2016年05月31日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #6 重力の井戸の底で」その5 自分の居場所のとらえ方



わたしたちは家族や恋人、あるいは
従属する組織やコミュニティーを“自分の居場所”
ととらえがちです。

そのこと自体は間違いではないこともあるでしょう。

わたしたち人間の本能に由来する三大欲求…

一般的には、『食欲・睡眠欲・性欲』
という認識が広がっているようですが
心理学では『性欲』は生理的欲求の一つとして
もっと広い意味での『愛』への欲求、承認欲求。
つまり『集団欲』をその中に入れる考え方があります。

集団…つまりコミュニティーの中に
自分の居場所があること。

それが本能的な欲求としてある。

三大欲求への見解の成否は別として
本能的に集団の中に自分の居場所が欲しい、
認められたいという欲求がとても強いことは
なんとなくでも理解できるのではないでしょうか?

確かにそこに居場所を見出した時の安心感は
わたしにも非常によく理解できます。

しかし、そこに依存すると、
人と同じであることに重きを置いて、
絶対に人とは違う個性が死んでしまいかねません。

実際にそういう状態に陥っている人は
たくさんいるのではないでしょうか?



OVAとしてリリース済の本作をテレビアニメ化することを
知ってから密かに、この部分を少しでも追加制作されることを
期待していたのですが、どうやらその期待は叶わないようです。
次回6/5放送分の予告編を見る限りでは…残念。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第6巻 「重力の井戸の底で」 福井晴敏 著 角川書店


ロニの手引きにより、
地球連邦の首都ダカールに足を踏み入れる
バナージとジンネマン。

ダカールにそびえる200mの議事堂こそ、
ラプラス・プログラムが示した新たな座標でした。

ラプラス・プログラムに次の情報を開示させるには、
指定の座標へユニコーンを立たせ、
NTDを発動させる必要があります。

ところがロニの父マハディは
思いがけない作戦を口にします。
ダカールを一時的に制圧し、
その後でユニコーンを降ろす…と。

その真意は、地球連邦に対し
民族積年の恨みを晴らすことでした。

復讐にとらわれたマハディの眼に
バナージは強い反感を覚えるのですが、
同時に自分の無力さも痛感するのでした…。



アニメ版ではロニとバナージの出会いや
関係性がバッサリとカットされ、
いきなりロニが登場、いつの間にかバナージとも
知り合っているような設定です。
なおかつ父マハディや兄弟たちは存在すら
カットされてしまっています。

地球連邦政府の掲げるものがなんなのか?
「ラプラスの箱」の正体はなんなのか?
という部分やロニという少女がバナージや
ジンネマンたちにどう関わりその心に何を残したのか…?
は、この「ガンダムUC」という物語にとっても
とても重要なことではないかと読者としては感じる部分です。

しかし、アニメーションという映像表現としては、
ここは優先順位が低いと制作される人たちには
判断されてしまったようです。
小説版の一ファンとしては最も残念な部分です。

そんな、アニメではカットされた一連のエピソードの中で
バナージはジンネマンの元にいながらふと
「自分の居場所を見つけたような」
錯覚を覚える下りがあります。

それでもバナージは、「自分が為すべきと思ったこと」を
為すために自分の頭で考え、
結局はどちらの敵でもどちらの味方でもない
バナージ・リンクスという個人の立場に立ち返ります。

そんあ彼のあり方を中途半端だととらえる人たちも
物語の中にはいますし、
小説やアニメを観るわたしたちファンの側にもいるでしょう。

しかし、それこそこの物語を通して
「ガンダム世代」であるわたしたちや
その世代が後を託す子どもたちの世代へ
伝えたいことの一つなのだろうと思います。

自分の頭で考えて、為すべきと思ったことを為して行こう…

これは、この後の福井晴俊さんの長編作品
「人類資金」にも引き継がれている部分です。

福井さんご自身もこの2作品を
姉妹編的な作品だととらえているようです。
(講談社刊 「人類資金」第0巻参照)

わたしたちは家族や恋人、あるいは
従属する組織やコミュニティーを“自分の居場所”
ととらえがちです。

しかし、集団に自分の居場所がある安心感に
身をゆだねすぎてそこに依存すると
自分の人生を見失ってしまう場合があります。

自分の人生の本質は、ほかの誰にも
ゆだねられる類のものではありませんよね。

自分の人生の答えは自分で創るしかない。
そこには自分だけしか視ることができない
完全孤独(完全独自)の視点が必ずある。

ということは誰かの意見や人の視点を
参考にすることや、人との関係の中で
自分という「違い」が浮き彫りになることはあっても、
人の意見に従ってばっかりでは
どうしたって、自分の人生を完成させられない。
…ということです。

敵も味方もない。
仲間も身内もない。
自分だけの絶対孤独の感覚と決断。

そこに覚悟を持つことも、また人を尊重する覚悟にも
つながるものではないでしょうか?

自分や大切な人たちの自律を促し
それは自分も含めたその人たちの幸せにもつながる。

集団欲求に溺れない。
自分が為すべきと思ったことを為す。

強く、幸せに生きるコツの一つですよね。


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2016年05月30日

ドラマ「ゆとりですがなにか #6」想像力が足りないのは「ゆとりの前」世代



ゆとり教育とは個性を育み
自らの好奇心や探求心にあわせて
伸び伸びと知識や能力を伸ばそうという考えのもと
始まった新しい教育理念・・・

のはずが、学力の低下に始まり、
彼らゆとり教育世代が
社会に出始めたころから、
ゆとり教育は失敗だったと結論づけられるわけです。

使えない、言われたことしかできない、
忍耐力がない・・・

しかし、それは、
ゆとり教育世代を始めた側に
大きな問題があるのではないかと思います。

ゆとり教育が失敗した原因が・・・

という意味ではないですよ。

そもそも、本当にゆとり教育は失敗なのか?

確かに学力低下は教科書が薄くなり
学校の授業カリキュラムの量に応じたモノでしょうから
当然の結果といえるでしょう。

学力を向上させるためにカリキュラムを
増やすのであれば時間をとる必要がある。

わたしの息子は年に数回土曜日が
午前中授業で学校に行かないといけなくなったことを
嘆いていましたが、
じゃあ、学力が向上したら
社会に出て、「言われたことしかできない」
と言われている問題が解決するのでしょうか?

なんだか、あまりにも大きく欠けていて、
欠けすぎていて、胡散臭いというよりも
発想が幼稚すぎる気がして
日本人として恥ずかしくすらなってきます。



まりぶがいい感じで
深く掘り下げられるようになってきましたね〜
今後の展開が楽しみで仕方ありません。

ドラマ「ゆとりですがなにか」 第6話

を観ました。

まりぶ(柳楽優弥)とゆとり(島崎遥香)の関係を
知ってしまった正和(岡田将生)は、
レンタルおじさん・麻生(吉田鋼太郎)とともに
まりぶのアパートへ押し掛けました。

まりぶは正和に、「すいません!」
と反省しているのかしていないのか
でも素直にゆとりとのいきさつを話しました。

まりぶに攻め寄りながらも、
ゆとりを傷つけたくない正和は
まりぶに、ある頼み事をします。

一方、仕事では山岸(太賀)
が担当を引き継いだ弁当屋が
他社に乗り換えたらしく助けを求められ、
担当者の野上(でんでん)に探りを入れる正和。

そして、山路(松坂桃李)は学習障害の児童、
大悟に授業を合わせることで、
クラス全体の勉強が遅れるのではないか?
という保護者たちの心配を解決すべく
生徒たちに対して「ゆとり」に関する授業をします。

そして大悟の母・奈々江(石橋けい)から
大きく信頼されるようになります。

シングルマザーの奈々江は、
看護師として働きながら大悟を育てています。

山路は、奈々江のことが気になり始めますが、
そんなところへ久しぶりに佐倉(吉岡里帆)から
連絡が入るのでした。

山路は正和の元カノ、茜とは
泊まりで温泉にも行っており・・・



山路の、ゆとり教育に関する授業は
素晴らしい授業でした。

このドラマが「ゆとりですがなにか」
というタイトルでゆとり世代を描いている
その本当のテーマが一つ語られたような
そんな授業でした。

ゆとり世代にはそれなりに良いところもある。

探求心が純粋で、納得行くまで突き詰めることや
マジメなことなど・・・

そもそも、言われたことしかできないとか
我慢が足りないとか、
いつの時代も先輩方が後輩たちに言ってきたセリフです。

本当にゆとり教育のせいかよ?
という問題です。

学力低下はなんとかした方が好ましい
というのはわかります。

でも、マジメさや探求心旺盛で
とことん突き詰めることなどが失われたら
本末転倒です。

詰め込み教育では個性を伸ばすゆとりがない。
だから詰め込み教育を改めなければならない。
詰め込んでいたところにゆとりをとって、
個性を自由に伸ばすために時間をとった…

それはそうなるでしょう。

しかし、個性を伸ばすためにとったはずの
ゆとりある時間の中で、
なにをどうすればいいのか?

その答えを持っていなかった。

それが現実です。

ゆとり教育世代が、例えば山岸のような
危険なマイペースさや自己中心的な
考え方(というより感じ方)をするほどの
”モンスター”を社会に多く輩出した原因は、
明らかにそこにある。

ゆとりが失敗なのではなく、
ゆとりある時間をつくっておいて
そこですべきことを誤った大人の責任。

誤ったと言っても、全てが過ちではないですよね。

確実に個性を大事にして、しかも
古い大人の頭では考えられないこと、
感じ取ることすらできない感覚を
持ち始めた人たちが沢山いる。

すでに彼らは社会人となり
社会に貢献し始めている。

問題は、自分たちが分からない感覚、
新しい感覚に対して価値を見いだせない
古い人間の想像力の欠如、ではないでしょうか?

自分たちの過ちを正すために
ゆとり教育を失敗だと早々に結論付けてしまう。
早計すぎます。

国がかりで初めてのことをやったんだから
全てがいきなり上手くいくわけではない。

そんなことは当たり前です。

上手くいったところと間違ったところがあるなら
冷静に”心”を持って考えて、
良いところは伸ばし、悪いところは正す。

それこそ時間をかけて取り組んでいくことですよね。

…なんて、言っていますが。
じつは今、すでにゆとり教育を受けた人たちが
教育の現場にいるということは、
最初に「ゆとり教育だ」と言いだした人たちは
もう政治は社会を動かす立場からは
退いているだろうし、

いま、「ゆとりは失敗だった」といっている
古い頭の人たちも、すぐにそうなるでしょうから、

結果的にこの国は理想に近いバランスで
進んで行ってくれるんじゃないかな?
と楽観的に観ています。

わたしは古い頭の人間ですが、
次の世代を残していく責任は古い人にありますからね。


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2016年05月29日

アニメ「聖闘士星矢(セイントせいや) フェニックス一輝」ムクムクっと湧き上がる生命力の象徴をイメージして



どうしてもやる気が出ないとき、
どうしても落ち込んだ気持ちから抜け出せないとき、
その気持ちの流れに任せて
漂っていればいい。

そんなことを数日前の記事
小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #6 重力の井戸の底で」その3 使える感情は使う技術
で書きました。

そこで紹介した物語の主人公バナージは
そんな気持ちの中で、
歩き出してしまう自分、生きようとする自分を
客観的に見つめていました。

ムクムクっと、感情が湧き上がるキッカケがある。

そのことをわかった上で、
落ち込んだ気持ちに流されて漂っていれば
そのキッカケが来た時に掴めるから、
流されていていいんですよね。

でも溺れちゃダメよ。とも書きました。
溺れないためのコツがそういうことを知っておくことだと。

そのムクムクっと湧き上がる魂の象徴。

それは昔から様々な物語の中に登場しますよね。



息子がハマッているアニメ「物語シリーズ」は
「化物語(バケモノガタリ)」を第一作として
同名小説を原作に作られているシリーズです。
今ソフトされている中で旧作を見終えたため、
モンスターストライクとのコラボをキッカケに
息子が興味を持ち始め、新たにハマッています。

アニメ「聖闘士星矢(セイントせいや)」

を息子と一緒に観ています。

世の中に悪がはびこるときときに現れるという
聖闘士=セイント。

ギリシャの女神アテネを守り
平和を守るのが彼ら聖闘士の役目。

厳しい訓練に耐え、認められた者だけが
聖衣=クロスというプロテクターをまとった
聖闘士となる。

ブロンズ(銅)聖闘士、シルバー(銀)聖闘士
ゴールド(黄金)聖闘士がメインで
その他さまざまな聖闘士たちが存在するようです。

彼らは訓練によって、
人間の内なる力、宇宙とつながる神秘の力
小宇宙(コスモ)を物理的なパワーとして呼び覚まし
聖衣を身にまとうことでさらにコスモの力を
増幅させることができます。

物語の主人公である星矢を中心とする
ブロンズ(銅)聖闘士たち。
その中でも、デスクイーン島という
最も過酷な訓練場へ送り込まれ
フェニックスの聖闘士となったのが一輝という男。

彼は、女の子のように優しい弟の身替わりとして
少年時代に自らデスクイーン島行きを志願します。

そして、憎悪の塊となり、
星矢たちの敵となるのですが、
結局は本来の強い心を取り戻し、
彼ら聖闘士がピンチに陥るときに
どこからともなく現れる強力な助っ人になります。

何度倒されても炎とともに
魂を燃やしながら立ち上がる一輝。

「聖闘士星矢」に詳しい人に聞くと
結局は聖闘士界最強と言われているのが
フェニックス一輝なんだそうです。



今月、キャンペーン期間中に
頻繁にテレビCMが流れていましたね。

街頭インタビューで
「あなたのコスモを見せてください」
とか、
「モンストって知ってますか?」
などのリクエストに街行く人が答えている。

そんなCM。

わたしたちの世代にはとても楽しいCMでした。

「あなたのコスモを見せてください」

と書いた紙を見せられた男性が
「うぉ〜!!」と言いながら力を込めている様子が
微笑ましかったです。

コスモを燃やしていたんですね。

わたしは、小学生のころ観ていたのですが
ギリシャの十二宮で黄金聖闘士と戦っている最中に
中学生になり、次第に興味をなくして
最後まで観ずに離れてしまいました。

四歳したの弟はちょうどターゲット層だったようで
大好きでした。

わたしにとって「キャプテンハーロック」や
「銀河鉄道999」がそうであるように
弟にとって魂を揺さぶる
大切な思い出の一つが「聖闘士星矢」なんですね。

だから、今回は全話、TSUTAYAのお世話にならず
弟のお世話になって観ることができそうです。


そんなこんなで、途中で興味を失ったわたしも
フェニックス一輝だけはハーロック同様
孤高の戦士として、ずっと胸に刻まれています。

倒された一輝が炎とともに蘇り
敵を倒すあの爆発的なコスモは
魂を揺さぶります。

手塚治虫の名作にも「火の鳥」があります。
「ハリー・ポッター」にもフェニックスは出てきますね。
「化物語」の続編「偽物語」でも不死鳥は
“怪異”として登場しました。
わたしが幼児期に観ていた
「科学忍者隊ガッチャマン」でも
彼らが乗る戦闘機ゴッドフェニックスの必殺技
科学忍法「火の鳥」で燃え盛る機体で
敵に体当たりしてきます。

魂を燃やして何度でもよみがえる
象徴的な不死鳥=火の鳥=フェニックス

ムクムクッと湧き上がる魂の象徴として
自分の中にイメージを持っていると、
自分の内側に熱を感じることができますよ。

落ち込んで漂っているときに
キッカケをつかんだら、
フェニックスをイメージしてみるのもいいのでは?


              全ての物語のために

https://youtu.be/9f6n1GKbre0









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2016年05月28日

ドラマ「世界一難しい恋 #6」ショックを受けて、決めつけて無視するのは怖いから



裏切られた!

と思うと、プイッと背を向けて
相手の弁解を聞こうともしません。

「言い訳なんか要らねぇ!
オマエはオレの信頼を失ったんだよ!」

ってなもんです。

まあ、気持ちはわかるんですよ。

でも、それは怖いから逃げてるだけ。
怒っているから、
一見厳しい態度に見えますが
実は弱さによる態度です。



波瑠さんが、カチン!きた演技をしましたね。
コワッと思いました。縮み上がりました。

ドラマ「世界一難しい恋」 第6話

を観ました。

美咲(波瑠)から交際OK返事をもらって、
ついに、ついに!
彼女と付き合い始めた零治(大野智)。

零治と美咲は、水族館でデートをしたり、
「レイさん」「ミサさん」と
二人だけの呼び名を決めたりして、
仲睦まじく関係を深めていきます。

そんな中で、美咲は仕事とプライベートは
しっかりと分けたいと言い、
二人の関係は社内で
わざわざ公表はしないことになります。

零治は、美咲とのやりとり一つひとつが嬉しくて
「いい娘じゃの〜」と悶絶しながら
幸せをかみしめる毎日。

そして美咲を連れて行くつもりの
ホテル協会のパーティーは、翌週に迫っていました。

零治は和田(北村一輝)に美咲との交際を報告しました。
和田は、もちろん祝福しますが、
零治は和田のアドバイスのお蔭ではない、
上手く行ったのはすべて自分のオリジナルの部分が
功を奏したからだと強がります。

そんな中、白浜(丸山智己)が
土日で京都へ出張することになり、
企画戦略部の中からサポートとして同行者を募ります。
出張の日程は、ホテル協会のパーティーの日と重なっていました。

パーティーのことを知りもしない美咲は
元気に出張に立候補します。

零治は、美咲に出張に行ってほしくないながら、
彼女と公私を分けるという約束をした手前、
仕事に意欲的な部下としての美咲を止められず慌てるのでした…。



放送前の予告編でもあった通り、
和田にパーティーに連れて行く目標ために
美咲を口説いたんだということをバラされてしまいます。

「最低です」と起こった美咲は
「違うんだ!」と弁解をしようとする零治に背を向け
聞く耳は持ちません。

騙されたと思ったんでしょうね。
裏切られた!もてあそばれた!
…と思っちゃったんでしょうね〜

そりゃそうですよ。
和田もまた意地悪いもんな〜。

(和田の女性の気持ちの扱い方の
見事な手腕は今回も披露されますが…)

さて、その美咲がどうするのか…
は観ていない人のために明かしませんが、
そういう態度は、やっぱり怒りです。

怒りなんですが、怒るのは強いからではない。
弱いからですよね。

裏切られたという現実と向き合うのが怖いから。
騙された、もてあそばれたという現実となんか
向き合いたいわけなんかない。

だから、そんな現実と向き合わなくていいように
先に逃げたわけです。

そんなことをすると、幸せを逃がしちゃいますよね。

「本当はどうなんですか?」

と、ちゃんと零治と向き合って、
零治の思いが伝わったはずです。

冷静に考えれば、パーティーのためだけなら
パーティーの翌日からは扱いが酷くなるでしょうから
零治の美咲への思いが本物かどうか?
すぐにわかるわけですよ。

そのときに、本当に見たくなかった現実が
そこに現れるなら、
そのときは零治を「最低!」とひっぱたいてやればいい。

でも、お茶目な零治にどうしても惹かれたのなら、
そんな零治とそんな自分を信じる方が先です。

怖いからって怒りに逃げちゃダメ。
怒りは自己防衛本能だから脊髄反射的に
ワァッ!と湧き上がってきちゃいます。
でも本当の感情ではなく、
本当の感情から身を守るための第二感情ですから
本物の結果にはならない。

怒りで決断はしない。
間違うから。

怒りで決断しちゃったと思ったら
かっこ悪くても気づいた時点で前言撤回!

それを認め受け止めるのも勇気です。

幸せになるという覚悟には、
そういう勇気を出す覚悟も含まれていますよ。

美咲も零治も今のところ
わたしたちの素敵な見本になってくれています。


                 全ての物語のために









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2016年05月27日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #6 重力の井戸の底で」その4 無意識に信頼してしまう人



大人になればなるほど、
警戒心がどんどん増していきます。

だから、友達や親友というのを
新しく作るのが難しくなる。

無防備だった子供の頃のようにはいかなくなる。

それでも、そんなわたしたち大人が支えている社会でも、
世界は信頼で回っていますよね。

ビジネスの現場ひとつとってもそうです。

同僚、先輩後輩、取引先・・・

後輩として新しい現場につくと
人見知りのわたしなどは
どうしても警戒してしまいます。

傷つけられやしないか、傷つけやしないか、
しかし、お互いのやりとりや、
仕事を通して、相手の人となりがわかり、
「この人のこう言うところは信じて良さそうだな」
「なんだか、この人は信用おけないな」
など、感じ始めるようになります。

あなたは、どんなときに
「この人なら信じてよさそうだな」
と思うでしょうか?

あなたは、どんなときに
「この人なら信じてよさそうだな」
と思われているのでしょうか?

いろいろな場合があると思いますが、
わたしはこの小説の中で
あるキャラクターにそう感じた瞬間がありました。


観たいドラマが多すぎて追いつかないもどかしさと同時に
西尾維新さんの「物語」シリーズの他の作品も読みたいなと思いながら
今は「ガンダムUC」にハマっている。
「物語シリーズ」を読んでいると、ガンダムの続きを読みたくなる。
あ〜!もどかしい!

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第6巻 「重力の井戸の底で」 福井晴敏 著 角川書店


いいですね〜!ページを開くとすぐにキャラ視点のあの世界観に入り込む。

マリーダもまた捕虜として地球へ降ろされ、
オーガスタにあるニュータイプ研究所へ運ばれていました。

マリーダはそこでカーディアス亡き後のビスト財団を取り仕切る、
マーサ・ビスト・カーバインと対峙することに…。

マリーダの本性を直感で見抜きますが、
“再調整”でマリーダの精神は
マーサの精神に浸食されていってしまいます。

アルベルトは自分を助けたマリーダが
変節していくのをただ見つめるしかできません。

一方バナージは、〈ガランシェール〉の援助に来た
地球のジオン残党、マハディ・ガーベイの娘ロニと、
ジンネマンと共に、地球連邦政府本部がある
ダカールを訪れていました。

〈ユニコーンガンダム〉のラプラスプログラムが示した
次の座標を視察するために…。



フラスト・コールという登場人物がいます。
アニメ番ではドラマ「24」の
ジャック・バウワー役で注目された
小山力也さんが演じています。

スベロア・ジンネマン率いる
『袖付き』の艦、〈ガランシェール〉隊の総舵手2番手。

1番手がギルボア・サントでしたが
宇宙でバナージの手にかかり戦死しましたので、
実質上は現在の1番手はフラストと言っていいでしょう。

〈ガランシェール〉は、主人公バナージが暮らすスペースコロニー、
インダストリアル7で戦闘を繰り広げ
バナージ達の学校の友達やその家族たちを
死に追いやる原因を作った艦でもあります。

バナージとともに冒険に出るわたしたちは、
敵とみてもいい存在。

そかし、どうしても敵視できない。

それは、〈ガランシェール〉隊から見たら敵である
連邦軍の艦〈ネェル・アーガマ〉隊にしても同じ事です。

それは、主人公であるバナージが、
双方を行き来し
「敵とか味方とか、そんな区別できませんよ!」
なんて言っているから、というのもあるでしょうが、
それだけではないと思います。

描かれる彼らの様子から、わたしたち読者自身が、
この人は信頼してもいいんじゃないか?
と思ってしまうからでもありますよね。

〈ガランシェール〉隊の面々は、
同見ても堅気には見えない、荒くれ者の集団です。
それでも、信頼してよさそうと思える人たちです。

ギルボアは人好きする「いいおっちゃん」といった雰囲気。

ジンネマンは、岩のような強面ですが、
父親の強さと優しさを見せる。

このフラスト・コールという男は
そんなジンネマンたちと一緒にいるので
悪い人ではないとは思っていましたが、
この第6巻では、わたしが個人的に
「この人は信じられそうだ」
と思ってしまうような一面が描かれました。

バナージがジンネマンと砂漠をわたる最中で
出発前のにフラストが語って聴かせた話を
思い出すくだりがあります。

一年戦争でジンネマンたちとともに
連邦の捕虜になり、終戦後に故郷に戻ったとき
目にした故郷の惨状。

それらに対する思いをフラストの言葉で語られるくだり。

連邦を敵として、戦後も戦い続けることを選んだ理由を語る。

彼らの中にある狂おしいほどの悲しみや怒りが
そこにはあるのですが、そんな話の中でも
フラストは言います。

逆の立場だったらって考えることもある・・・と。

戦争は人を狂わせる。
逆の立場だったら自分たちがそれをやる側だったのかもしれない。

そういうこともちゃんと語るんですね。

でもだからといって、ハイそうですかと
納得できるようなものでもない。

フラストもまた、戦争という個人だけの力では
どうにもならない状況を
客観的に見て、自分が追かれた状況も冷静に見る目を持っている。
そして、それだけでは割り切れない、
人のやさしさを持っているからこその感情ももっている。

だから、わたしは
「この人は信じていいんじゃないか?」
と思ったわけです。

一つのことにとらわれて、
一方的なものの見方しかできない。

そういう人は信用できません。

この巻の中では、マハディという男がでてきますが、
主人公のバナージも、マハディと相対したときにそんな感想を抱きます。

わたしたちが信頼できるのは、一方的なもの考え方を押しつけない人。

わたしたちが信頼されるのは、全体的なモノの見方もできて、
その中での自分という見方ができ、
人を愛する優しさという熱を感じてもらえたとき。

そういう人たちが増えて、
つながって広がっていけば、
世界はもっともっと住みやすくなるんでしょうね。

そういう人と出会うには、
まずは自分がそういう人であろうとすることですよね。


             全ての物語のために











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