2016年06月30日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #8 宇宙(そら)と惑星(ほし)と」その4 人生は“対処”じゃなくて“創造”です



「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

息子が3歳くらいの頃だったか、
妻が、将来の家計を心配して
わたしの今後の仕事上での身の振り方について
かなり具体的にいろいろ言い始めたことがあり
そんな妻を必死で制したことがありました。

さすがにわたしのことをよく見ている妻。

途中までは的を得ていた…いや、
最後まで的は、確かに得てはいたのですが、
それは、妻が知りうる限りのその時点までの
「結果」をもって、その範囲内で
わたしやわたしたち家族の「できる、できない」
を規定してしまった上での
将来設計の様相をかもし始めていました。

わたしは自分の人生にも
家族の将来にも閉塞感という危うさを
感じ取り、悲鳴を絞り出すように

「ちょっと待ってくれ!」

とその話を制したのです。

まじめで真剣な妻らしくもあります。
不安で仕方なかったのでしょう。

東洋人、特に日本人の脳は
“不安”に対する耐久がその他の民族より
弱い傾向にある…

なんてことを、脳科学か何かの先生が
仰っているのをテレビ何かで聞いた記憶があります。

かなり曖昧な記憶で頼りないですが、
まさか侍スピリッツを持った日本人が
そんなことはないだろう…
と思う反面。

歴史の局面では確かに納得のいく部分もあり、
それどころか家庭でも職場でも
身の周りをみているととても納得できる話でもあり。

それはそれで、無暗に否定するよりも
そういう面もあるという可能性は自覚して
自分とも向き合うことは、成長への道のりに
必要なことだろうと思ったものでした。



全10冊のこの小説を読破してから、
西尾維新さんの「化物語」の続編を読み始めています。
それも一冊は読破しちゃいました。
焦ってます。第8巻の紹介は今回はこれにて終了!

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第8巻 「 宇宙(そら)と惑星(ほし)と」 福井晴敏 著 角川書店

《ネェル・アーガマ》の艦内では、
ネオ・ジオン残党(袖付き)のジンネマンたちと
連邦軍のクルーが「信じることの難しさ」の
緊張感の中にいました。

その緊張感を爆発させたのが
フル・フロンタルです。

フロンタル率いるジオン共和国軍の軍人たちまで
《ネェル・アーガマ》に乗り込む事態となりました。

その中で、オードリー=ジオンの姫君ミネバ・ザビは、
フル・フロンタルに正面切って問います。

「ラプラスの箱」を手に入れて
お前はどうするつもりなのか?

赤い彗星・シャアの再来といわれるフル・フロンタル。
顔も声もシャアそのもの。

しかし、シャアの顔をしたフロンタルが語る未来は
シャアの熱情とはあまりにもかけ離れた
現実的すぎる『変わらない人々』への
対処療法でしかありませんでした…



そのフル・フロンタルとミネバ姫の対話は
ミネバの意志によって《ネェル・アーガマ》艦内へ
オープン回線で流されていました。

敵味方関係なく聞いています。

バナージは二人と同じ艦の戦闘ブリッジで
二人のやり取りを観ていました。

『絶望に囚われ、
諦念を悟りであるかのように語り出した時から、
人は対処療法をもってしか世界と対せなくなる。』
(P287より引用、改行はブログ筆者による)


地の部分で描かれたバナージの思考です。


…「ガンダム」を知らなかった人たちが
「こんなに深い話だったのか〜!」と感動していく一方で
「なんか、難しくてよく分かんな〜い」と
さらに敬遠したくなる人もいるのもうなずけます。

西尾維新さんの「物語シリーズ」なんかを
読んでいる最中でこの文章を
ふと見るからというのもありますが…

引用したこの文章、凄く硬く感じますね。
バナージは16歳です。
今どきの16歳がこんな言葉使わないでしょう…
というか、40歳のわたしでも使わない。

いや、文学・小説・活字…の世界で言えば
書き言葉として当たり前のものなのです。

「物語シリーズ」が今どきの口語体を採用しまくった
ライトノベルなので比べちゃダメなのですよ。
本当は。

でも、せっかく
わたしたちが日々感じて成長していることを
とても繊細にそしてわかりやすく表現しているのに
硬い文章の印象だけで敬遠されるのは
とてももったいないし、悔しいんですよね。

『絶望に囚われ、
諦念を悟りであるかのように語り出した時から、
人は対処療法をもってしか世界と対せなくなる。』

『絶望に囚われ、
諦念を悟りであるかのように語りだした時から』

つまり、もうダメだって諦めたことを
「私は悟った」みたいに…
世界の仕組みをわかってしまったみたいに
思ったとき、決めつけてしまったときから

『人は対処療法をもってしか世界と戴せなくなる。』

その人は、これまでの経験で得た結果だけが
今後も起こるものだと決めつけて、
起きたことに対処していくだけ…
受け身でやり過ごしていくだけしかしなくなる。

あれ?
人によってはよけいにわからなくなっっちゃったかな?

わたしの妻も、あの時不安に駆られて
これから成長していくわたしやわたしたち家族という
視点が完全に抜け落ちていたんですね。

当時、そんなベクトルで真剣になっている妻に
「それじゃ夢も希望もないじゃん」
みたいなことを言っていたら
どえらい反感を買っていたと思います。

いや記憶が定かでないので、
その反感を買ったかもしれません。

そんなベクトルで考えているときに、
つまりは現実的なものの見方で確実性、安定性を
見出そうと真剣に考えているときに、
夢だ希望だ未来だって声が聞こえたら、
そんな保証もない物で飯が食えるか〜〜〜!

とキレて当然…。

でも、「やっぱり」って思うんです。

わたしがそのタイミングで「ちょっと待ってくれ!」
と言ったのは、やっぱり間違いではない。

閉塞するか未来が開けるか?
その分かれ目がここにあるんだと思います。

言い直します。

閉塞に甘んじるか、自ら未来を切り拓くか?
その選択をする分岐点なんだと思います。

迫りくる問題に対処するだけが人生ではありません。
すでに経験したことであろうが、
何度も失敗したことであろうが、
未経験の出来事であろうが、
これまでに経験したこともないような
新しい結果を生み出すことはできる。

いや、それでもまだ起こることへの対処からは
抜け出せていませんね。

未来は自ら起こす、興す、
状況を自分たちで生み出していく。

人生は“対処”じゃなくて“創造”です。

クリエイトしていかなきゃ、生まれてきた甲斐がない。
子を産み育てる甲斐がないじゃないですか。

“悟り”と“諦め”は違う。

“諦める”時間があるなら“明らめる”時間に変えましょう。

過去から今を観ても、着実にわたしたちは
成長してきているのですから、
自分自身もまだ見ぬ自分へと成長し続けて当然じゃないですか?

現実的に考えるなら、それこそ現実でしょ。


                  全ての物語のために









ラベル:小説 機動戦士 ガンダム UC ユニコーン 福井晴敏 角川書店 #8 宇宙と惑星と 宇宙(そら)と惑星(ほし)と その4 人生は“対処”じゃなくて“創造”です ちょっと待ってくれ! 妻が、将来の家計を心配して 妻を必死で制した 「結果」をもって、その範囲内で 「できる、できない」 を規定してしまった 将来設計 不安で仕方なかったのでしょう 日本人の脳は “不安”に対する耐久が 脳科学 侍スピリッツを持った日本人が 無暗に否定するより 可能性は自覚して 小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」 第8巻 「 宇宙(そら)と惑星(ほし)と」 福井晴敏 著 角川書店 第8巻 ネェル・アーガマ 艦内 ネオ・ジオン 連邦軍 信じることの難しさ オードリー 絶望に囚われ、 諦念を悟りであるかのように語り出した時から、 人は対処療法をもってしか世界と対せなくなる。 西尾維新 物語シリーズ もうダメだって諦めた 諦めた 私は悟った 世界の仕組みをわかってしまった 決めつけてしまった 対処療法 これまでの経験で得た結果だけが 今後も起こるものだと 起きたことに対処していくだけ 受け身でやり過ごしていくだけ これから成長していく 視点が完全に抜け落ちていた 現実的なものの見方で 夢だ希望だ未来だ そんな保証もない物で飯が食えるか 閉塞するか未来が開けるか? 閉塞に甘んじるか、自ら未来を切り拓くか? その選択をする分岐点 未来は自ら起こす、興す 状況を自分たちで生み出していく 対処 創造 “悟り”と“諦め” “明らめる”時間に変えましょう
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2016年06月29日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6 #13 張り詰めた糸(The Same Boat)」一番間違った強さの工夫



わたしたちは、成長の過程で、
さまざまな工夫をします。

道具の使い方や、物事の進め方といった
実務的なことはもちろん、
精神的な部分でも、工夫をしますよね。

世界は自分が見ているようにそこに在る。

世界がつまらないものなら
それはわたしたちがつまらない人間だから。
あるいは、つまらないものとして
わたしたちが見ているからです。

そうやって、物事のとらえ方を変えることは
幸せ力の大きな工夫といえるでしょう。

とらえ方で感じ方も変わる。

でも、苦しみや辛さから逃れるために
その心が、間違ったとらえ方を
選択してしまうことがあります。

間違わせてしまうものの代表。

それが「怒り」です。



毎回、その回ごとに明確にテーマを打ち出してくる
ハイレベルなサバイバルドラマ。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6」
第13話 「張り詰めた糸(The Same Boat)」


を観ました。

“救世主”のアジトを襲撃し、
一網打尽にしたと安堵していましたが、
フェンスの外では見張りをしていた
キャロルとマギーが“救世主”の
生き残りのメンバーに囚われていました。

キャロルとマギーについて話しをしようと
無線で呼びかけてきた女に
リックは捕虜となった者同士を交換しようと
取引を持ちかけます。

しかしリックたちが捕まえた捕虜は1人。

女は「2対1では割に合わない」とはねつけます。

別の場所へ連行され監禁されたキャロルとマギーは
“救世主”のメンバーがまだ大勢残っていることを知ります。



キャロルは弱いふりをしているのか
それとも身重のマギーや赤ん坊のことを
本気で心配しているから…?

と思わせるほど、弱く怯えているように見えます。

“救世主”のリーダー格の女は
昔の自分を見ているように感じたのか、
世界がウォーカーであふれかえるようになる前に
自分が秘書をしていた時の話をし始めます。
そして、こんな世界になって、
自分が何を失い、何を捨てたのかを…。

それは、「そうやって私は強くなった」
と言わんばかりです。

しかし、語っている間、
彼女は自分の怒りを、終始露わにしていました。

キャロルの態度は
自分たちの命の危険を
嘆いてのことではありませんでした。

自分や仲間を危険にさらした者たち、
自分たちを拘束しているこの女たちは
やがて私に殺される。
私はまた、人の命を奪わなければならない…

そういう嘆きだったようです。

誰もが強くいられず、誰もが良い人間ではいられない。
誰も彼もを信用するわけにはいかない危険な世界で
それでも愛する人たちは自分が守っていく。

その覚悟と悲しみを背負って、
そのことに疲れ始めているキャロル。

対して、“救世主”のリーダー格の女は
自分たちを裏切った世界を呪い
愛でつながった仲間ではなく、
自分が生きるために支配している仲間を従えて
その怒りの感情、憎しみの感情をもって
「私は強くなったんだ」
と言っているんですね。

昨日は、アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン」から
「悲しいからって、感じる心をなくしちゃダメなんだ」
というバナージの言葉から、
不感症になること、辛さを感じなくなることが
強くなることではないんだということを書きました。

辛さを感じない、感じていないと思い込む。

怒りに頼らずに、諦めなどで
不感症になるというのはある意味
高度なことなのかもしれません。

対して、怒りを発露させるというのは
もっとも原始的な方法ですよね。

本能ですから。

でも、このリーダー格の女はその怒りによって
その怒りを持つことを強くなることだと
勘違いしてしまっている。

だから、強くあるために怒り続けないといけない。
憎み続けないといけない。
怒りや憎しみにしがみつき続けないといけない。
…と思っている。

悲しさや辛さを感じたら、
それは弱い自分に戻るということだと思っているから。

だから、目の前で嘆くキャロルを
弱い女だとおもっているんですね。

バナージが言っている
「感じる心を無くしちゃいけないんだ」は
精神的にとても高い段階のセリフですよね。
この女がやっていることよりも数段高いステージの話。

この女はもっとも原始的で幼稚な「強さの勘違い」
簡単か難しいかも考えなくていい。
もっとも低レベルな「強さの勘違い」

こういう勘違いをするのを
人間的に「弱い」っていうんですよね。

「強さの勘違い」にも、段階がある。

キャロルは強いです。
悲しいことを悲しいと感じ、
自分の矛盾も受け入れる覚悟も持っている。

でも、このシーズン6では、
キャロルが今の強さの限界を感じているようです。
次のステージへ成長するのか?
または違う展開が訪れるのかはわかりませんが…

とにかく、怒りを振りかざして
強くなろうとするのは、弱さの補強にしかならないので
自分のためにも、自分が大切な人のためにも
気を付けておきましょう。


              全ての物語のために









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2016年06月28日

アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン(UC)RE:0096 #12 個人の戦争」強くなることは不感症になることとは違う



強くなりたかった…

10代後半〜20代前半のころを思い出して
そんな風につい言ってしまうのは、

今の自分が強くなったから…

というのは勘違いだなと
ちゃんと自覚しておかないとマズイな。

…と反省しました。

強くなったんじゃなくて、
いや、強くなった部分も確かにあるでしょうが、
多くの部分で不感症になった…
あるいは不感症になったと思い込んでいる…

というのが正確なところです。

「正確なところだと思います」じゃなくて、
「です」と言い切るのは、
自分で自分の中をみて、冷静に感じてみて
確信を持って言えるからです。



1話60分前後のOVAを3〜4話に分けて
毎週TVで放送しているのを観ると、
入り込む前に終わっちゃう…みたいな感覚もありますが
OVAを見直すのとは違うところに気付いた入りもしますね。

アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン(UC)RE:0096」
第12話 「個人の戦争」


を観ました。

ネオ・ジオン残党のロニが操る〈シャンブロ〉が
凶暴なメガ粒子の光で無差別に
街を壊していく様子をみたバナージは、
絶句します。

目的は、ラプラスプログラムが示した
座標の場所に〈ユニコーン・ガンダム〉を立たせて
プログラムに次の情報開示を促すこと。

その座標の場所が連邦政府の議事堂前であることから
ネオ・ジオン残党軍がけん制して、
準備ができたら〈ユニコーン・ガンダム〉が降り立つ…

そんな風に思っていたバナージ。

まさかそれに乗じて、ロニが積年の恨みを
ここぞとばかりに無関係な人にまでぶつけて
大虐殺を始めるとは思っていもいなかったんですね。

バナージはこうなるとわかっていた風の
ジンネマンに問いただして、
逆に返り討ちにされてしまいます。

こんなことが起こるのが戦争だと
想像できなかったのは
お前の想像力不足・・・と。



それでも、バナージは屈しないんですね。

ジンネマンという人間の悲しみを知っているから
「今すぐ下に降りて手伝いたいくらいだ!」
と怒りと憎しみを露わにするジンネマンに言います。

言うだけじゃなくて、
今回は全身ではむかっていくのですが…

悲しいからといって、感じる心をなくしちゃダメなんだ、と…
悲しいと感じる心を大事にしなければならないんだ、と…

そう、わたしたちは、
成長過程で様々な辛い経験をします。

悲しい思いももちろんしますし、
寂しい思い、情けない思い、
恥ずかしい思いなどなど、
実に様々な辛さの地雷が
人生のいたるところにちりばめられています。

そういうことを何度か経験していくうちに
耐性ができてくる…
慣れてしまっていく…

問題はその耐性の種類、慣れ方の種類なんですよね。
どんなカタチの慣れなのか…。

受け止める心構えができたのか、
感じなようにするテクニックを覚えてしまったのか。

ということです。

「北斗の拳」の名セリフでたまに出てきます。
『誰よりも愛深き故に…』

深い愛を持っていたのに、愛する人を亡くし、
その辛さに耐えかねて
「これほど辛いのなら愛などいらぬ〜〜〜!」
と愛そのものを捨て去って悪になってしまった
敵が出てきます。

それに対して、物語の端々にでてくるのが
主人公ケンシロウの瞳。

ケンシロウは悲しい目をしている。
世界の悲しみ感じて、受け止めながら生きている。
悲しいからって捨てたりはしない。

悲しいことを悲しいと感じなくなること、
不感症になることを「強くなる」「大人になる」
というんじゃないよ。

悲しいことは、ちゃんと、悲しいんだって感じる。
その感じる心こそを大切にして
受け止めていくことが「強さ」だよ。

ってことなんですよね。

親になって、大人になったつもりになって
わたしは忘れていました。

「若いころは強くなりたいよ〜!って
もがき苦しんでいたな〜」
なんて…感慨。

そりゃあおかしい!

わたしは「強くなりたかった」じゃない、
わたしは今でも「強くなりたい」なんだと。

改めて、自分に確認させてもらいました。



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2016年06月27日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #8 宇宙(そら)と惑星(ほし)と」その3 大人の事情に呑まれない大人



大人の事情、というものがあります。

いろいろな世界で、いろいろな面で
それは起こります。

わたしたちはなんとなくそれを覚えていき
「仕方ないよね」と
いつの間にか納得もしています。

でも、子どもの頃、若いころに感じていた
「それ、おかしくない?」
というまっとうな視点を
「大人になればわかるよ」
というごまかしではなく
センスとして大事に持っていた方がいい。

まっとうなことを「若い」とか
「未熟者」と言ってしまうのではなくて
「正しいことと間違っていること」
の区別がまっとうに出来ていた頃の
感覚は忘れないでいたい。

というより、「忘れたくない」という気持ちを
無くさないようにしたい。

自分の心を大切にするとは
そういうことなのかもしれません。



長編小説の中に浸れている期間というのは
少し特別なのでしょうか?
このシリーズを読破してやっぱり寂しくなりました。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第8巻 「 宇宙(そら)と惑星(ほし)と」 福井晴敏 著 角川書店


《ネェルアーガマ》には、
ブライトの思惑、バナージの意志で
『袖付き』の《ガランシエール》隊と、連邦軍の面々が
同じ艦の中で同じ目的のために
戦おうとしていました。

お互い、大切な人たちを殺された敵同士。

信じて共に闘うことができるのか!?



バナージたちが宇宙の《ネェルアーガマ》で
様々な問題に立ち向かっているときに、
地球ではビスト財団のマーサ、
移民問題評議会のローナン、
ロンド・ベルの司令ブライトたちにも動きかがあります。

ローナン・マーセナスは、
マスコミの力を借りて有利に動こうと
フリーのジャーナリスト、カイ・シデンを呼びつけます。

カイ・シデンは、最初の「機動戦士ガンダム」で
主人公のアムロ・レイやブライトたちと一緒に
《ホワイトベース》の一員として戦った
元パイロットです。

その経歴を活かして、ジャーナリストをやっている。

しかし、政治に利用されるのを好まないカイ。
ローナンは骨のあるジャーナリストを
見つけたかったのでしょうが、
予想以上に骨があり過ぎたようです。

ロンドベル内でも身動きができなくなってしまった
ブライトを政治屋として人質にとるような
いい方までして記事を書いて欲しいというローナンに
カイは大人の態度ながらもしっかりと伝えます。

「わたしも大人のつもりですから。
ですが、そういう大人の姿は見たくないという気分は、
忘れたくないと思っています」
「ローナン議員。厚顔無恥になることが、
大人をやってみせることだとは思いたくないのです」
(P119より抜粋して引用、改行はブログ筆者による)


大人の世界を渡り歩くフリーのジャーナリストのはずが
その態度やいい方は大人の世界を熟知しているそれ
なのですが、伝えていることは「青臭い」と言ってもいいほど
真っ直ぐなものです。

厚顔無恥になることが、
大人をやってみせることだとは思いたくない…
そういう大人の姿は見たくない…

そして、「そういう気分は忘れたくないと思っている」
このいい方は、自分自身をとても
客観的に観ていますよね。

そして、かなり繊細な感じ方であり
繊細な立ち位置であり、在り方ですよね。

カイはフリージャーナリストですから
もちろん徒党を組むような生き方はしていません。

まっとうなことだけをやっていたって
もしかしたらその世界では生きていけなかったかもしれません。

だからこそ、そういう「気分」だけは
忘れないで持っておきたい。

という感覚がなければ生きてこれなかったのかもしれません。

わたしも、息子に「ズルい大人」を
すでに見せてしまっている部分も多々あると思います。

でも、それが大人になるということ…
だなんて訳知り顔に悟った様に
見せてしまうような大人ではありたくないですね。


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2016年06月26日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6 #12 殺めるべき者(Not Tomorrow Yet)」母親だから、母親になるから…



女性が子どもをお腹の中に宿したときの
母親への変貌ぶりに
恐れをなした経験があるパパさんたちは
多いのではないでしょうか?

あの急速な成長ぶりは
成長という言葉を使うには
あまりにも性急すぎて
“豹変”とか“変貌”という言葉がしっくりくる。

…ごめんなさい。ママさんがた…

でも、男にはついていけないくらいの
変わり様なんだもの。
その様子を見て、内心で
「こ、怖いよ〜」なんて思いつつ
自分もしっかりしなきゃ…と
少し遅れて…奥さまから見るとだいぶ遅れて?
成長し始めるパパさん達…。

なんだろうなきっと。
間違いなくわたしはそうでした。

まあでも大丈夫!10年もすれば、
確実にパパさんの出番です。
特に子どもが男の子ならなおさら。

男も女も、タイミングや出番は違えど
子どもを持つことで親として育っていく。

で、その精神は、もっと深く広がりを見せる
可能性を秘めているんですよね。



この緊張感の保ち方は、こなれてきた感があるとはいえ
高い水準での話しなので、文句なく面白い!!

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6」
第12話 「殺めるべき者(Not Tomorrow Yet)」


ジーザスの住むヒルトップから
食料などの物資を分けてもらう代わりに
人質になっているヒルトップの住人クレイグを救い出し、
“救世主”を皆殺しにするという取引をしたリックたち。

食糧を手にアレクサンドリアに戻り、
町のみんなにこのことを告げますが、
モーガンはまずは話し合うことで解決すべきだと主張します。

町の人々を信じるようになっていたリックは
以前のように独断で押しつけることはせずに、
皆で決めたいと先制攻撃か話し合いかの決断を促しますが…。



今回もっとも怖いのはウォーカー(ゾンビ)でも
リックたちの敵でもありません。

マギーです。

マギーは妊娠しています。
グレンとの間に出来た赤ちゃんです。

“救世主”を殲滅するというリックの過激な提案にも
驚異の可能性は全て排除する!
という尋常ではない気迫を見せるマギー。

マギー役のローレンス・コーハンの演技も
とても恐ろしい(笑)

この回では、お腹に子どもを宿した
マギーの「絶対にこの子を守ってやる!」
という母として気迫が尋常ではないレベルで
表現されるのですが、
もう1人、すでにわが子を失っている
キャロルの母性も描かれます。

キャロルはシーズン1では、
DV夫のいいなりになっている弱いママさんでした。

しかし、夫の死、娘の死を乗り越え、
今では、“みんなのお母さん”的な存在になっている。

それも、みんなを守るために
人を殺すこともいとわない。
まさに、今回マギーが見せた豹変ぶりの
その先を行っているのがキャロルなのです。

この作品は、死人が歩き生きている人間を襲うという
極限のサバイバルドラマ、作りモノの世界ですから
強さの表現が極端なものになっていますが、
ここで描かれるのは人を殺せるという極端な強さ
だけではなく、“愛の広がり”みたいなものです。

キャロルがみんなのお母さんになっている。

というのはそういう意味ですね。

母性というのは血のつながりを超えて、
多くの人を愛せる強さを持っている。

世界の子供たちの未来を願える大きさと
そのために行動できる強さを持っている。

わたしは男性で、息子も男の子で、
このブログはどうしても男性的な視点が多くなります。

今回もどうしても男目線でしか書けてはいないでしょうが、
それでもやっぱり母性というのは、
男…父性の大きさや強さとはまた違った
広さや包み込む柔らかさや、そして強さをもっている。

日常、公園でたむろするママさん世界の
ドロドロやストレスを面白おかしく見せるバラエティもあれば
実際にママ友の間でのストレスに悩んだり、
そんな小さな世界で曲がったリーダーシップに酔いしれている
性根の小さなママさんなども現実には沢山いるでしょう。

でも、人の精神の成長というのはもっともっと
深いし広い…でっかいんですよね。

わが子への愛を、モンスターペアレントになるこで
狭めたり醜いものにしてしまうのではなく、
もっともっと広く深い愛に成長させる。

親は子供に親にしてもらっている…
とよく言いますが、その先にある
愛の世界の広がり深み、強靭さをイメージしながら
わが子を見守り、自分の中の愛の成長を見守りたいものです。

ママさん!お昼は昼ドラもいいけど
「ウォーキング・デッド」もいいかもよ〜!!


                 全ての物語のために









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