2015年10月31日

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト #3」その2 妻の役割、夫の役割




夫の役割、妻の役割というのはあると思います。
男の役目、女の役目。

いくら権利が平等であっても、
性別が融合されるわけではありません。

生物として、明らかに別性という
厳然たる違いがある。

わたしは男尊女卑的思想は持ちませんし、
権利は平等であるべきだと主張もしますが、
かと言って、男と女を分けることを悪だとは思いません。
むしろ分けて当然だと思っています。

こういう問題を扱うときは
誤解をしてほしくないと願っても、
必ず誤解は生じるものとも心得ているので、
事前に、わたしの考え方、
立ち位置をはっきりと宣言させていただきました。

現代社会の閉塞感には、
先の見えない不安があります。

多くは雇用問題や国の借金問題、
経済の仕組みのそもそも論など、
経済社会に対してのお話になりがちですが、
わたしは閉塞感の原因にはもう一つ
とても大きなものがあると思っています。

それは人間関係の築き方の下手さ。

わたしも含め、現代のわたしたちの多くの悩みは
人間関係に根差しているものが多いです。

人間関係に対して無知すぎる面があるんですね。
その人間関係というくくりの中には、
自分自身との関係・距離感というものも含まれています。

そういう問題の一部として今回目を向けたのが
家庭の中での父親の扱われ方。

現代の多くある核家族の中で、
父親への感謝や尊厳というものが
しっかりと尊重されている家庭がどれほどあるでしょうか?

先日「深イイ話」というバラエティ番組で
鹿児島のアナウンサー夫婦の家庭が
紹介されていました。

熱血ママである奥様・岡本安代さんは共働きであるにも関わらず、
子供たちにはしっかりとパパへの感謝を教えていました。

とてもステキな家族でした。

もちろん、「妻は夫に感謝すべし!」
ということだけを言いたいのではないんです。

父親は父親で、母親への感謝を
子供たちに伝えるべきでしょう。

わたしの父も、生粋の薩摩隼人ですが
母のことを「菩薩のようだ」といまだに言います。

しかし、現代の風潮では女性の強さばかりが目立ちすぎ
男性、父親や夫の虐げられる様が
お笑い番組とともに一般的になりすぎているキライがあります。

現実に、夫婦間でお互いの役割を、
自分の思う「こうあるべき!」を押し付けたり、
押し付け合ったりすることで
夫婦仲を壊す家庭も多い。

期待をして当たり前で、裏切られれば怒り、
過度な期待をしてしまう自分自身への内省はない…
つまり、自分との関係が破たんしているから
他者との関係も破たんさせてしまう。

それがお笑い番組などで「当たり前のこと」として
一般家庭に浸透していく雰囲気にはちょっと
日本の将来への不安を感じとってしまいます。



こういうドラマを見ると、ドラマドラマした
いかにも日本のドラマといった作品も、好きだなと
実感します。

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト」

第3話を再び観ました。

現代からタイムスリップして
織田信長(小栗旬)に成り代わっている
サブロー(小栗旬・二役)。

村人を集めて相撲を楽しんでいると、
池田恒興(向井理)が馬で駆け込んで来ます。

恒興によると、今川勢が尾張に向けて軍を発したとのこと。

那古野城に戻ったサブローは軍議を開きますが、
真っ向勝負を唱える柴田勝家(嶋政宏)派と、
ろう城を良しとする恒興派と、
家臣たちの意見はまっぷたつにわかれます。

戦わずに済ます方法はないのかと
家臣に問うサブローですが、
戦って勝たない限りは
自分の首がはねられると言われてしまうのでした。

怯えるサブロー。

しかし、帰蝶(柴咲コウ)からも「勝つための算段を考えろ」
と尻を叩かれてしまいます。

答えを出せないサブローにできることは、
城から逃げだすことでした。

今川軍から遠ざかろうとするサブローでしたが、
途中、道を間違えて逆に今川領に入ってしまいます。

主君逃亡を知った那古野城では
家臣たちが大騒ぎしていました。

サブローは自分を助けてくれた娘、お春(前田敦子)たちが
今川の侍たちから物資や女を
差し出すように強要されているのを見て、
とっさに助けようとしてしまいます。

ところが、村人たちは余計なことをしてくれるなと
サブローの首を差し出し、今川勢から許しを乞おうために
サブローを縛り上げるのでした…



主君が逃げたということは、城中に伝わり、
サブローの居所をつかんだ恒興たちが
助けに行くぞと命じても、
不満や怒りの声を上げるだけで誰も動こうとしません。
むしろ暴動が起こりそうな騒動です。

しばらくその騒動を黙って聞いていた帰蝶は
そんな騒動の中に割って入り、
みんなに言います。

「そうだ、あやつはうつけ者じゃ!しかし、
いつでも逃げなら、土壇場で勝利してきたではないか!?
今、われらにできるのは、あやつを信じることだけじゃ!」

まさにリーダーの妻。

リーダーが皆の信頼を失って
不在のまま窮地に立たされているときに
リーダーへの信頼を取り戻させます。

妻が強いのはいい。
でも、その強さをどういう方向へ向けるのか?
その強さをどう発揮させるのか?

帰蝶や鹿児島のアナウンサー岡本安代さんの強さは
夫をサポートする強さとして神々しく光り輝いている。
それが結果として本人を魅力的に輝かせている。

女性が強いのは良い。
夫が妻に頭が上がらないのもいい。

でもそれは夫が弱くていいとか、
夫…父親…男が、ヘンに虐げられた扱いを受けていい
と言うことではないんです。

「男たちよ立ち上がれ!」みたいなことを言うつもりはありません。

虐げられるような扱いを受けていても
自分自身との関係性をしっかりと距離を置いて
築けていればフラ付くことはない。

虐げる側も自分自身との関係性が
破綻しているから虐げるわけです。

男性が男の感覚で女性の繊細さを認めないと
「女心を分かってくれない」と言われるように、
女性が女の感覚で男性の世界やリズムに寛容でないと
男女の仲は上手くいかない。

結局、男性と女性は分かり合えない部分は
あるのでしょう。

同性同士でも違う人間ならそれは在るのですから
性別間であるのは当然です。

わからないことを警戒して疑って、怒りや嫌うことへ転化するのでは
いつまでたっても和解はあり得ない。

わからないことは違いだと理解し、
わからないことをわからないものだと受け入れる。

そこからでないと築けない関係もある。
そのためには、わからないという気持ち悪さを
自分の中に許せる自分との距離感が必要なんです。

その気持ち悪さを自分の中で保っていられないから
怒りや憎しみに転化し、相手を嫌うことで遠ざけようとする。

そういうことを自分の中で認知するのが自分自身との関係性。
そして自分自身との関係性があっての他者との関係。
それができずに異性が添い遂げようなどという
結婚の誓いは成り立ちません。



               全ての物語のために

岡本安代さんのブログ『走り続ける岡本家。』













タグ:#3 ノブナガコンツェルト 信長協奏曲 ドラマ その2 妻の役割、夫の役割 夫の役割、妻の役割というのはある 男の役目、女の役目 権利が平等であっても性別が融合されるわけではありません 生物として、明らかに別姓 男尊女卑 男と女を分けることを悪だとは むしろ分けて当然 現代社会の閉塞感 人間関係の築き方の下手さ 多くの悩みは 人間関係に根差している 人間関係に対して無知すぎる 自分自身との関係・距離感というものも含まれています そういう問題の一部 家庭の中での父親の扱われ方 核家族の中で、 父親への感謝や尊厳 鹿児島のアナウンサー夫婦 共働きであるにも関わらず とてもステキな家族 現代の風潮 女性の強さ 男性、父親や夫の虐げられる様 自分の思う「こうあるべき!」を押し付け 押し付け合ったりする 夫婦仲を壊す家庭も多い 期待をして当たり前 裏切られれば怒り 過度な期待をしてしまう自分自身への内省はない つまり、自分との関係が破たんしている 他者との関係も破たんさせてしまう バラエティ番組 「当たり前のこと」として 一般家庭に浸透していく雰囲気 お笑い番組 第3話 織田信長 小栗旬 サブロー 池田恒興 向井理 柴田勝家 嶋政宏 帰蝶 柴咲コウ お春 前田敦子 リーダーの妻 妻が強いのはいい その強さをどういう方向へ向けるのか? その強さをどう発揮させるのか? 神々しく光り輝いている 岡本安代 女性が強いのは良い 夫が妻に頭が上がらないのもいい 虐げられるような扱いを受けていても 自分自身との関係性をしっかりと距離を置いて 築けていればフラ付くことはない 虐げる側も自分自身との関係性が 破綻しているから虐げる わからないことを警戒して疑って、怒りや嫌うことへ転化するのでは いつまでたっても和解はあり得ない わからないという気持ち悪さを 自分の中に許せる自分との距離感が必要 その気持ち悪さを自分の中で保っていられないから 怒りや憎しみに転化し、相手を嫌うことで遠ざけようとする それができずに異性が添い遂げようなどという 結婚の誓いは成り立ちません
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2015年10月30日

小説「サウダージ ヒートアイランドV 垣根涼介 著 文春文庫」人が人であることを確認する瞬間




わたしの妻は「人は信用できない」と言っておきながら
人に裏切られることにいつも怯えているタイプです。
つまりは、信用したい!と常に思っている。

わたしは「信用できる人もいる」と言っておきながら、
裏切られるようなこともあるさ、そのときはそのとき、
と割り切っているタイプです。
つまり、見る人から見ると、
本当に人に心を許すことが少ないタイプ。

…なんだそうです。

わたしも妻にも、なんとな〜く(笑)
思い当たるフシはあります。

結局どちらも人を信じたいけどそこに怖さも感じている。
そのあんばいの微妙な違いがあるだけのこと。

わたしは基本的に人の言動を善意で受け取ろうとする。
妻は、誰の行為もまずは疑ってみるようです。

はっきりいってわたしは警戒心が強い…らしい…
だから自分でも意識して善意で受け取ろうとしているのかも。

それでも、この人は危ないなと思う人は
沢山います。もう、正直たっくさん!!います。
(笑)

世界中を見渡せば、日本の常識なんて通じない。
宗教の違いで殺し合いをするような国の人と、
平和な日本に育った人の違いだけ見ても、
人が信じられないというより、
自分の価値観での信じる信じないの判断自体が
危ういと思っています。

それでも、もっと大きな意味では
みんな人間だから…という地球規模の
大きな信頼は必要なのかな?
やっぱり…



小説を読みたいのかな…
しばらく福井晴敏さんの作品に触れてから、
ビジネス書に戻ってみましたが、どうも心が動かない。
夏以降、ずっとそんな調子です。
かと言って書店に行っても何かピンとこない。
ふと、自宅の本棚から抜き取った数年間に読んだ作品が
読み進めるとビンビン響いてきました。

小説「サウダージ ヒートアイランドV」
垣根涼介 著 文春文庫


を、一気に読破しました。

故郷を捨て、過去を消し、
現金強奪などの悪事を働いて生きている
日系ブラジル人の高木耕一。

彼は、コロンビア人の出稼ぎ売春婦DDと出逢います。

気分屋でアタマが悪く、金には汚い女。

しかし耕一はどうしようもなくDDに惹かれ、
引きずられていきます。

一方、かつて『雅』というストリートギャング集団の
ヘッドをしていたアキ。

裏金強奪のプロフェッショナルである
柿沢と桃井に見込まれて仲間になり、
一通りのOJTも終えましたが、
まだまだ新米。

身体を作るためにと桃井に誘われた水泳。
そのプールでフリーのデザイナー、和子と出会います。

しかし、アキの仕事は柿沢、桃井以外には
本当の意味では気を許せない仕事。

そして、DDのために大金を獲て、
コロンビアへ高飛びしようと企てた耕一は、
かつて自分を仲間に引き入れておきながら、
「お前には大事なモノが欠けている」と言って自分を捨てた
柿沢に接触するのでした。



「午前三時のルースター」(文春文庫)
でサントリーミステリー大賞を受賞してデビューした
垣根涼介さんのヒットシリーズ…

「ヒートアイランド」シリーズの第3弾です。

渋谷のストリートギャングが
不注意で裏金強奪のプロフェッショナルチームから
3千万円を奪ってしまうかたちになり、
元々その金はヤクザのものだったため、
ストリートギャング、裏金強奪のプロチーム
敵対する二つのヤクザの組織…
の四つどもえの強奪線が繰り広げられた第1作。
「ヒートアイランド」
主人公アキはまだ十代の若者でした。

そして、裏金強奪のプロに見込まれたアキ。
第2作目「ギャングスター・レッスン ヒートアイランドU」
では、そのアキが“先輩”である柿沢と桃井に
裏金強奪のプロとしての訓練を受けていきます。

練りに練った四つどもえの争奪戦が
軽快かつサスペンスフルに進んでいく第一作目に対し、
肩の力が抜けきった第二作目で、
読者はアキの“かわいらしさ”に惹きつけられます。

そしてこの第三弾「サウダージ」

「ギャングスター・レッスン」に比べると
かなり丁寧に書き込まれていると感じる作品。
でも、「ヒートアイランド」ともまた違う味がある作品です。

なぜなら、二人の主人公の恋愛模様が
ドラマの軸に据えられているから。

この作品だけのもう一人の主人公、高木耕一は、
とんでもない奴です。

人を殺した経験もあり、暴力をふるえる機会があれば、
喜びを感じてしまうような、
とてもねじれた人間性をもつ耕一。

柿沢・桃井・アキは暴力団や汚職政治家などの
決して表には出ない裏金を専門で狙うプロ。
表のカネには手を付けない…つまり銀行強盗や
どこかの商社の売上金を強奪したりなどは絶対にしません。

しかし、過去に柿沢たちの訓練を受け、
実践を踏む前に三下り半を突き付けられて
チームを追い出された耕一は、
以降、一人で表のカネを奪って生きていました。

読んでいても気持ちが悪くなるほどの
悪行と暴力。

ですが、読んでいると次第に耕一に共感しはじめ
突如、涙を誘われる場面がおとずれます。
涙を誘われるのは涙もろいわたしだけかもしれませんが(笑)

耕一も人間なんだと思える場面が描かれる。
人間味…それもとても根源的で純粋な
温かみのある人間味が描かれる場面です。

ずっと、誰も信じずに、世の中を憎んで生きてきた耕一。
心許せる友など持ったこともない耕一が、
明け透けなまでに自分を受け入れてくれるDDに
涙してしまうシーン。

わたしはいつも垣根さんの小説には
“乾いた熱風”みたいなものを感じます。

それはこの作品も同じ。
その理由はこの作品の中でも文章として書かれています。
「興味が自分の内面に向く…」
「自分を突き放してみている…」

つまりは自分を客観的にみるということだと思いますが、
そういうことができるかできないか?
という視点は作品全体を通して貫かれているんですね。
それが良いか悪いかではなくて、
ただできるかできないか。

そして、そういうことができるキャラクターも
できないキャラクターも全て人間味が醸し出される。

それなのに、湿った人情モノとは違う。

特に今回の作品は、キャラクターたちの
心情がとても丁寧に描かれているように感じました。

物語の軸となる耕一とDDの人生。
耕一は故郷でも日本でも受け入れられた経験がない。
でも、やっと自分を受け入れてくれる人に出会えて
その歪んだ精神に一筋の光が照らされる。

人が受け入れられるということが
どれだけ大きなことなのか?

わたしはおかげさまで受け入れられて当たり前と
思えるような家庭で育ちました。

でも、外の世界に出ると、
そういうわたしを“幸せ家庭”で育った人
として扱い、多くの人はそうじゃないんだと
訴えてくる人とも沢山出会ってきました。

そういう人たちは、
自分なりに強く生きてきたという自負を持ちつつも
どこかで世の中を斜めに見ている。

そして、渇望するように、人から受け入れられることを
無意識で願っていることも思い知らされました。

人の心を開かせるには、まず自分の心を開く…
簡単なことはないけど、
この物語のなかのDDの強烈な承認は、
どん底の人間、耕一の心でさえ開かせた。

エロやバイオレンスの描写はえげつないですが、
人の心に対する希望というか
人を信用はしないけど、根本的には信じている。
そんなものを自分の中に確かめられる小説です。



                  全ての物語のために




























タグ:小説 ヒートアイランドV 垣根涼介 文春文庫 人が人であることを確認する瞬間 人は信用できない 信用したい!と常に思っている 人に裏切られることにいつも怯えている 信用できる人もいる 裏切られるようなこともあるさ 割り切っているタイプ 本当に人に心を許すことが少ない 人を信じたいけどそこに怖さも感じている まずは疑ってみる 基本的に人の言動を善意で受け取ろうと 警戒心が強い 日本の常識なんて通じない 宗教の違いで殺し合いをするような国の人 平和な日本に育った人 信じる信じないの判断自体が 危うい 大きな意味で 地球規模の 大きな信頼 福井晴敏 ビジネス書 高木耕一 日系ブラジル人 コロンビア人 DD ストリートギャング アキ 裏金強奪のプロフェッショナル 柿沢 桃井 午前三時のルースター ヒートアイランド 第3弾 ギャングスター・レッスン ヒートアイランドU 第三弾 恋愛模様 とてもねじれた人間性 も人間なんだと思える場面 とても根源的で純粋な 温かみのある人間味が描かれる場面 誰も信じずに、世の中を憎んで生きてきた 自分を受け入れてくれる 乾いた熱風 興味が自分の内面に向く 自分を突き放してみている 湿った人情モノとは違う 歪んだ精神に一筋の光が照らされる 人が受け入れられるということが どれだけ大きなことなのか? 受け入れられて当たり前 強く生きてきたという自負 エロやバイオレンスの描写はえげつない 人を信用はしないけど、根本的には信じている 自分の中に確かめられる小説 サウダージ
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2015年10月29日

ドラマ「エンジェル・ハート #3」わたしにできることは何だろう…?



先日、北九州の妹家族の家を訪ねました。
わたしと弟と、わたしの息子の3人で。

小学生の息子にとっては従妹にあたる
同年代の姉妹がいます。
わたしたちの姪。

せっかくわたしたち3兄弟は
福岡にいるのだから、
もっと、頻繁に会おうと妹が夏に言い始めたのです。

わたしと弟は職場も同じでよく会えます。

しかし、妹は1〜2年に一回会うのがいいところ。
弟も姪や甥はかわいがっています。

子供たちはどんどん成長していく。
たぶん、従妹同士無邪気に仲良く遊ばせることや
叔父さんたちと会えるのを楽しみにしてくれるのは
今しかない。

だからわたしたちはせめて3〜4ヶ月に一度
会えればいいねと話しています。

おかげさまで、わたしの息子も
姪たちも時間が経つのが惜しいと思ってくれるくらい
楽しく過ごしてくれた様子。

大したことをしてやれるわけではありません。
今回も、会って家で話して、
近くの小学校でボールで遊んで、
一緒にご飯を食べて…

次回もきっと、大きなイベントにはできません。

それでも、今、自分たちにできることをやろう。
きっと妹も弟もそんな思いでやっている。

わたしには何ができるだろうか?
時間を作って、会うこと。
そんな当たり前のことでも出来ることを実行する。

たぶん、大切なのはそこなんだろうなと思います。



わたしは「キャッツ・アイ」と「シティーハンター」を結婚前に
すべて売り払ったのですが、「シティーハンター」ヒットの後に
北条司さんが書かれていた「ファミリーコンポ」という作品が好きで
これは迷いました。
この作品で、北条司さんのドラマの描き方が格段に繊細になった
と感じていからかです。
だから、それまでの得意技+繊細なドラマで描かれた
「エンジェル・ハート」は間違いなく面白いだろうな…と。
結局、大ヒットコミックになっていますよね。

ドラマ「エンジェル・ハート」

第3話を観ました。

冴羽獠(上川隆也)は、喫茶「キャッツアイ」のマスター、
海坊主ことファルコン(ブラザートム)様子がおかしいと気づきます。

同じカップを一時間以上磨き続けたり、
ボーッと上の空かと思えば、昼頃にいそいそと出かけていく…。
明らかにヘンです。獠でなくても気づく。

「キャッツアイ」常連、ホーリー(山寺宏一)とモッチー(ゴリ)も
「ファルコンがいま公園で “幸福の女の子”と一緒だった」と
噂をし始めます。

「幸福の女の子」というのは、半年ほど前から
街で噂になっている少女のことで、
出会う人を幸せにしてくれる少女だというのです。

ファルコンは数日前に公園で少女・ミキ(渡邉このみ)と出会い、
絵本を読んでもらうことに喜びを感じていたのです。

しかし、獠も冴子(高島礼子)も引っかかっていました。

少女は学校にも行かず、なぜ新宿界隈をフラフラしているのか?

さっそく獠はシャンイン(三吉彩花)を連れ、少女を尾行しました。

ある使われていないテナントビルの中へと消えていく少女。
獠とシャンインはそのビルの管理人から
ミキの事情を知ることになります。

そして冴子の調査により、
少女の境遇が明らかになるのですが…。



シャンイン、イイですね〜!ゾクゾクする♪
(個人的な好みです。スミマセン^^;)

『誰かのことを思い、誰かのために行動する。
それが生きるということ』

獠に言われた言葉を考えていたシャンインは、
香の心臓の呼応に何かを感じているのか
ミキの境遇を知っていくにつれ
何かを考え始めている様子。

セリフにはされない、言葉には出ない
心の声…

「私には何ができるのか?」
「私にできることは何?」

そんな思いがシャンインから伝わってきます。


わたしはじぶんのことでいっぱいいっぱいです。
みんな一生懸命生きているので、
そういう人は多いと思います。

誰かに助けてほしい…

無意識にしろ、意識的にしろ
そう願っている人は多いのではないでしょうか。


妹は起業家です。
ダンスのインストラクターをしながら、
手作りアクセサリーの仕事を立ち上げました。

妹の夫、義弟も一生懸命働いています。
子供たちもいろいろなアイディアを出し、
自分たちの性格を生かして協力していました。

わたしはまだまだ、妻や息子に
もっともっとしてやりたいことがたくさんあって
そこにたどり着けない不甲斐なさで
悔しい思いをしていますが、
それでも、彼らのために何ができるだろう?

といつも考えています。

妹の家族が、助け合いながら
たくましく、楽しむ努力をしながら生きている。

その姿はとても鮮明な色彩を持って
わたしの目に飛び込んできました。

今、自分たちに何ができるか?

常に考え即座に行動に移して
あれやこれや試しながら前進している。

自分たちも助けを求めているはずなのに
常に助け合っているんですね。

わたしは妻や息子はもちろん、
妹や弟、姪や甥、離れて暮らす両親や親戚たち…
そして友人たち。

わたしがやれることはきっとある。

きっとそれは、大げさなことではなくて、
日常の生活の中で、
当たり前のことを当たり前に気遣うだけ、
それを行動に移すだけで、結果それが
「非常に助かった」「うれしかった」「楽しかった」
ということにつながるのかも知れない。

そう思えるようになってきました。

シャンインがとった行動は、
何も特別なことではありませんでした。
わたしたちにもできること…


              全ての物語のために





















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2015年10月28日

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト #2」その2 ホンネも裏腹も全てひっくるめてその人



ここ数年、本音と建前の、
ホンネの部分にしっかりと耳を傾けよう…

と、思っていたのですが、
もしかしたら、それができるようになろうと
力が入り過ぎていたのかな??

って最近思うようになってきました。

もっと、ニュートラルな感じで、
肩の力抜いて人と接した方が、
感性も広がってホンネも感じとりやすくなるかも…

というのが一つ。

それともう一つ理由があって、
無理してホンネを汲み取ろうとしても
ただの予測だったら本末転倒。

それよりも、建前の方を言いたくなった気持ちを
ひっくるめて、その建前もひっくるめて
その人だと思えれば、もっと広い意味で
その人のことを理解できるんじゃないかなと
そんな気分になってきました。



2016年のお正月の邦画の目玉になるのでしょうか?
連続ドラマが終わったときは2015年年末公開決定!
という触れ込みでしたが事情が変わったのでしょう。
まあ、楽しみが少し伸びたと思っておきます。
11月に「MOZU 劇場版」があるし、年末は
「スターウォーズ」や「クリード チャンプを継ぐ男」
などの公開もあるので、わたしのお財布事情は
1月のほうが助かります。

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト」

第2話を、再び観ました。

織田信長(小栗旬)に容姿がそっくりだったため
身代わりを頼まれてしまったサブロー(小栗旬・二役)。

サブローは西暦2014年からタイムスリップしてきた
平成の時代の高校生です。

織田家は家督争いの真っ最中。
本物の戦、醜い争いに翻弄されながらも、
サブローはその純粋さで織田家当主地位を勝ちとりました。

しかし、信長の妻、帰蝶(柴咲コウ)は、
気が強く、なかなかサブローに打ち解けようとしません。

それというのも本物の信長から、
「妻として扱わない」と言われていて、
元々、信長に心を開いていなかったからです。

そんな時、帰蝶の父、斉藤道三(西田敏行)が
信長に会見を申し込んできました。

美濃のマムシと恐れられる道三の申し込みに、
サブローは逃げ回るのですが、
結局、池田恒興(向井理)たち家臣に捕まってしまいます。

実の娘なんだからと、帰蝶に同行を頼むサブローでしたが、
「潔く斬られてこい」と言われる始末。

本当は帰蝶には道三に会いたくない理由もあったのです。

織田家をつぶしてはならないという
家臣たちの切なる説得で、渋々道三の会見を承諾したサブロー。

しかし、衣装が気に入らないという理由で
道三に戦を仕掛けられた国があると聞いて、
いろいろ試しますが、どれも危ういものばかり。
何を着ても戦になる可能性があるのなら自分で決めると
詰襟の学生服で道三と会います。

サブローの姿を見て驚いた道三は、家臣たちを下がらせ
信長と二人きりにさせろと言います。

待たされるサブローの前に、道三は、
なんと、現代の警察官の服装で「こんにちは」と言いながら
再登場するのでした…。



元がマンガです。ツッコミどころは満載です。
わかりやすくするために端折られた歴史的つじつまは
無数にあると思います。

それでも、大枠では歴史に沿って物事が動いていきます。
また、現代に残されたサブローの周囲の人たち…
家族や友人たちがどれほど心配しているか?
なんてことには一切触れられません。

現代の医師が幕末にタイムスリップする
名作SFドラマ「仁-JIN-」とは、
テイストが全く違います。

その代り底抜けに明るく笑わせてくれます。

でも、熱いところは熱く、シメてくれます。
だから毎回涙がでる。

今回は、帰蝶と道三の親子の絆がドラマの軸となりました。

道三は40年前に1972年の世界からタイムスリップしてきて、
戦国の時代で泥臭いこともやりながら
何とか生きてきた男でした。

敵は隣国だけではなく、自国にもいる。

この時代で生まれた愛しい娘、帰蝶を守るべく
厳しく自分のもとから突き放し、
守ってくれそうな武将のもとへ嫁がせていました。

でも本音はなかなか伝えられない。
表向きは、家のために人質として嫁ぐのは子の役目。
という戦国ならではの理由です。

帰蝶は帰蝶で、幼いころは大事に可愛がってくれていた
大好きだった父の変貌ぶりに、
今では怒りのほうが勝っています。

でも、二人とも本音の部分では親子の愛が
まだしっかりと残っていました。

じゃあ、表向きの感情が本音ではないのか?

というと、それはそれで本音なのでしょう。

道三は「帰蝶はもう織田家の人間だ」
と言い切る。
そう思わないと辛くて寂しくてやってられないはずです。

帰蝶は、「あんな男、親でもなければ子でもない」
と、まるで愛のかけらもない親であるような物言いです。
実際、帰蝶はそのように扱われたのですから
そう思っても仕方がない。

その寂しさに押しつぶされないために
怒りや憎しみで自分を奮い立たせるしかありません。
自己防衛です。

それらも本音といえば本音。
たぶん、そういう生の感情を全部ひっくるめて
人と人の関係なんだろうなと思います。

だからこそ、わたしはあるがままを受け止めたいと、
思うようになってきました。

特にわたしにとっての大切な人たち。
妻や息子など特にそうです。
できれば二人には不の感情はできるだけ背負わずに
生きて欲しいと願っていますが、
人間である以上マイナス感情を全て避けては生きられません。

もしも、彼らのマイナス感情の中に、
わたしへの怒りや憎しみが事態が生じたとき…

それはもちろん不本意ですが、
それらも含めて彼らを愛して行こう…と。
本音も建前もぜ〜んぶひっくるめて、
つまり建前を言いたくなったその人の気分も
全部を受け止めたい!
という感覚ですね。

その上で、彼らが最も苦しまなくていい
最善の感情を選べるようにサポートしていきたい。

最近はそれができる人間を目指しています。


                全ての物語のために









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2015年10月27日

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト #1」その2 心を打つ平和ボケ



わたしたちは平和ボケしていると思います。

わたしなどは、最近はトレーニングをサボっていますが、
だからと言って、敵が攻めてくることにおびえたりしていない。

いつ、敵が攻めてくるかわからないような
戦争が当たり前の世界で生きている人たちに言わせれば
ふやけた、平和ボケしきった日本人そのものでしょう。

自分でもそうだと思います。

でも、そんな自分でも、
今、この平和な世界で生きていられることに感謝せず、
豊かさが溢れるこの国で
「あれがない、これがない」「誰それがもっとこうだったら」
と文句ばかり言っている人をみると
平和ボケしているな〜と思ってしまいます。

実際、数十年前、まだ日本が戦争に加担していたころの
若者たちの顔を観ると
ひきしまっていて、とても大人びた顔をしています。

しかし、今は30歳でも若者と言われる。
大学生は高校生と見まがう。

つまり、みんなが幼く見えるようになっている。
それくらい精神的に幼稚化しているのかもしれない…。

そんな平和ボケへの危惧を感じるほどです。

そかし、それだけ平和ボケできるということは
実は凄いことなのかもしれない。
少なくとも、平和ボケには良い面もあるのかもしれないと
思えるようになってきました。



本当にこのドラマ気に入ったんだな〜と、
今実感しています。
1年前に月9で放送されていたドラマを
今、見返しています。

ドラマ「信長協奏曲ノブナガコンツェルト」

第1話を再び観ました。

修学旅行で時代村にいた高校生のサブロー(小栗旬)。

武士や町人に扮したアトラクションキャストが行き交う中、
同級生の女子に告白しています。

ところがフラれそうになると、
携帯がかかって来たふりをして逃げ出してしまいました。

友人たちにはフラれたわけではないと強がるサブロー。

しかし、友人たちはこれまでの例をあて、
サブローの「逃げ癖」を責めたてます。

「うるせぇ!」と立ち去り一人になるサブローは
迷子になり、友人たちを探している間に高い壁から転落。

目を覚ますと、田舎の自然の景色の中にいました。
携帯電話は圏外です。

そこに馬に乗った二人の侍がやってきます。

声をかけたサブローはビックリ。
片方の侍が自分と瓜二つなのです。

サブローのそっくりさんは、織田信長(小栗旬・二役)と名乗ります。
そして、「自分の代わりに織田信長として生きてくれないか?」と
サブローに頼みます。

アトラクションのことだと思っているサブローは
信長の証としての刀もらって承諾してしまいます。

信長たちが去さったあと、彼らを追って別の侍たちがやってきます。

侍たちは、サブローを信長だと思い那古野城へと連れて行くのでした。



サブローは、今川勢との戦いで本当の戦国時代に着たことを悟り、
切腹や、人の首が飛ぶ様子を目の当たりにして、混乱します。

「お前ら、何なんだよ!」

責任をとって死のうとする侍たちの在り様に
ついていけない現代の高校生。

平和ボケの平成からやって来た
のほほんとした高校生ですから当たり前です。

しかし、サブローは自分の価値観で
戦国の侍たちの切腹をとめます。

「頼むから死ぬな!」と…

「ひとりひとりに、生きて帰ってきて欲しいと願っている
家族や愛する人がいるはず、
だから俺は、俺の命を狙った人間でも殺さない。」
と…

そのサブローの叫びは、信長の部下たちの
心を打ち始めます。

戦国の武士たちから観たら、
わたしたち現代の人間たちの考え方は
おそらくふやけた考え、平和ボケそのものでしょう。

でも、わたしたちは戦のない世の中をしっている。
そんな国が当たり前と言う感覚で生きている。

戦のない世の中なんてくるはずがない
と思っている戦国の武士たちの
常識をはるかに超えた世界の人間です。

そんな人間が戦があって当然の時代に行って
命の尊さを訴える。

平和ボケには平和ボケなりの強い思いが
そういう世界では浮き彫りになる。

平和ボケの純粋さは、
そういう世界を信じられない人の心を打つ強さもまた
持ち合わせているのかもしれないなと
思えるようになってきました。


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