2016年04月30日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #5 ラプラスの亡霊」その2 自由と可能性はすぐ手が届くとろにありました




わたしの勤務先ではマニュアルが重宝されています。

マニュアルがないと動けない人たち…
もかなりの数います。

マニュアルはガイドラインであって、
そのマニュアルや業務フローの網の目を潜って
どう問題に対処していくのか?
を創りあげるクリエイティブな作業が『仕事』
というもののはずですが、
それを教えられる人や、それを学ばせる機会を作る
という視点そのものが無くなってきています。

大きな会社組織の問題点。

仕事を知らないまま入社して、
在る程度の仕事を覚えていく。

そうなってもらうためにはマニュアルはとても大切。

ですが、そこから抜け出せない。

マニュアルというのは、仕事を上手く転がすための
一つの方法ではあるけれどそれが全てではない。

無数にある方法のウチの一つだということです。
その中から最大公約数的な効率的な方法を
一つ選び出して紹介したものがマニュアル。

だから、それを学んで応用して広げていく…
というのなら学んだ甲斐もありますが、
それ以外は間違いだとして、
全てをそのマニュアルの中だけで解決しようとすると
『可能性』を閉じ込めることになる。

これは、マニュアルが用意された仕事の話だけではなく
人のことを“こういう人だ”と決めつけてしまうときにも起こる
とてもとても寂しい現象ですよね。



もっと、もっと、物語に触れる時間が欲しい。
もっと、もっと、家族や友人たちとそれらを語らう時間が欲しい。
でも、なかなか思うようにいきません。
だから、こんなブログをやっているのかな。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第5巻 「ラプラスの亡霊」 福井晴敏 著 角川書店


を読破しました。

ネオ・ジオン残党『袖付き』の拠点
パラオから脱出したバナージは、
戦闘のさ中に敵のモビルスーツ〈クシャトリヤ〉
のパイロット、マリーダ・クルスと思惟を通い合わせます。

マリーダの生い立ちをマリーダの目と心で視て、
マリーダが自分の生い立ちを同じように視たことを
感じとったバナージ。

ニュータイプが本当に
他者と誤解なく分かり合える人の確信だというのなら
多少強引でも全ての人間を
早く覚醒させるために宇宙に連れ出した方がいいのでは…?

保護された連邦の艦、ネェル・アーガマの医務室で
そんなことを考えながら、
考えた自分をまた省みたりしていました。



バナージは目覚めた医務室で、
軍医のハサン先生と、
ニュータイプのことを語らいます。

連邦軍もジオン軍も、かつて
ニュータイプを化学的に創り出すための研究をしていました。

作られたニュータイプ=強化人間。

バナージがネェル・アーガマに連れてきたマリーダは
強化人であることがわかり、
バナージとハサンはそんなことが起きてしまうことに
寂しさを感じながら語り合っていました。

強化人間の研究は、
ニュータイプの勘の鋭さやテレパシーのような
“現象”による戦争への優位性に着目して…
つまりは兵器として使えると思われて
その“現象”を意図的に作りだそうという研究でした。

人間の肉体や脳をいじって、
ニュータイプのような能力を生みだせないかと。

マッドサイエンス。人体実験。

しかし、バナージもハサンも、
人の心の中に宿る可能性が、
脳や精神を切り裂いて、とり出せると思う時点で
それは可能性を鋳型にはめ込み、窒息死させる行為。
だという結論にいたります。

「寂しいものの見方」だと。

これは、人間の内底から発生する
思いや考え方などに内包される可能性を
閉じ込めてしまうというお話ですが、

これってそのままわたしたちの仕事や
日常生活での『決めつけ』に当てはまりますよね。

わたしたちは、学び考え生み出し成長・発展する。

マニュアルは学ぶものです。

でも、マニュアルだけで終始するのは
その先にある無限の可能性を
殺していることになりますよね。

その先、つまり「考え」「生み出し」「成長・発展する」
あらたな考えによって生み出されるもの。

そこには無限の可能性があります。

仕事だって人だって、どう成長するか?
そこには無限の可能性がある。

それを初めからやらないという考え方が
マニュアル至上主義。

「アイツはああいうヤツだ」
という決めつけも、
「お金って、持つと欲が出ちゃう。お金は魔物だよ」
「世の中ってこういうもんだ」
とまるで悟りのような理解のしかたも、
思考の鋳型にはめようとする行為。

それ以外の可能性を殺す行為。

学ぶのは材料集め、
その材料を使ってなにを生みだせるかは
わたしたち次第。

可能性は無限。

個人個人がそのことに気づくだけで
“閉塞感”なんて霧みたいに消えてくれそうな気がします。

「決めつけ」から抜け出してみましょう。


                 全ての物語のために











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2016年04月29日

ドラマ「ゆとりですがなにか #2」『腹が立つ相手は自分の鏡』ってことを素直に認めたら潔く前に進める



「俺がイライラするのはお前のせい」

そういう気持ちを何の思慮もなく
周囲にまき散らす人がいます。

男だろうと女だろうと、
そういうのをヒステリーと言いたいですね。

そういう人を見ると、
残念極まりない気持ちになります。

「じゃあ、アンタは人を見ていてイラつくことないの?」

と言われれば、それはあります。

一番身近な人たち…
妻、息子、同僚、後輩…

関係が近ければ近いほど
「なんでこんなこともわからないの!?」
「何回言えばわかるの!?」
「前もって警告しておいただろう!?」
とやるせなくなる。

でもそれは、わたしが相手に期待していたからで、
その期待はわたしの都合であることは
はなから承知の上。

だから、わたしは日本の全大人の
平均よりはだいぶ怒りっぽくないほうだと思います。

でもそれだけです。

相手は自分の鏡…それがわかっているから
そこから学ぼうともしますし、
あとで冷静に自分を見つめることもする。

でもそれは知識を使っているだけ。
知識を『知恵』に変えて活用できていない。

精神的に洗練されている人は
相手が受け取りやすい形で
自分の思いを伝えたり、
さらにお互いの気持ちがプラスになれるような
粋なはからいに転化させることができます。

そういうことができて初めて
『相手は自分の鏡』という知識が知恵として活用され
さらにはその結果としてその知恵の持ち主の
精神が成長しているんだなと感じてしまう。

そういう人のそういう振る舞いを目にすると…、
あまり自分を責めるものでもないよと
自分に言ってやりたいけど、
やっぱり、まだまだだな〜と、反省しちゃいますね。



織田裕二さん主演の「ロケットボーイ」というドラマがありました。
確か、宮藤官九郎さんの
連続テレビドラマの脚本第一作だったと思います。
織田裕二さんが途中腰を悪くしてしまいながらも2〜3週
休んだ後に車いすのまま出演するという俳優も脚本家他
スタッフ側も超ウルトラC的なプロ根性を見せてくれた作品。
このドラマはなんだかあの名作を思い出させるテイストを感じます。

ドラマ「ゆとりですがなにか」

第2話
を観ました。

正和(岡田将生)は、
駅で若いサラリーマンの人身事故に遭遇し、
前回自分が叱りつけた後輩、山岸(太賀)が
自殺したのだと思い込み慌てていました。

まもなくLINEへの投稿により
山岸の無事は確認されますが、
その投稿は
正和からのパワハラによる苦痛を理由に
辞職するという内容でした。

宮下(安藤サクラ)や、上司の早川(手塚とおる)を含む
関係者のLINEに一斉に送りつけられていました。

会社から呼び出され、記録用のカメラを回される中
正和は事情を説明させられるのでした…

一方、山路(松坂桃李)は、
“レンタルおじさん”の麻生(吉田鋼太郎)と、
まりぶ(柳楽優弥)が一緒にいるところを目撃。

正和にも伝えて、二人は麻生を呼び出し
問い詰めました。

麻生はまりぶの父親であること、
また、まりぶは正和や山路と同じ年に生まれた
“ゆとり第一世代”であることがわかります。

山岸から訴訟の話が出ているため
会社からの謹慎処分を受ける正和。

そんな正和に『鳥の民』から連絡が来ます。
ガラの悪い客が店長を呼び立てているとのこと。
まりぶが正和からもらったサービス券を使いに
やってきたのでした。

まりぶはそれから毎日やってきて
焼き鳥2本とビール1杯で帰っていくのでした。



好きですこのドラマ。
正和、山路、まりぶ…

三人三様ですが、昭和50年生まれのわたしでも
それぞれに共感を持てる部分があり、
三人がこれからどうなっていくのかとても楽しみです。

今回のお話はラストで胸がスッとしました。

仕事で問題続きの正和が描かれていたのに
最後は正和が自分で自分の心の整理をつける。

その様子が見事でした。

正確に言えば『自分で』というのは違うけど、
誰かに相談に乗ってもらったわけでも
アドバイスをもらったわけでもない。
だからやっぱり『自分で』『気づいて』『整理した』
と言えるでしょう。

希望していた職種でインターン採用が決まり
張り切っていた妹が、実際に職場に行ってみたら
いろいろ大変だったようで「もう行かない」
と布団から出てきません。

そんな妹を見た正和はカチンと来て説教します。
「兄ちゃんを見てみろ!」と自分の状況を説明して
「それでも、俺は辞めないぞ!今辞めたら何も残らない!」
と言いながら、自分で気づいたのでしょう。

これは、俺が俺自身に言ってるんだな…と。

ひとしきり言い終えて、潔く妹に
「ありがとう!」とお礼を言う。
熱くて微笑ましいシーンでした。

甘えた妹の態度を見てイラッとした。
でも、それは、いろいろあって
「なんでこうも問題ばっかり…」と
戸惑ってウジウジしていた自分の気持ちへの
いら立ちだと気づいたんでしょうね。

言いながら、
「そうだよ!ウジウジしてたって何も変わらない。
やるんだよ!受けて立ってやるよ!」
って思えてきたんでしょうね。

正和はそこで気づけて、妹に
おかげで整理で気持ちの整理ができたよ、
ありがとう!
と告げて見せた。

だから、妹もそうやって頑張っている兄の姿に
元気をもらうことができたのでしょう。

もし、正和が自分の内側には目を向けずに
ただ「お前が悪い」と妹を責めるだけだったら、
妹も納得できないままもやもやしたでしょう。
あるいは、「わたしは弱い人間だ」と
思ってしまったか…

相手のいたらない部分に腹が立つのは、
自分の中にあるそういう部分を許せないからです。

自分はそういう気持ちを律して頑張っているのに
お前はなんだ!
…ということですね。

でも、そう律すると決めたのは自分の問題であって
相手が同じ問題をいつどう対処するのかは
本来は相手の問題です。

ですから強要はできない。
仕事がつらくて嫌なら、「やってやるぜ!」
と立ち向かうか、辞めてしまうのかは
本人が決めること。

でも、そこで頑張ってほしいときに
ただ「甘えんな!頑張れ!」と説教や励ましをするのと
「自分はこういうことがあった。でも辞めないよ!
〜だから辞めない。
って言ったけど、たった今君に言いながら覚悟ができた。
君のおかげだ、ありがとう」
と言われるのとでは、

どちらが、自発的に頑張りたくなるか…

前者だと、言うほうも言われるほうも
クサクサした思いが残るでしょう。

でも後者だと、自分は潔く自分の状況を受け止め
前に進む力を呼び起こせるし、
相手もそういう気持ちを自発的に発揮しやすくなる。

それもお互い晴れやかな気持ちで前に進める。

『腹が立つ相手は自分の鏡』
それを知っていて、その知識を知恵に変えられたら
こんなに結果が変わるんですね。


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2016年04月28日

ドラマ「重版出来! #3」涙が出るような仕事の仕方



20代後半だったか、30代前半だったか、
会社で、自分の上司がさらにその上司に
抗議しながら涙を流しているのを見たことがあります。

わたしは、正直とても醒めていました。

「ようやるな…」と。

わたしも仕事をしていて、
泣きたくなることはあります。

情けないことに最近でも記憶にあったりします。

どんな時か…

「今日はどうしても早く帰りたい!」
と思っていた時に限って
なんとも悲しい残業になってしまうとき…

(笑)恥ずかしすぎて、書くのやめようかなって
躊躇するくらい情けないお話です。

子どもか!
いや、子どもですね。

小学生の頃、土曜日が一番好きでした。
午前中だけで学校が終わってあしたは休みだ!
って、あの気分が大好き。

でも、ある日、あらぬ疑いをかけられた数人が
みんなが帰った後残って先生と話をすることになりました。

3-4人だったかな?
わたしは無実だったので、
なにも恐れることはなかったのですが、
泣いてしまった…。

先生は、疑われたことで泣いていると思ったでしょうが、
そうではありませんでした。

土曜日の「終わった〜!」という開放感を感じながら
帰路についているはずの自分が、
今こんな所で足止めされている…
という、超超個人的な趣向の実現を妨げられたことが
悲しくて泣いていたのでした。

今、帰りたいのに帰れなくて涙が出そうになる時に
「あの頃から成長してねぇな〜」と思って
苦笑いしながら、なんとか泣かずに堪えてます。

でも、そんな自分のための小さな小さな涙ではなく
もっと本気の熱い涙が流せる仕事っていいなと思います。

上司のような悔し泣きもあるでしょうが、
もっともっと高いレベルの涙。



第1話を消してしまって本当に後悔しています。
み誤りました。この作品は今シーズンのドラマの中でも
わたしの中ではヒットです。

ドラマ「重版出来!」

第3話
を観ました。

心(黒木華)の初の担当作品は
が週刊バイブスの看板漫画、高畑一寸(滝藤賢一)の
「ツノひめさま」に決まりました。

はりきって掲載作品のラストに挿入される次週へのアオリ文言を
百本も考え五百旗頭(オダギリジョー)に見せますが、
全部ボツにされてしまいます。

編集の世界はスポ根魂だけではやっていけないぞ
という先輩の壬生(荒川良々)に
“編集道”を教えてください!とうったえる心。

壬生は心に、漫画家と二人三脚で
いいものを作っていけば読者の意見に
媚びる必要はないと熱く語るのでした。

そんな壬生は、実は読者アンケートの結果を受け、
担当している漫画界一のイケメン漫画家、
成田メロンヌ(要潤)の連載打ち切りが決定していたのです。

日々成田のご機嫌とりに必死だった壬生。
新しい企画提案を持ち出し、
ゴマすりも激励の言葉も成田を苛立たせるばかり…。

成田は漫画家を辞めるとまで言い出します。

そんな中、心は初の高畑への原稿催促という大仕事に
「編集者として先生の一番の理解者になりたい」
と気合が入っていました。

しかし、締切直前になっても高畑から原稿が届きません。
なんと、高畑の彼女・梨音(最上もが)が家出をし、
必死で探していたために原稿が完成していないというのです。

「原稿は死んでも落とさない」と、
必死で入稿し、ギリギリ間に合いますが、
即、次号のアイディアに取りかかるのが週刊マンガ雑誌。

高畑の次号のアイディアがやっつけしごとのように感じた心は…。



わたしは小学生の頃、漫画家を目指していました。
藤子不二雄の「まんが道」を読んで影響を受けたんですね。

でも、このドラマを観ていると、
やっぱり自分にはできなかっただろうなと
つくづく思います。

ぜんぜんやりたいと思わない(笑)
読む方がイイです。

心が五百旗頭に、
「漫画家に自由に書かせるのはいいけど
ラクはさせるな」
と…

作品というのは苦しみながら
その苦しみの中から生まれてくるものだからと…。

確かにそうでしょう。
わたしも脚本であったり、そのほか様々な
文書を書いてきましたし、
映画など映像作品も作ってきているのでよくわかります。

もう、「おえ〜〜〜〜〜!」っておう吐する感覚です。
息を吸いたいのに出てきちゃうから吸えない。
涙目になって、もう勘弁して!
って思いながら…そして、
コレが終わったら二度とやりたくない!
と思いながら…それでもまたやっちゃうんですが…

でも、そんな風に苦しみながら仕事ができるって
本当はとても幸せなことだなと今回のお話を観ていて思いました。

心が高畑に書き直しを依頼しに行き
高畑はそれを拒むシーンがあります。

高畑にアイディアが入った封筒を
なんとか押し付けた心の目からは涙がこぼれていました。

悲しさや辛さからの涙ではありません。
本気の昂り(たかぶり)による涙。

全身全霊で高畑と格闘しながら
読者にいいものを届けるんだという魂の昂り、
あれが仕事で味わえるのは素晴らしいことですよね。

でも、本当は仕事ってそうやって取り組むのが
当たり前でもあるのでしょう。

改めて、自分がどれだけ仕事を楽しめているか?
見直してみたいと思いました。


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2016年04月27日

ドラマ「世界一難しい恋 #2」あえて目的を忘れると達成できちゃう



好きな人をデートに誘うのが難しい。

わかります。
今でこそ『恋人になりたくてデートに誘う』
なんてことはなくなりましたが、
10数年前まではそういうことで苦労していました。

いくら告白してもフラれてばかり、
「今度一緒に食事でも…」
なんて言うと、ある程度大人なら
「そうですね」と相手も返してくれますが
もちろん社交辞令。

告白の仕方もデートの誘い方も
まるでなっていなかったんですね…

しかも、それってとんでもなく勇気がいるから
思ったらすぐに行動!というわけにもいかない。

何日も何ヶ月も思い悩んで
想いが重くなってたまらなくなってエイヤ!
って突進してしまう。
当たって砕けてしまう。

というか砕けるために当たってしまう。

もう、自分の想いの重さに耐えきれず
発散したかっただけ。

そんなんだから、練習にもならなければ
もちろん上手にもなっていかない。

もっと上手に女性を口説きたい…
当時はそれこそ切実に悩み抜いたんです。
そしてあることに気づきました。

自分の心にトリックを仕掛けると
とても行動しやすくなることを知ったんです。



一冊、小説を読み終えたのですが、
やはりこの世には面白い物語が溢れかえっています。
そしてそれらの物語には自分と向き合わせてくれたり
幸せに生きるヒントであったり示唆であったり…
そういうものがたくさん詰まっている。
全てに触れられないのが歯がゆい!!

ドラマ「世界一難しい恋」

第2話
を観ました。

2ヵ月後に開かれるホテル協会のパーティーに
美咲(波瑠)を婚約者として
連れて行くと決意した零治(大野智)。

しかし、秘書の舞子(小池栄子)から、
美咲にはベルギー人の恋人がいるらしいと知らされ、
大いに動揺するのでした。

情報源が美咲の先輩社員・三浦(小瀧望)だと知った零治は
三浦に近付いて詳細を聞き出そうとします。

しかしほぼ三浦の推測でした。

なぜそんなに美咲のことを零治が知りたがるのか?
不思議がる三浦に、
社長として社員を気にかけているからだと伝えると
三浦は真に受けて感動します。

そして、しっかりと若手社員の飲み会で、
と話して真相を突き止めてくると零治に約束するのでした。

三浦によると、美咲の元恋人は
ベルギー人のミルコという男で、
美咲がパリのホテルで働いていた頃の同僚。

美咲とミルコはすでに別れていて、
今付き合っている男性はいないと判明。

ところがそれを聞いた零治は
今度は美咲の過去が気になり始め、
彼女をあきらめると言い出します。

そんな零治に舞子は
「器が小さい。それではモテない」
と、正直に意見します。

一方、美咲は、
零治がクビにした清掃員・松田(美保純)の
再就職に関する仕事を進めていました。

松田は和田(北村一輝)のホテルで採用が決まり
美咲は松田が去る寂しさも
採用決定への祝福も素直に伝えます。

松田が和田のホテルへいくこと知った零治は
激怒して、美咲を問い詰めます。
ところが、美咲はひるまず、
零治の理不尽さを指摘し
これ以上松田の人生の邪魔をするなと言い放ちます。

大いなるショックを受けた零治は、
彼女に嫌われてしまったと後悔するのですが・・・。



零時はとても素直だと思います。
子どものような素直さ。

美咲の心を掴むために
はたから見ていると笑えるくらい
一生懸命行動を起こしている。

でも、美咲をデートに誘うために
直接話しかけるのはかなりハードルが高い。

それをしようとするのが
今回のクライマックスのようですが…

これは、ある程度の年齢になれば
ほとんどの人が経験したことのある
感情ですよね。

デートに誘う為に声をかけるのって
もう、ホントに難しい…

でも、今のわたしは
「本当に、そんなに難しいことか?」
って言えます。

いやむしろ、実はそんなに難しくないんだよ。
っていえる。

例えば目標を実現するための
計画の立て方って知ってますか?

そう、行動を細分化していくことですよね。

例えば資格試験をパスする。
という目標があれば。

合格ラインまでの学力を得るためには
今の自分のレベルからスタートして
ステップアップをしていかなければならない。

簡単なことから初めて、
だんだん難しい問題を解けるようになっていく。

というのも細分化ですし、
もっと違う意味・・・例えば、

どんな勉強が必要なのか?
どのくらいの勉強量が必要なのか?
その時間をどうやって確保するのか?
どうやって勉強を習慣づけるのか?

という問題をひとつひとつクリアしていく、
というのも試験に合格するという目標までの
細分化ですよね。

これは、恋愛の時も使えるし、
恋愛だからこそわざと『落とし穴に落ちる』
ということをするともっと効果的なことがあるんです。

まずは、同じように細分化する。

デートに誘うなら、相手に話しかけなければならない。
でも、普通はそこでもう勇気がでなくて
相手の方に足が向かないわけです。

だから細分化して、とにかく相手のところに行く
挨拶をする、好きなお酒の話をする、
一緒に飲みに行こうと誘う・・・

と細かく分けていく。

言うは易し。そんなに簡単に行くか!?
と言う人もいるでしょう。

わたしも、なかなか行動に移せなくて
いろいろ考えた挙句に
行動することを目標にしました。

よく、成功法則や勉強のための勉強をしたりする人は
いつの間にか目標と手段がごっちゃになって
セミナーに通うことが目標になってしまったり
している場合があります。

わたしは恋愛の行動については
意図的にそれを起こしました。

デートへの誘いを成功させる。
という大きな目標を持ってしまうと委縮して
緊張してしまうんだったら、
そんな目標なんて忘れてしまえ!

と思ったんです。

挨拶だけする。話題を振るだけ。
なにに興味があるのかだけ知る。
連絡先だけ聞く。
一緒に映画だけ観に行く。

…と、純粋にその行動だけに意識を絞ったら
いつの間にかお友達にはなれていました。

つまり、恋の相手だと意識しない相手なら
自然とやっていること。

大きな目標を掲げてしまうから意識して委縮する。
だったら、目標なんていらないんです。

行動というのはステップを踏んで
進んでいくもの。
進んでいけば人との距離は縮まります。
だったら、縮めようとする意志がある無しに関わらず
たんたんとステップを踏むことだけ考えれば
いつの間にか縮まってますから、

目的と手段をおおいにはき違えて
どんどん仲良くなっていけば、とってもラクです。


           全ての物語のために

日本テレビ水曜ドラマおススメ








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2016年04月26日

ドラマ「パーソン・オブ・インタレスト フォースシーズン #11 戦略If - Then – Else」判断力のもと



息子に大事なことを伝えたいと思うとき、
「こうあるべき」という正しさを
押しつけてしまわないように気をつけています。

とてもデリケートな部分。

もちろん、「これは絶対に許さないよ!」
と前もって伝えていることもあります。
例えば親に対して「お前」とか「アンタ」とか
そいういう言い方、態度は許さない。

しかし、そのことの伝え方も
時期やタイミングによっては
変えていくものなのかもしれないとも思います。

息子は11歳ですから、
もう大人以上に大人びた部分があったり
いろいろと考えてもいるようです。

もちろんまだまだ子どもなのですが
自分なりの感じ方、考え方を持った
ひとりの人格としては尊重しないといけない。

そういう意味では“一人前扱い”を
しないといけないと思っています。

そうすると「こうしなさい」「コレはダメ」
と頭ごなしに従わせるのはもう違う。

親がそうすべきだと思っているなら
なぜそう思っているのかを
こどもにわかる言葉で伝えて
それをどう思うかはこども次第…

というのが基本姿勢にないと、
悪い意味でいつまでも子ども扱いになるし、
それは子どもにとっては「信頼されていない」
という反感のもとにしかならない。

とてもデリケートな部分ですよね。

でも、デリケートだからと、恐れていても仕方がない。
伝えるべきことは伝える。
それもまた「信頼」のうち。

親をやるって、ホント、になにものにも代えられない
貴重な経験だと思います。



日本のドラマ郡を観ている中で、
ふとこの作品を間に挟んでみると
やはり同じテレビドラマでもクオリティの違いに
驚かされてしまいますね。

ドラマ「パーソン・オブ・インタレスト フォースシーズン」
第11話 「戦略If - Then – Else」

を観ました。

サマリタンがついに本来の目的に向かって
動き始めます。
人間にとっての支配者=神になるという
禁断の領域に足を踏み入れようとするのです。

証券取引所へのサイバー攻撃という
恐ろしい作戦を開始したサマリタン。

選択の余地がなくなったフィンチたちは
“チーム”のメンバー全員でサマリタンに挑みます。

命の危険を冒してでもサイバー攻撃を阻止しなければ、
全世界の経済が大混乱に陥り、
破滅してしまいます。

フィンチ、リース、ルート、ファスコは
サマリタンの目が届かない証券取引所内で。

ショウは証券取引所の機密室の
暗証コードを知っている警備員を追って
地下鉄の車両の中で。

それぞれ、追い込まれて窮地に立たされます。

その様子を監視カメラでとらえていたマシンは
わずか数秒の間に、
全員のミッションの成功率を計算し
シュミレーションを繰り返し
もっとも確立の高い方法を選択して
ルートを介して全員に指示を送るのですが…



バカリズムが脚本を書いていたドラマ
「素敵な選TAXI」は選択を間違った人が
過去に戻ってやり直すという内容でしたが、
今回の「パーソン・オブ・インタレスト」の
ストーリーの構成も似ていました。

人間の頭で考えると途方もないパターンの中から
最適と思われる方法を選び検証すること
わずか数秒。

その数秒間のマシンの中での
シュミレーションが数通り描かれます。

シュミレーションは何度も失敗するので、
フィンチが撃たれたり、リースが撃たれたり、
ショウが逮捕されたり…

マシンの検証基準や判断基準に対して
開発時にフィンチがマシンを“教育”していたころの
マシンの“記憶”が思い出のように
ところどころカットインします。

それは、マシンがチェスに興味をもち
学ぶためにフィンチに対戦を申し出て
ゲームを通してフィンチが語りかける…

というシーンでした。

フィンチは相手をするのですが、
チェスが好きではないことも語ります。
なぜならチェスは命の価値に
違いがあったころに作られたゲームだから…

他にも、無数の手の組合せや
考え過ぎて前に進めなくなることへの警醒や
敵、味方という考え方の危険性などなど…

そこにはコンピューターが演算する中で
数値では計れないと思われるような
部分への示唆が沢山詰め込まれていました。

まるで、親が子どもに語りかけるように…

そしてそれは、押しつけがましくなく
あくまで「わたしはこう思う」
という姿勢で語られるんですね。

それをマシンがどう理解するのかは
マシン次第。

わずか数秒の間に、何通りもの
打開策を演算しながら
その判断基準となっているのは
そのフィンチとの“思い出”

わたしたち人間もそうですよね。
マシンのように明確に映像や音声の記録
として残っているわけではない。

むしろ記憶はすり替わっていたりもするかもしれない。
それでも語りかけられたときの雰囲気や
そのときに考えたこと、
それをことあるごとに思いだして
自分なりに解釈や新しい考えを発展させたことなど、
そういう心の経験が無意識のうちに
今という局面の思考プロセスをつくり
判断基準となっている。

それを考えれば、やはり息子との対話は
わたしにとっては
息子の“未来に触れている今”ってことになります。

やっぱり“今”が一番貴重なんですよね。



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