたくない、目にしたくない、
マイナスの反応が返ってくるとわかっていても
自分で直接伝えないと意味がないこと。

というのはありますよね。



数冊前に戻ります。「囮物語」を紹介するまで
このテーマは保留にしていました。
今回のシリーズ読破計画中でこの作品を取り上げるのは
これが最後です。

小説「猫物語(ネコモノガタリ) 白 つばさタイガー」
西尾維新 著 講談社


シリーズの主人公・阿良々木くんがそうであるように、
このシリーズの女子キャラの中で
わたしももっとも“慕う”のが羽川翼です。

その羽川が語りべとなり、
阿良々木くん不在の高校三年生の二学期始業式からの
数日間を描いたお話。

羽川が身に宿した怪異は、障り猫。
銀色のしっぽのない猫の死体を埋めてあげた
ゴールデンウィークに、
初めてブラック羽川に変身した羽川が登場します。

家族の問題に起因するストレスの権化。
町に怪異を引き寄せるきっかけであり
阿良々木くんを吸血鬼にした“元吸血鬼”によって
ひとまず封じ込められたブラック羽川。

しかし、一学期のうちに再び
ストレスの権化として登場します。

二度目は、阿良々木くんへの叶わぬ恋心が
そのストレスの元でした。

ブラック羽川は羽川本人を「俺のご主人」と呼び、
ご主人はお前(阿良々木くん)のことが好きにゃんだよと
阿良々木くんに羽川の気持ちを代弁します。

つまり、羽川は自分ではなく
自分の怪異に言わせてしまった。

そして、この「猫物語 白」では、
髪を切り、メガネからコンタクトに変え、
なにやら成長の兆しを見せる羽川ですが、
始業式の朝、そんな彼女の目の前に
巨大な虎の怪異が現れます。

そして、登校後、学校の窓から
自宅が燃えているのを目撃した羽川は
その家事をきっかけに、
ブラック羽川が三度登場するのでした。



いわゆる多重人格というのでしょうか?
そういうものを怪異という妖怪変化をモチーフにして
エンターテインメントとして描いている。

そんな印象が強いお話です。

ディズニー・ピクサーの映画で、
自分の中の感情を擬人化して魅せた
「インサイド・ヘッド」というCGアニメーションがありますが
同じような視点の青春小説とも言えるのかもしれません。

今回は、この一連の問題…つまり
自分自身の内面に羽川自身が向き合う物語。

謎解きのように、自分の謎に挑む羽川は
やっぱり“本物”だと感じさせられます。

そして、今回は、ブラック羽川を
自分だと認めて、向き合います。

つまり…
自分の言葉で、きちんと阿良々木くんに
気持ちを伝えるんですね。

羽川の気持ちは
ブラック羽川から阿良々木くんに伝わっているので
阿良々木くんは、
本当はもう羽川の気持ちは知っています。

だけど伝わるんじゃ駄目なんだ。
伝えなきゃ駄目なんだ。
返事をもらわなければ駄目なんだ。
(P276より引用)


羽川はフラれるとわかっていて、
きちんと伝えて、きちんとフラれる道を選びます。

とても素敵なシーンです。
ここはアニメでもとてもよく描かれていました。

羽川を語りべにしただけのことはある
読み応えたっぷりの快作。

「囮物語」では、千石撫子が語りべ。
千石が自分を突きつけられる物語。

しかし、千石は羽川のように、
探偵のように自分の心の秘密に果敢に
挑戦していきません。

逃げ続けます。目をそらし続けます。
そして、追い詰められて、自分を壊してしまう。

ですから、文章トリックも「猫物語 白」とはまったく違います。
語りべ本人が目をそらしていることを、
周囲が直球ど真ん中で責め立てる。

そして、暦お兄ちゃん(阿良々木くん)に
自分の気持ちをちゃんと伝える機会もないまま
バレてしまって、大好きな暦お兄ちゃんを
亡き者にしようとする。

羽川は高校三年生ですが、千石は中学二年生です。
成熟度も全然違います。
比べるものではないのでしょうが、
どちらも現実に即して考えてみても
自分から目をそらすということをとてもよくとらえていて
自分を受け入れることでの成長をとてもドラマチックに
描いてくれます。

とは言え千石の物語は次がクライマックスです。
そのクライマックスがまた羽川とは違う意味で
見ものなので、非常に楽しみです。

さらに、シリーズ最終章が出た後に
また新たな物語となるのでしょうか
千石のその後の物語も出版されているようです。

羽川は、今読んでいるところまでですでに
地雷が埋まっているような地帯で
ジープを乗り回すような、
そんなキャラになっているようです。
さすが”本物”です。

相手はもう自分の気持ちを知っている。
断られることもわかっている。
でも、ちゃんと自分で伝えて、
ちゃんと自分が断られなきゃならない。

面倒だけど、ちゃんと向き合わないといけないこと。
これを自己満足だなんていわないで
しっかりと向き合ってくれた阿良々木くんも
とても素敵でした。

中高生、思春期の10代の少年少女のみならず
大人にもいつまでも問われていることです。

エンターテインメントでもてなされながら
自分の成長を考える。
とても、いい経験になるシリーズだと思います。


               全ての物語のために









ラベル:小説 猫物語 ネコモノガタリ つばさタイガー 西尾維新 講談社 その4 「伝える、ではなく、伝わる」も大事だけど、伝わっていても、伝えなきゃいけないこと。 言った言わないの問題 仕事の現場ではよくあること 物事が進まなくなる 「言ったのに」と納得できないし 「言われてない」と納得できない 報連相 伝える より 伝わるを サービスの業界 をモットーにして顧客対応 電話での応対 伝わっていればそれでいいのか? 自分で伝えなあきゃ意味がないんだ 在り方 礼儀 相手に対する礼儀であり、自分に対する礼儀 聞きたくない 目にしたくない マイナスの反応が返ってくるとわかっていても 囮物語 阿良々木 羽川翼 高校三年生 障り猫 ブラック羽川 三度登場 多重人格 妖怪変化 エンターテインメント インサイド・ヘッド 自分自身の内面に 向き合う 謎解きのように、自分の謎に挑む フラれるとわかっていて きちんと伝えて、きちんとフラれる とても素敵なシーン 読み応えたっぷり 千石撫子 語りべ 探偵のように自分の心の秘密に果敢に 挑戦して 逃げ続け 目をそらし続け 追い詰められて 自分を壊して 暦お兄ちゃん 自分の気持ちをちゃんと伝える機会もないまま バレてしまって 中学二年生 自分から目をそらす 自分を受け入れる 成長をとてもドラマチックに しっかりと向き合ってくれた 大人にもいつまでも問われていること いい経験になるシリーズ
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2016年07月30日

小説「囮物語(オトリモノガタリ) なでこメデゥーサ 西尾維新 著 講談社」可愛いだけじゃダメかしら



男の人はかわいい女子に弱い。

まあ、間違ってはいません。

特に、大人しくて、弱々しい感じ、
うつむき加減で静かな子には
あまりキツイことを言ったりできません。

注意をするだけでも、なぜか注意している方が
悪いことをしているような罪悪感を感じる。

でも、そういう「かわいさ」って、
観る人が観たらわかるんですよね。

自分の守り方を知ってるな…って。

でもこの問題って、カワイイ女子だけじゃないですよね。
男にだって、そういう人はいます。

実は、子どもの頃からわたしにもそういう面があった。

今も自分の中に、そういう部分を感じてもいます。

いやまあ、大人になって、仕事の世界で、
怒られないでやり過ごすなんて出来ないし、
立場上、クレームなんて日常的に対応しているので
今やすっかり怒られ役ですが…
自らそんな立場に自分を押しやりましたが…

でも、自分の中のそういう部分って、
やっぱり、自覚していないのは
それはそれで罪だと思いますし、信用もされない。

だからわたしはずっと向き合っていこうと思うんですね。



息子と一緒にアニメ版を見ていて、ドキリとしました。
わたしの中では、シリーズ読破を目指した時に、
わたし自身と向き合う意味ではここがクライマックスだと
思っていた部分でもあります。

小説「囮物語(オトリモノガタリ) なでこメデゥーサ」
西尾維新 著 講談社


を読破しました。

今回も、語りべは阿良々木くんではありません。
中学2年生の千石撫子が語る千石の物語。

時系列は、前作「花物語」からはぐっと戻って
阿良々木くんが高校3年生の年にもどっています。

でも、夏休み最終日から二学期最初の騒動の
謎にはまだ戻ってくれません。

もっともショッキングな展開の作品
といってもいいのかもしれません。

アニメでは、「花物語」よりもこちらが先だったので
視聴者のハラハラ感はとても効果的に
煽られたことでしょう。

千石自身が化物となり、
阿良々木くんたちを半殺し状態にする描写で始まり、
そこに至る回想としてこの物語全体が語られます。

そして、最後は冒頭に戻り、
千石が主要キャラクターを全員殺してしまうところまでは
予告編としてまとめられ、物語が幕を閉じます。

千石撫子が、化物になるまでのお話。
アニメで筋はわかっていても、ドキドキしながら読みました。



「化物語(バケモノガタリ)」を初めて見たとき、
戦場ヶ原ひたぎや、八九寺真宵、神原駿河
のエピソードは好感を持てました。

しかし、この千石撫子と羽川翼のエピソードに関しては
消化不良…いまいち、「これでよかった」とは
思えないままに終わっていました。

前者の3人のエピソード、特に戦場ヶ原と神原は
苦しみながらも自分と向き合い受け入れます。
八九寺は、阿良々木くんたちのおかげで
迷子だったのですが目的地にたどり着ける。

それぞれ感動的なお話でした。

羽川にしても、千石にしても、問題の根が深い。
なので、その後、それぞれ2冊に渡って
彼女たちの問題が描かれることとなったのでしょう。

羽川は「猫物語」の「黒」と「白」で。
そして、千石はこの「囮物語」と次々作「恋物語」で。

「囮物語」の千石の在り方には、
実はわたし自身のもっともズルくて恥ずかしい部分と
リンクするところが強く、個人的に
このお話を取り上げるかどうか迷ったほどです。

しかし、わたしが自分と向き合うことから逃げても始まらない。

ということで、諦めて、このことと向き合うことにしました。

千石撫子は、「可愛いくて、大人しい」だけで、
人から執拗に責められたりしません。

可愛くて、大人しいだけで、まじめな子と思われたり
いい子と思われたりする。

しかしそれは、無意識に自分の守り方を知っている。
というズルさでもありました。

前髪を長めにして、人の目を見ずに、
うつむいて黙っていれば大抵の問題は
周囲が解決してくれる。

わたしは、可愛くもないし、単髪でオデコもぴかりんですが、
子供のころは、学校などで数人で怒られても
本当にしおらしい顔をしていれば、本気で反省していると
思われてあまり厳しくはされませんでした。

なんてヤツだと思います。
もちろん心の中で舌をだしていたりしたわけではありません。
テンパって、怖くて、反省もしていたのですが、
どこか、その“嵐”をやり過ごす術を心得てもいた。

先生たちもわたしには、そんなに強く怒らない。
自分の守り方を知っていたんです。

大人になっても“その気”があるのを自覚していたので
そんな自分と向き合うために、率先して
職場でもクレームを対応する場所に志願したりしました。

自覚して向き合って、成長しようとしてきたとも言えます。
そういう部分は自分でも誉めてやりたいですが、
“その気”というは完全に消えるものでもないようです。

ないようですって言うか、消すつもりがない。

なぜなら、その触覚が、空気を読む力にも
大きな役割を果たしているからです。

使い方を間違わなければ、
物事をいい方向に進めて、多くの人の喜びに繋げられる
そういう役割を果たせる感じ方にもつながっている。

自分の中でそういう風に気付いたからです。

でも、ということは、常に自分と向き合い続けないと
自己防衛本能で無意識に間違った使い方をしかねない。

だから、これはもしかしたら一生向き合っていくことになる
自分のダークサイド(暗黒面)の部分なのかもしれません。

もしかしたら、もっとわたしが成長して
この問題に決着をつけられて、完全に手放せる日も
来るのかもしれませんが、今は、
そんな自分を認めて受け入れている状態ですね。


「化物語」で千石を見た時や、実際にいる似たような感じの人。
そういう人を見ると、はっきり言って「好かんな」「嫌いだな」
と思います。思ってきました。

でも、それは自分の中のそういう部分を嫌っていたんだなと
実はアニメの「化物語」「囮物語」「恋物語」で
気付いた…というか、認めることが出来たんです。

だから、活字で読むのも、楽しみ半分、覚悟半分
というところでした。

でも、さすがエンターテインメントです。
「囮物語」では、千石が壊れていくのですが
壊れきってしまう直前に、一度爆発します。

「大人しいからって、なにも感じてないってわけじゃねぇぞ!!」

とキレるシーンがある。
ここは、痛快で爽快です。
その意見もすごく真っ当な意見で、正直憧れるくらいです。

さて、そんな千石に周囲はとても厳しいです。
厳しい言葉がバンバン浴びせかけられます。

その厳しい言葉がわたし自身に言われているようで
痛いけど、とても身につまされる。

「可愛いだけ――自分が可愛いだけ」

グサッと来ました。

そう、ず〜っと前にも、どこかで書きましたが
わたしは共感力が薄い。

可愛いだけじゃダメ。
自分を可愛がっているだけじゃダメなんですよね!

シリーズを読破したら、もっとも嫌いなキャラ
千石のお話は改めて再読するかもしれません。


                    全ての物語のために







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2016年07月29日

ドラマ「仰げば尊し #2」良心を信じないと社会では、落第



「いつから俺に逆らえる身分になったとやって、キサン!」

中学生の時に、体育の授業のために
校庭に出ると、合同で授業を受ける他クラスの
ヤンチャなタイプの男子生徒が、
わたしのクラスの男子生徒の胸ぐらをつかんで
振り回していました。

すぐにチャイムが鳴って、みんな整列したので
彼らの関係がどうなったのかわかりませんが、
まあ、そのあとも仲良くはしていたと思います。

あ、ちなみに「キサン」というのは「貴様」の
博多っ子バージョンです。

まあ、本来「貴様」というのは言葉は
相手をたてる言葉だったはずですけどね。

とにかく、まじめで大人しい部類のわたしは
仲良くもなんともなかった人だったので
遠巻きに見た程度でしたが、それでもショックでした。

ショックで、そのあと納得がいかなかったことを
今でもずっと覚えています。

同じ年の友達どうしで身分も何もないだろうに
アイツはいったいどれだけ偉いつもりなんだ?
何様のつもりなんだ?

と、腕力に任せた理不尽への悔しさが
フツフツとしていたのを思い出します。

あんなセリフをあんなに堂々と言えるくらい
“わかってない”15歳がいるなんて…
というお人好しくんだったのでしょう。

まあ、そのあと、わたしは街でカツアゲにあって
悔しい思いをして泣いたり、
男気のあるヤンキーのクラスメイトに助けられたり、
いろいろな経験をして青春を過ごすわけですが…

「いつから俺に逆らえる身分になったとや!?」
と同級生に息巻いた彼も、いろいろあったようで、
成人式の会場で見かけたときは
剣のとれた穏やかな…というよりむしろちょっと
後ろめたそうな目をしていたのが印象的でした。

更にその倍の人生を生きた今、彼らはどうなっているのかな…



夜帰宅して、遅めの夕食を一人でとっていたら
息子がとことこと来てソファに座りました。
「吹奏楽のドラマの2話目見たよ。アレ、面白いね」
1話目を見てもいないのに、録画リストから興味を持ったようです。
息子の成長を感じますね。

ドラマ「仰げば尊し」 第2話
を観ました。

青島(村上虹郎)たち不良グループに脅されたことで、
発表会の出場がかなわなかった美崎高校吹奏楽部。

気まずそうな生徒たちを前に
樋熊(寺尾聰)は「初舞台をどうするか考えないと」
とあくまで前向きです。

そんな樋熊の言葉を受けて、副部長の井川(健太郎)が、
吹奏楽部の甲子園と呼ばれる“全国吹奏楽部コンクール”
を目指してみませんかと提案。
部長・渚(石井杏奈)の「やります!」という力強い声もあり
吹奏楽部はコンクールを目指すことになります。

一方、青島たち5人が音楽室で暴れたことを
問題視した教師の新井(尾美としのり)と鮫島(升毅)は、
今度問題を起こしたら退学にすると興奮しますが、
樋熊は青島たち5人についても、
吹奏楽部が責任をもって面倒を見ると言い切るのでした。

そんな折、かつて青島らのライブをメチャメチャにし、
青島の手に深い傷を負わせた卒業生・陣内剛史(高畑裕太)と、
横須賀の街角で偶然再会してしまう5人。

陣内の職場の仲間もいたこともあり、その場は収まりますが、
翌日、陣内は不良仲間を伴って学校に乗り込んでくるのでした。



陣内はこのあとどうなるのでしょうか?
成長していけるのか、どうしようもないままなのか…

それはわかりませんが、
陣内は青島たち5人に「調子に乗るなよ」と言いました。

とても傲慢で、幼稚な感情の発露です。
身勝手そのものです。

陣内は暴力事件を起こして
つかまっていた時期もあるようです。

良心が通じない相手がいる。
良心じゃあ、渡り合えない暴力が存在する。

考えてみれば、人間も動物である以上
当たり前のことなのかもしれません。

「猫物語(ネコモノガタリ) 白」でも、
女子高生が人の悪意に対してすら
白無垢すぎるクラスメイトに言っていました。
「野生として落第よ」と。

街で、高校生と思われる不良グループに
物陰に連れて行かれて囲まれ、
お金を取られたときは、本当に思い知りました。

そして、高校の体育の授業では毎回
思い知らされていました。
運動能力がある男子とそうでない男子の
オスとしての優劣を…

サッカーなどのチーム競技では、
身体能力がなければ身体能力がある生徒の
言いなりになるしかありません。

言いなりになっても“使えない”わけですから
いい加減あきれられて、隅っこにいるしかなくなります。

わたしは、浪人時代に
軽い折り畳み式のちゃぶ台を持ち上げただけで
ぎっくり腰に近い状態になり、自分の体に危機感を持ちました。

大学に入ったのと同時に、サークルではなく
県の団体の扉をたたいて中国武術を始めました。

2年も続けたころには、街を歩く時の気分が違っていました。
同学年の学生たちが遊びまわっている日曜日の昼間に
毎週4時間の訓練を受けて、
毎日自宅でもトレーニングしてきたのです。

ジェット・リーみたいな武術です。
高校を卒業して鈍っていった同年代の人たちとは逆に
どんどん身体能力が上がるわけです。

武器を持っているとか、空手のチャンピオンだとか
K-1選手だとか…そんな人たちにからまれたら
太刀打ちできなかったでしょうが、
普通にいきがって街を歩いているような輩なら
まったく負ける気はしませんでした。

だからと言って、殴り合いなんかしたくないし、
そんな機会はないに越したことはないのですが、
実際に高校時代まで明らかにわたしより
身体能力が上だった活発な人たちの前で
体力や運動能力を披露する機会はありました。

そういう時は、爽快でした。

つまり、腕力による自信というのは、
動物として、明らかに、確実に、リアルにある。
ということなんですね。

「逆らえる」「逆らえない」のリアルな実感がある。

でも、そこに、内面が伴っていないと
本当に手が付けられない。

スポーツ選手が暴力事件を起こせば凶器ですからね。

動物的にリアルにある、腕力・運動能力による
「逆らえる」「逆らえない」の違い。

それがあるからこそ、良心・情緒がないと
社会生活に問題が出るんですよね。

陣内は職に就いているようだし、会社の先輩・上司には
逆らえないようでした。

腕力がなくても、芯の強さを持っている本物もいます。
腕力の自信に任せて、
「調子に乗るな」「俺様に逆らうな」という
それこそ勘違いして調子に乗っている人も
社会の“本物”の良心に出会って、顧みて、
成長していく…

社会は、そういうところであって欲しいと思います。
わたしたち人間が、平和に安心して生きていけるところ。
それを目指して人類の総意として
社会があるのですから、そこは良心がもとであって欲しいです。

少なくともわたしたちはそういう社会を
後世に残していかなくてはならないでしょう。


                全ての物語のために



「仰げば尊し」原作
















ラベル:ドラマ 仰げば尊し #2 良心を信じないと社会では、落第 いつから俺に逆らえる身分になった 男子生徒の胸ぐらをつかんで ヤンチャなタイプの男子生徒 ショック 納得がいかなかった 同じ年の友達どうしで身分も何もないだろうに どれだけ偉いつもり 何様のつもり 腕力に任せた理不尽 悔しさ あんなに堂々と言えるくらい “わかってない”15歳がいるなんて 街でカツアゲ 悔しい思いをして泣いた 男気のあるヤンキー 助けられ 彼も、いろいろあったようで 成人式の会場 剣のとれた穏やかな 青島 村上虹郎 樋熊 寺尾聰 井川 健太郎 石井杏奈 新井 尾美としのり 鮫島 升毅 陣内剛史 高畑裕太 良心が通じない相手がいる 良心じゃあ、渡り合えない暴力が存在する お金を取られたとき 体育の授業 運動能力がある男子とそうでない男子の オスとしての優劣 身体能力 軽い折り畳み式のちゃぶ台 ぎっくり腰 中国武術 ジェット・リー 高校を卒業して鈍っていった 逆に どんどん身体能力が上がる 街を歩く時の気分が違って いきがって街を歩いているような輩 まったく負ける気はしませんでした 運動能力 爽快 腕力による自信 動物として リアルにある 「逆らえる」「逆らえない」のリアルな実感 スポーツ選手が暴力事件を起こせば凶器 良心 情緒 社会生活 腕力がなくても、芯の強さを持っている本物 社会の“本物”の良心に出会って 社会は、そういうところであって欲しい
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2016年07月28日

小説「花物語(ハナモノガタリ) するがデビル 西尾維新 著 講談社」その2 自分が何を欲している人間か。それわかってる?



わたしは、しょっちゅう道に迷います。

ああ、いきなりこんな書き方をすると
「方向音痴なんだな」って思われますね。

違います。いや、違わない部分もありますが、
そういう意味ではありません。

人生という道に、しょっちゅう迷っている。

つまり、自分を見失うわけです。

本当は、青春時代にいっぱいいっぱい迷って
社会に出るころには、

「俺はこうなるんだ!!」

って、ブレないものを持っているのが理想でしょう。
せめて、社会に出て揉まれながら
20代か、遅くても30代前半には、
そういうブレないものを形成していくべきでしょう。

それができている人は、みんなしっかりと
頑張っています。

わたしは40代ですが、同級生たちを見ても
ほとんどがそうやって立派になっています。

しかし、わたしはブレまくっています。
少なくとも、今はそう感じます。

なぜでしょう、オカシイ…。
ずっとずっと、
「やりたいことがハッキリしていて羨ましい」
と言われていたのです。

自分でも、ブレない軸に従って、
自分の思いに従って生きているつもりでいました。

でも、みんながそんなブレない軸を形成しつつある中で
わたしは、自分のブレない“はず”の軸に
徐々に徐々に、疑問を持ち始めたのです。

「お前、ひょっとしてコレ、勘違いだったんじゃね〜の?」

こんなこと、思うのって、
思っているってことを認めるのって、
滅茶苦茶、勇気が要ります。

でも、誰も代わってくれないから、
自分で進んでいくしかありません。

誰かに助けを求めても、
最後は自分の決断で進むしかない。



今、息子は小学6年生でこのシリーズにハマッています。
ハマッているのはアニメのほうですが、ランドセルには
常に1冊小説を入れていて、ちょびりちょびりと
活字に慣れようとしているようです。
中高生向けの青春小説シリーズです。
今は、飽きてしまっても、数年の間に、再び興味を持って
できれば思春期を終える前に一度は読破して欲しいと願っています。

小説「花物語(ハナモノガタリ) するがデビル」
西尾維新 著 講談社


ほぼ出版順に読んでいます。

シリーズの中でも異色の番外編。

もしかしたら、これから読む作品の中にも
そういったものがあるのかもしれませんが、
ひとまず現時点ではそう感じます。

シリーズの主人公、阿良々木暦くんが
脇にまわって、主役&語り部が、
阿良々木くんの後輩の神原駿河。

阿良々木くんたちが卒業して、
神原が3年生になったところから始まる物語。

しかし、クライマックス前と、クライマックス後には
しっかりと阿良々木くんも登場して
物語を絞めてくれます。

いつも、阿良々木くんが悩みながら
問題にぶつかっていって、
周囲の人たちの言葉が彼に示唆をくれるように
今回は、主人公・神原駿河にいろいろな示唆をくれる
周囲の人に阿良々木くんがいる。

とくにそのキーパーソンとしている。
そういう構造になています。



十代の少年少女に向けて書かれている
青春小説に40歳を過ぎた大人が
自分を投影するように学びなおしているのも
お恥ずかしい話ですが、
幼児向けの絵本からでも学べるものはあるのですから
「ま、いっか」と一生懸命読みふけっています。

この作品の最後に、神原駿河と阿良々木くんが
対話をしているシーンで阿良々木くんのセリフから
わたし自身に問いかけてしまうものがありました。

「願いなんて、叶っても叶わなくてもいいんだよ。
願いは自分で叶えるもので、だから叶わないかもしれないけれど、
しかしたぶん、願いを願うことそれ自体に、もう既に価値があるんだろ」
「願うこと――それ自体に?」
「ああ。手に入るかどうかはともかくとして、
自分が何を願う奴なのかってことは、知っておいたほうがいいだろうよ。
何を欲しいと思い、どうなりたいと思う、どんな奴なのか――
それを知っておかないと、あっさり道に迷っちまうぜ」
(P264より引用、改行はブログ筆者による)


わたしはずっと、自分が何を望んでいるのか、
わかっているつもりでした。

10代後半〜30代前半前までは、
妄信して、猛進していました。

いいや、正確に言うと、20代後半からは、
信じている軸の中で迷っている…
という迷いはありました。

そうこうしているうちに、その軸すら正しいのかどうか、
迷うことが多くなった…

なんだか、そんな感覚です。

わたしは2足のワラジを選びました。

自分の夢…だと思っていた映画監督への道。
そして、生活を安定させるための職。

仕事である以上、生活のための仕事でも
腰掛け気分でやるわけにはいきません。

経験や年齢に応じた未熟さはあるにせよ、
その時その時で真剣に向き合ってきた自負はあります。

しかし、そんなことをしていると、
自分が本当にやりたかったことを見失いやしないか?

そんな危険性は最初からわかっていたことなので
とても気にしていました。気を使っていました。


気を使って、自分をチェックしていました。

自分をできるだけ客観的に見て、
自分が今どこにいて、どこに向かおうとしているのか
それを見失わないようにしていた…

はずだったのです。

そんな中で、夢の形が変わってきたりもしました。
それはそれで全然問題なかった。

むしろ、映画監督でなくても自分の夢は叶えられる。
叶えた夢の本質を掴んだような、
そんな手ごたえすら感じたほどです。

職業映画監督が夢ではなくなった。

それはそれで、何の問題もない。

では、今、何が問題なのか?

熱です。熱量。

歳をとって情熱が枯れた…。

そんな風に表現する人も中にはいるかもしれませんが
わたし自身は、そういう解釈では腑に落ちない。

むしろ現状に、非常に憤りを感じています。
アッツアツです。マグマがグツグツ、ボコボコ
煮えたぎっているのはわかります。

ただ、その熱量が何の抵抗もなく
どこかにスルーして抜けていく感覚。

ヤバイです。
ハッキリ言って、これってめちゃくちゃヤバくないか?
って思っています。

自分の熱を注ぎたい方向が定まらなくて
定まらな過ぎて全方位に、
しかも自分すら見えていないところで
熱量がダダ漏れしています。

使えないまま、エネルギーが捨てられていきます。

40歳にして何を青春時代みたいなことを言っているんだ?
と恥ずかしくなりますが、恥ずかしくなるくらい
これは危機感を持っていいことなのでしょう。

もう、とっくの昔に同世代の人たちは
掴んでいるものを、まだ掴めていない感覚。

阿良々木くんの言うとおりです。

自分が、何を欲しいと思い、どうなりたいと思う、
どんな奴なのか――

それを見失っている状態ですよね。

でも、迷子になったら焦りは禁物。
自分の欲求ですから。

こういう時こそ、自分とじっくり対話していかなきゃ。


                    全ての物語のために









ラベル:小説 花物語 ハナモノガタリ するがデビル 西尾維新 講談社 その2 自分が何を欲している人間か。それわかってる? 道に迷います 人生という道に、しょっちゅう迷って 自分を見失う 青春時代に いっぱい迷って 社会に出るころには ブレないものを持っているのが理想 せめて 20代か、遅くても30代前半には 40代 ブレまくっています やりたいことがハッキリしていて ブレない軸 自分の思いに従って生きている つもり ブレない“はず”の軸 徐々に徐々に、疑問を持ち始めた 勘違いだったんじゃね〜の? 認める 勇気が要ります 誰も代わってくれない 助けを求めても、 最後は自分の決断で 中高生向けの青春小説 一度は読破して欲しい 息子 阿良々木暦 神原駿河 40歳を過ぎた大人が 自分を投影する お恥ずかしい話 自分が何を願う奴なのかってことは、知っておいたほうがいい 2足のワラジ 自分の夢…だと思っていた 生活のための仕事 熱量 歳をとって情熱が枯れた… 腑に落ちない その熱量が何の抵抗もなく どこかにスルーして抜けていく 自分すら見えていないところで 熱量がダダ漏れ 40歳にして何を青春時代みたいなことを言っているんだ? 恥ずかしくなるくらい これは危機感を持っていいこと 迷子になったら焦りは禁物
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2016年07月27日

ドラマ「HOPE 期待ゼロの新入社員 #2」常に踏ん張ってる感じで苦しいときも



「俺さ、毎朝会社の屋上の看板見て、
看板の大きさで、その日の自分の気分を計ってんねん」

数年前に同じオフィスで働いていた
関西出身の先輩があるときにわたしに漏らした言葉です。

会社の屋上に、大きな自社の看板があります。
オブジェといってもいい。
別に看板自体が大きくなったり小さくなったり
可変式の看板というわけじゃありません。

朝、会社の前に立って屋上を見上げたときに
その看板がたいした大きさに見えなければ、
自分の気持ちが強いとき。

逆に、看板が非常に大きく見えて重圧を感じる時は
自分の気持ちが弱っているとき。

その先輩は、そんな風に毎朝、自分のメンタルを
チェックしていたんですね。

仕事へのモチベーションなのか、
あるいは心の健康全般なのか、
それはわかりません。

しかし、このドラマでも主人公が言っていましたが、
わたしたちは社会に出てからは
その人生の時間のほとんどを仕事に費やします。

サラリーマンは会社での仕事に費やすということです。

いつも踏ん張っているサラリーマン。
それでも、人生の時間のほとんどがそんな時間なのであれば、
その中で、“幸せ”な瞬間を積み重ねなければなりません。

“幸せ”と言ったって、なにも“余暇”とか“趣味”とか
“癒し”とか…ばかりではありません。

踏ん張っているからこそ得られる幸せもる。
辛い経験、嫌な人たちとの関係の中でこそ
見いだせるものもありますよね。



このドラマは観たかったのですが同時間帯の
TBS「仰げば尊し」の方を選んだので観れません。
今回は帰宅時「仰げば尊し」の録画が始まっていて
こちらが遅れて始まったので、食事をしながら観てみました。

ドラマ「HOPE 期待ゼロの新入社員」
第2話


与一物産のインターン採用試験を受けている一ノ瀬歩(中島裕翔)。

最終日に行われるプレゼン試験に向けて、
人見将吾(桐山照史)とパートナーを組むことになりました。

人見は、プレゼンのテーマを『文化と貿易』に決めると、
資料作りを歩だけに任せます。

営業3課長の織田勇仁(遠藤憲一)は、
中学時代の同級生で大手スーパーチェーンの社長、
宮脇和久(温水洋一)との商談に歩を同席させます。

宮脇の会社は、自社ブランドのインスタントラーメンを
作るためにタイへの工場建設を予定していました。

そのために共同出資してくれる商社を探しているのです。

宮脇は、与一物産側の資料を織田から受け取ると、
前の打ち合わせが長引いているからと一旦退席します。

1時間ほど待たせて戻ってくると、
次の約束があるからまた連絡すると
織田の話もろくに聞かずに帰してしまうのでした。

そんな中、他のインターン、桐明真司(瀬戸康史)や
香月あかね(山本美月)たちは、プレゼン試験に向けて
着々と準備を進めています、

歩も人見とともにプレゼンへの準備を続けているのですが、
2人は考え方の違いから衝突してしまうのでした…。



サラリーマンもののドラマが多いですね。

それだけ求められていると言うことなのかもしれません。

確かに、わたしもそうですが、
サラリーマンとして働いているのが日常で、
常に踏ん張っている…という感覚は正直ぬぐえません。

きっと、ストレスなく自分の天職として
今の仕事を伸び伸びとやれていると言う人よりも
色んなことを我慢して踏ん張っている人の方が多いのでしょう。

そんな中にでも誇りややり甲斐は見いだせる。

「そうだ、俺たちは頑張っているんだ!」
と思えるような、応援歌ならぬ、応援ドラマが観たい。

「半沢直樹」や「下町ロケット」がヒットしたのも
今この「HOPE」や「営業部長 吉良奈津子」「家売るオンナ」
みたいな作品が多いのも、そういう人たちが観ていることでしょう。

今回の作品では“悪役”として、温水さんが登場しました。
織田の同級生、宮脇です。

こんなにわかりやすい“嫌なヤツ”って実際にいるのかな?

って思えるほど嫌なヤツでした。

でも、思います。
きっと、このタイミングで織田と宮脇が再会していなければ…
もっと、ほかの時と場所なら、また違っていたのかも、と。

そのときは、必死で会社を切り盛りする宮脇から見た織田が
とても冷たいヤツに見えてしまったり、
あるいは、お互いとても頼れる相手に見えたり…。

わたしも、立場上、後輩たちの失敗や、失敗の結果、
他部署の失敗やその結果に向き合うことが多く、
そこにはもちろん迷惑を被ったお客さんがいる場合も少なくないわけで、
色々な人がいろいろな状況に置かれている中で
調整役をやることになります。

そういう立場なものですから、
起こったことを把握していく過程で、
「おいおい、なんでこんな段階でここが手放してるんだ!?」とか、
しまいには「もう!みんないい加減にやりすぎ!」
「お客さんもわがままいいすぎ!」
と、嫌な気分になることも少なく在りません。

とは言っても、もちろんわたし自身が失敗することもある。

つまり、その上手くいかなかったという
結果が出ている現状にいたる道筋には
多くの失敗や判断ミス、時には怠惰な気分などが
積み重なっていて、そこに登場する人たちの
悪い面ばかりが目立ってしまうわけです。

じゃあ、その結果からのリカバリーをするわたしが
正義の味方なのかというとそういうことも無くて、
そしてもちろん、その結果を出したみんなが嫌なヤツや
ダメな人間なのかと言うとそういうこともないわけです。

多くの案件の中でたまたま生まれてしまう失敗という結果。

逆から見れば、多くの案件は、せっせと成功に導き続けている。

それが当たり前のように繰り返されているという現実がある。

ということです。
関わっている人も同じで、たまたまミスを犯したかもしれない。
たまたまどうしようもなくイラついていたり
余裕がなかったのかもしれない。

そんな一面を見て、「なんてヤツだ!」とか
「あいつやダメなヤツだ」なんて決めつけられない。

決めつけたとしても、
一緒に仕事を続けて行かなければならないわけですから
本当は、その人の良さを見つけてやるくらいの気持ちでいた方が
仕事も上手くいくし、自分の気持ちも変わる。

宮脇が今後出てくるのか分かりませんし
出てきても最後まで悪役かもしれません。

でも、彼も従業員とその家族の生活を支えている社長です。
彼自身も家族に応援されている親であったりするかもしれません。

歩がパートナーに選んだ人見も、
本当はどんなヤツなのか、
このお話の最後の方でやっと分かりました。

いつも踏ん張っているけど、その中では、
一緒に働く人やその周りの人たちとの関係で
いい思いも悪い思いも経験しながら
わたしたちは成長している。

そういうことを、ドラマで客観的に感じられたら、
また、あしたも頑張ろうって思えますよね。


                  全ての物語のために



仕事を頑張っちゃおうかな〜って思えるドラマ!








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