2016年12月11日

ドラマ「弱虫ペダル #7 インターハイへの道(最終回)」強い人は弱くないわけではない、弱い人は強くないわけではない



とっても恥ずかしいです。
思いだし笑いならぬ、思いだし赤面というか…
赤面も照れてるとかそういう恥ずかしさではなく、
自分の未熟さに、後で気づいて
当時の自分の在り方を思い出して恥ずかしくなる。

ほんの数か月前の話です。

他部署へ依頼をした案件について
その部署が起因で問題になっているもので
対応をしてもらうのが当然だと思い
普通に依頼を出していたのですが、

後からその部署の人から“お願い”として
「ああいった案件は〜なこともあるので
〜な感じで依頼して欲しい」
といった趣旨の指摘が入りました。

直接言われたので、咄嗟に
誰々と誰々の間でこういう方向で
話がついているはずですよ。

と、言い返してしまいました。

自分の依頼の仕方に問題があり
責められていると感じたわたしが
咄嗟に身構えてしまったんですね。

相手の方は、「…そうなんですね…」
とそれ以上は言わず戻って行かれましたが
暫くして思い出してみると、
相手は文句を言いに来たのではなく
今後のためのお願いに来ていただけ。

わたしは
「そうなんですね、わかりにくい依頼をしてしまって
申し訳ありまえん。実はこういう話だったものですから。
次からは、仰られたことを念頭において依頼しますね」
と返答できればよかった。

咄嗟に自分を守ろうと身構えた自分が
とても恥ずかしくて、今考えても赤面しちゃいます。

でも、わたしは強くなりたい。

だから、こういう自分の未熟さから
目をそらしちゃダメなんですよね。



ドラマやアニメでいい作品て、オープニングで
わくわくするもの、気分が上がるものが多いように感じます。
このドラマも、オープニングが始まると
「来た〜〜〜〜!」みたいに気分が上がっていました。

ドラマ「弱虫ペダル」
第7話(最終話) 「インターハイへの道」


を観ました。

インターハイ本番に向けて、
全国の強豪校が着々と準備を進める中、
総北高校自転車競技部は
合宿最終日を迎えようとしていました。

坂道くんたちはライバルである二年生を
なんとか退けました。

そして課題の1000km走破までの
タイムリミットも迫っていました。

一番遅れをとっている坂道くんは
雨の降る悪天候の中、ペダルが壊れるという
アクシデントに見舞われてしまいます。

みんなと走るために、インターハイに出るために、
坂道くんは最後の力を振り絞って
前に進もうとするのですが…。



さすがに、インターハイの模様までは
ドラマ化は難しいでしょうね…

インターハイのスタートをもって
ドラマのラストシーンを迎えました。

ドラマで観せてくれたこととても感謝しています。
また、すぐに第一話から見返してもいい。
…というか見返すことになると思います。

民放ドラマとも、NHKのドラマとも
WOWOWのドラマとも違う感じの
素敵なドラマでした。

前々回あたりからでしたか、
マンガやアニメでも人気のライバルチーム
箱根学園自転車競技部の面々も登場していました。

今回は、前年のインターハイの様子が
総北高校自転車競技部の主将・金城と
箱根学園の主将・福富の回想で描かれます。

「俺は強い!」という口癖の福富が
自分の想像を超える「諦めない」意思を示した
金城に対してとっさに取ってしまった行動…

福富は当時の総北二年生の金城や
田所・巻島たちに直々に頭を下げます。
「俺の弱さが招いたことだ」
と正々堂々と自分の弱さを認めました。

それから、福富はまた自分や自分たち箱根学園の
チームの強さを信じながら1年間頑張って来たようです。

ポイントは「俺は強い!」と
自分を信じている人間が、
自分の思わぬ失態を、すぐに自分の弱さだと認め
しっかりと向き合ったという部分ですよね。

実は、前年の回想シーンで福富は
金城と競いながら「俺は強い!」と言っているのですが、
一年後の現在、三年・主将となった福富は
「俺『達』は強い!」と言っているんですね。

そのあたりは原作なりアニメなり、このドラマなりで
何がどう変わったのか楽しんでください。

その変化こそ、
“自分の弱さを認め向き合う強さ”を持っていたからこその
福富の成長なのでしょう。

坂道くんが純粋で素直で優しいいい子なのですが、
その周囲にいるみんなもまっすぐで素直な
少年たちなんですね。
(少年と言いながら、三年生を演じているのは
20代30代のいい大人の役者さんたちなのですが・笑)

わたしも最近は、
怒られることが少ない年齢となってきました。

社会的にも、ベテラン扱いされる本当に“いい大人”です。

だからこそ、忘れがちなのが、
この福富がまっすぐに見せてくれた
“自分の弱さを認め向き合う強さ”です。

強い人、強くなれる人は、弱くないわけではないんですね。
自分は弱くないと思っていることがもう弱さです。

自分の弱さを認められることが強さ。
自分の弱さと向き合えることが強さ。

それが本当の意味で
強い人、強くなれる人なんですね。


           全ての物語のために








posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

ドラマ「IQ246〜華麗なる事件簿〜 #8」自分の世界を広げたもん勝ち



わたしが子どものころ、
ママゴンなんて言葉が流行ったことがあります。

正式名称は確か…“教育ママゴン”

とにかく勉強をして、いい学校に行って
いい大学に入れば、いい会社に入って
将来案某…幸せになれる。

だから子どものうちから頑張るのよ!

そんな人、未だにいる?

なんて思う人もいるのでしょうが、
じつはまだまだ相当数いる。

でも、問題なのは
「そんな人、未だにいる?」
と思っている自分自身だったりします。

そんなのは時代遅れだとわかっている…つもり。

なのに、自分ことをフツーの大学に行ったから
フツーに就職してサラリーマンやっていて当たり前。
だなんて、無意識で思っていたりしませんか?

おかしいですよね〜。
え?何がおかしいのかわからない?

わからないのなら周りの人たちに聞いてみてください。

以前、あるママさんが、
子どもが好きなアニメがあって、そのマンガも読む
という状況について話をしていました。

「マンガ読むなら同じものをアニメで見る意味がない!
時間がもったいないからどっちかにしなさい!
って言ったんです」



どうでしょうか?

ええ〜〜〜〜!って思いました。
利発そうなママさんなのに、マンガとアニメで
感性の刺激のされ方は全く違うということがわからない。

ただ物語、ストーリー、あらすじを
理解すればいいのが物語に触れるということではない。

映画でも小説でも、マンガでもアニメでも
演劇でもドラマでもいいです。

好きな人にはわかりますよね?
“感じる”ことの違いと、
その“違い”を感じることの重要性。

それがないと、小説と映画それぞれの
「ハリー・ポッター」シリーズがあそこまで売れませんよね。

でも、その人は自分を“教育ママ”だなんて
思っていなかったでしょう。

ただ、効率を考えたのか?
あるいはただ、不機嫌だっただけか?

当時のその人の気持ちはわかりませんが、
かなり独特な尺度をお持ちだなと
残念さとともに驚きました。



青年と哲学者の対話によってアドラー心理学を
わかりやすく紹介したベストセラー
「嫌われる勇気」が、な・な・なんと!
“刑事ドラマ”としてドラマ化されるそうです。
凄い発想!まったく結びつかなくて…超楽しみ!!

ドラマ「IQ246〜華麗なる事件簿〜」 第8話

を観ました。

奏子(土屋太鳳)のパソコンが何者かにハッキングされ、
沙羅駆(織田裕二)に関する調査報告書が
世間に流出してしまいます。

“マリア・T”が裏で操っていた一連の殺人事件を
沙羅駆が解決していたことがマスコミに取り上げられ、
沙羅駆の存在が一躍世間に知れ渡ってしまいます。

そんな矢先、都内のとある一軒家で爆発が起こり、
家の住人でフリーライターの九鬼(小島康志)という男が
刺殺体で発見されました。

現場にあった凶器のナイフから検出されたのは
沙羅駆の指紋。
目撃情報からも沙羅駆を見たという証言が多数あがり、
沙羅駆が殺人容疑で警察に連行されてしまいます。

これには奏子だけではなく賢正(ディーン・フジオカ)も
茫然としていましたが、
当の沙羅駆は、退屈しないで済むと飄々とした様子。

殺された九鬼はスキャンダルをネタに金を要求する
いわゆる“ブラックジャーナリスト”。

実は沙羅駆についても告発記事を執筆し
週刊誌に発表する予定だったことがわかり、
警察では益々沙羅駆へ疑いを深めていきます。

沙羅駆の無実を主張する奏子は
捜査本部から事件への関与を禁じられてしまいます。

捜査本部では捜査を指揮する
捜査一課管理官・牛田寛人(稲垣吾郎)が、
九鬼殺しの容疑者としてだけではなく、
“マリア・T”が黒幕だとされている一連の殺人事件の
真の首謀者こそ沙羅駆なのではないか?
という疑惑を向け始めます…。



牛田と沙羅駆は8年前にも関わりがあり、
牛田は沙羅駆をよく思っていないようです。

取調室で二人が向き合うシーンがあります。

常に一歩引いて、冷静に客観的な立ち位置の沙羅駆。
それに対して牛田は正義感か出世欲か
はたまた沙羅駆への恨みからか、
ギラギラしたただならぬ熱気を持って、
持論を展開していきます。

冷静な沙羅駆が言いました。

「人は自分の尺度でしか物事を観れない」

そう、わたしたちが観ている世界は
わたしたちひとりひとりのモノの観方を通して
認識されています。

ある人にとっては楽しい雰囲気も
ある人にとっては騒がしかったり、

ある人にとってはジメジメして不快な梅雨時も
ある人にとっては故郷を思い出す季節だったり…

誰かの、自分に対する視線にすら
自分なりの解釈を持ってしまう。

「あいつは俺のことをこう思っているに違いない!」

一瞬一瞬の出来事すべてが
わたしたち一人一人にとって
それぞれに違う意味を持っていますよね。

だから、わかりあうというのが非常に難しい。

だかこそ、相互のコミュニケーションを
学ぶことは大切なのですが、
そもそもそういうことを学ぶことが大切だと
認識する視点を持てるかどうか?

というのは個人の資質によるところが大きいですよね。
人に学べと言われても、
無意識に問題を感じていなければ、
あるいは興味を持っていなければ、
学ぼうとはなかなかしないでしょう。

コミュニケーションに限らずですが、
わたしたちは、自分で自分を客観視する視点を
健全に育つことができれば
大人になる過程で手に入れていきます。

でも、いくら自分を客観視できるといったって
どこまで言っても自分は自分。

幽体離脱して、しかも全く別人格の視点で
自分を観れるなんてことは起こりません。

都合もあれば感情もある。

だからこそわたしたちは日々、
その自分を広げて、深めていかなければならない。

日々これ精進…とは、わたしにとっては
そういうことです。

どこまでいっても自分は自分。
自分が広がることがあっても
それが自分の尺度でなくなるわけではない…。

そこに永遠のもどかしさを感じます。
もどかしいから自分の壁を壊して
もっともっと自由になりたいと思う。

もう、禅問答みたいですよね。
でも、それが自分を成長させるということでしょう。

自分に囚われすぎない。
できるだけニュートラルに世界を感じる。

そういう情緒を身に着けるのもにも
ある程度の自己改革が必要な場合もあります。

じゃあ、どうやって自分を広げていくのか?
自分の尺度をどうやって壊していくのか?

単純明快。より多くの人の視点を知る。
多くの本を読む、多くの人と話す、
より多くの経験をする。

そして、知識、経験、思考だけではなく
感情や精神までをもサポートしてくれるのが物語。

小説であったり映画であったりするわけです。

特にこれからの時代は、情緒…
心の視野をどれだけ広げて、深めて、
安定させていくか。

それによって、幸せでいられるかどうかが
大きく分かれていく、
“EQ(心の知能指数)格差”が広がっていくと思います。

余裕がないと思っている人、
必要がないと思っている人、
ピンとこないなと思っている人ほど、
重要視したほうがいい。

自分の世界は広げたもん勝ちです。


              全ての物語のために











タグ:華麗なる事件簿 IQ246 ドラマ #8 自分の世界を広げたもん勝ち 子どものころ ママゴンなんて言葉が流行った 正式名称 教育ママゴン 勉強をして いい学校に行って いい大学に入れば いい会社に入って 将来案某 幸せになれる そんな人、未だにいる? じつはまだまだ相当数いる と思っている自分自身だったりします 時代遅れだとわかっている…つもり フツーの大学に行ったから フツーに就職 サラリーマンやっていて当たり前 無意識で思っていたりしませんか? マンガとアニメで 感性の刺激のされ方は全く違う 物語 ストーリー あらすじ 理解すればいいのが物語に触れるということではない ハリー・ポッター 小説と映画 効率を考えたのか? 不機嫌だっただけか? かなり独特な尺度をお持ち アドラー心理学 嫌われる勇気 刑事ドラマ ドラマ化 凄い発想 土屋太鳳 織田裕二 小島康志 ディーン・フジオカ 稲垣吾郎 自分の尺度でしか わたしたちが観ている世界 一人一人 違う意味を持って 学ぶことが大切だと 認識する視点を持てるかどうか? 自分で自分を客観視する視点 大人になる過程で どこまで言っても自分は自分 永遠のもどかしさ 自分の壁を壊して もっともっと自由になりたい 自分に囚われすぎない 自分の尺度をどうやって壊していくのか? EQ(心の知能指数)格差
posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

ドラマ「弱虫ペダル #6 全力の勝負」凡人でも天才の全力を引き出せる



自分には才能がない。
あの人は特別な人だ。

人が持っている才能を観ると
そりゃあそうなりますよね。

でも、子どもはみんな天才。
なんの才能ももたずに
生まれてくる人間なんていない。

ということはわたしたちはみな
天才として生まれてきた。

でも、わかりますよ。

わたしも「ああ、この人はちょっと違うな」
と思うスゴイ人っていますもんね。

確かにその人はスゴイ人です。

そして、確かに誰もその人のマネは出来ない。
マネはできてもその人と同じようにはできない。

でも、思うわけです。

その人が普通とは違うって思われるのは
その人が自分の才能を見出し磨いたから
なのではないでしょうか?

「なにを当たり前のことをいっているの?」

と言われそうですが、
そういうことではなくて、

言いかえれば誰でも自分の才能が何かを知り
それを磨くことができれば
普通とは違うって思わせるレベルになれるはず
だということです。

「いやいや、だから、その才能がないから
違うって言ってるんでしょ?」

本当にそうでしょうか?

結局それも、自分の思い込みですよね。
自分で自分は凡人だと
思ってしまっているだけですよね。



常にカバンに本が入ってい…ない!!
ということで、本を忘れたわたしはマクドナルドの
FREE-WIFIで来年の新ドラマや新アニメの
予定を検索してみました。なんか楽しかった(笑)

ドラマ「弱虫ペダル」
第6話 「全力の勝負」


を観ました。

過酷な1000km走破の合宿3日目。

坂道くんたちは徐々に
ハンデのある自転車に慣れ始めていました。

そんな坂道くんたち一年生の前に、
二年生の手嶋純太と青八木一が立ちふさがります。

手嶋と青八木は計算しつくした
巧みな戦術で坂道くんたちの行く手を阻んできます。

インターハイに出たいという熱い思いは、
手嶋も青八木も譲れない、本気のものだったのです。

1000km走破の合宿メニューは、
そのままインターハイ出場を賭けた
サバイバルレースと化すのでした…。



初めて「弱虫ペダル」という作品に触れたのが
テレビアニメスタートの時でした。

完全にロードレース素人で
体も小さい、ひ弱な感じのアニメオタク
小野田坂道くんが、
自転車を通じて友達を作り、
自転車競技を通して成長していく。

坂道くんと周囲の人たちの関係が
とてもステキに描かれている。

インターハイなどが始まると、
レースを見せるスポ根がメインに
なっていくのですが、
インターハイが始まるまでに、
じっくりとドラマが描かれ
下地が固められていくんですね。

そして、その間の自転車競走も
公式のレースは始まってもいないのに
とてもドラマチックに描かれる。

それが、この自転車スポ根作品を
名作にしている所以だと思います。

この第6話で描かれたエピソードも
アニメでも名エピソードだった話です。

主人公坂道くんは、小学4年生のころから
往復90キロの距離を
「あまり遠くへ行かないように」と細工された
ママチャリで行き来していたため、
自転車に対する潜在的な能力を
育てていました。

同じく一年生の今泉も中学時代からのエース。
そして、鳴子も浪速のスピードマン、
今泉同様に関西ではトップクラスでした。

しかし、今回登場する総北高校の二年生、
手嶋と青八木は、自転車への思いは強くても、
いつも今泉たちのように才能のある者たちに
抜かれ続けてきた“その他大勢”の凡人。

少なくとも、二人はそう自覚していました。

それでもインターハイに行きたい!
その思いで三年生の田所の厳しい
練習メニューに一年間くらいついてきた二人でした。

二人は自分達には特別な才能がないぶん
二人で力を合わせて勝つための訓練を
続けてきたのです。

でも、経験豊富でもあり才能でも特別なはずの
今泉や鳴子が、全力を振り絞って、
ぎりぎりの勝負に追い込まれる。

凡人でも天才が全力を出さないと
まずいと思わせることができるということですよね。

わたしの考え方ではそもそも凡人なんていない。

自分を自分の尺度での
凡人という型にはめてしまうだけ。

みんななにかしらの才能は必ず持っている。

実際、手嶋と青八木は戦略で一年生を追いつめた。

でも、それだけではありません。

二人は猛練習の末、
普通なら接触事故を起こすような
距離で走っても息がぴったりでした。

普通なら出来ない・・・
つまり、凡人にはできないことを
やれるようになっている。

後は戦い方と時の運。

天才だって努力したって
いつでも勝てるわけではない。

ということはもう
条件は同じですよね。

特別な才能は、
凡人だと思っている人にも
ちゃんとある。

天才とか特殊だとか思っている
相手を脅かすだけの力はもっている。

つまり、結局は互角に戦えるという事ですよね。

自分も、相手も才能を引き出したら
あとはもうお互いに全力で勝負するしかない。

相手の全力を引き出せるということは
互角かそれ以上だということです。


             全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「宇宙兄弟#0(ナンバーゼロ)」簡単で、本当に元気が出てしまう方法



辛いことが起こるのは
頑張って生きている証拠。

ってよく言いますね?

ん?聞いたことない?

それは確かにそうだと思います。

しかも頑張れば頑張っただけ
壁も大きなものがやってくる。

そりゃそうですよね。
頑張るってことは、
自ら目標を高くしたわけですから、
超えるべき壁も大きくて当然。

でも、わたしは思うんですよ。

なんか、大変そうだなって思って
結局やらない人がいる。

じゃあ、頑張らなければ
辛いことは起こらないのかな?

そんなことは無いんですよね。
わたしも、「わあ、なんかキツそうだな…」
って思ってダラダラすることよくあるから
分かるんですよ(笑)

何にもしなくても、やっぱり辛いことは
ちゃ〜んとめぐってくる。

普通にやってくる。
そして、それとはまた別口で
怠けたツケもまわってくる。

だから、頑張っている人も
頑張っていない人も、
辛いのに力を出さないといけない時がある。

辛いときって、頑張れる人でも
頑張れないくらい辛いのに、
普段頑張れない人にはその重圧
耐えられないんじゃないの?

確かに理屈はそうなんですよ。
理屈というのは理論…つまり科学ですから
力学として実際に非力な人の方が
力持ちの人より重圧を跳ね返す力が弱い。

心もそうなんですね。フツーに考えると…

そう。

ところが、力があろうが無かろうが、
頑張る力が出ようが出まいが、
そんなのを誰でも簡単に吹き飛ばせるような
方法があるんですよね。

これは本当にシンプルでパワフル。

心ってスゴイって思います。



昨日はカラッとした気持ちのいい晴れ方をしました。
たまに雲もでてましたが、真冬になったというのに
昼間に網戸にしていました。
そして、このアニメの劇場用映画を観ていました。

「宇宙兄弟#0(ナンバー・ゼロ)」

宇宙飛行士ブライアン・ジェイが乗る
月面着陸ロケットCES-43の
バックアップクルーに選出された南波日々人。

一方、日々人の兄、六太は、
宇宙飛行士の夢を諦め
どんどん先を行く弟を遠くに観ながら
自動車メーカーに勤める会社員になっていました。

満員電車で足を踏まれながら
宇宙飛行士としてNASAにいる日々人の
ポスターを観ている六太。

そんな六太は、満を持して出した企画が
全く相手にされず、田舎の営業所へ
左遷されます。

そのころ日々人は異例のバックアップ採用に
戸惑いながら訓練に参加していました…



やっと、観れました。
公開当時、行こうかとも思っていたのですが
まあ半年もすればDVDで観れるだろうと
スルーしてしまいました。

ところが、待てど暮らせどDVD化されない…

公開されたのは2014年でした。

噂では、なにやらNASA関係の版権かなにか問題で
チェックが偉く厳しいのだとか…

でも、そんなのテレビやマンガもそうでしょうから
本当にそれだけが遅れた原因かな〜
ブルーレイがアニプレックスから、DVDが講談社から
それぞれ発売となっているあたりにも、
大人の事情とかありそう…

なんて邪推をしてしまいたくなる。
普段そんなことはどうでもいいと感じるのですが
今回はさすがに、本当に待ちくたびれました!!

とにかく、やっと観れたのでよかったです。

さて、作品は…

どちらかというと静かな作品です。
静かにしみわたってくるような作品。

色々なシーンで涙が静かに流れてしまう作品…
というのはあまりにも個人的な感性すぎるかな。

でも、素敵な作品です。

少年の六太と日々人が、
勇気のポーズを取るシーンがあります。

それには、わたしたち大人も
元気がもらえるような仕掛けがあるのですが、
それはあなたが作品を観る時に楽しんでください。

今回は、ポーズを取るというのがテーマです。

わたしの息子が学校で嫌なことがあり、
二人で風呂に入っている時に
しょんぼりしてその事を話してくれたことがありました。

みるからにしょんぼりしていました。

背中はまるまって、顔はうつむいて
声は小さくて、ボソボソとため息交じりにしゃべる。

そして、学校がつまらないと言いました。

わたしは一通りその話を聞いて、彼に言いました。

「なるほど、わかったよ。だから、学校に行きたくないんだね。
…じゃあ、学校に行きたくないのところだけ、
父が言うやり方で言ってみて」

と指示をだしました。

彼は、きょとんとしていましたが、
まずは立たせて背筋を伸ばさせました。
そして自分の腰に手を当てさせ、胸を張らせます。
そして顔は少し上を向かせました。

そして、試しに「あ!」と大きく声を出させます。
良い声が出たところで、

「はい、その声でもう一度言ってみよう。
『学校行きたくないな〜。わっはっは!』って」

息子は素直にやりました。
そして笑いながら言いました。

「(笑)なんか、どうでもよくなった!」

単純なことです。想像だけで読んでいると、
子どもだましだと思うかもしれません。

でも、あなたも気分が落ち込んでいる時に
試してみてください。

気力もやる気も出さなくていいから
ただ胸を張って、大きな声で言ってみる。
「あ〜あ、なんで何もかもうまく行かないんだろう!
わっはっは!」
気分が変わりますから。

本当に。「アレ?なんかおかしい」って分かりますよ。

それだけでももう、充分です。

でも、そこで気分に合わせて
セリフを変えても良いですよね。

「どうせ失敗するなら、なんだって試してやれ〜!
わっはっは!」

完璧です。


                全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

ドラマ「Chef〜三ツ星の給食〜 #8」個性と仕組みの共存も大人の視野と心がいる



企業が大きくなるには
マニュアルやルール、
それらを同時に大勢のスタッフが習得できる
仕組みが必要ですよね。

一つの企業体として、大勢の人が
同じサービスを提供する。

マクドナルドが成功したのは
どの店に行っても同じレベルの
できたてのバーガーが食べれるから。

それは仕組みとマニュアルのおかげです。

しかし、わたしは最近1店舗だけ
ひいきにしているマクドナルドがあります。

福岡の街にもいくつもの店舗がありますが、
ちょっと歩くことになっても
どうせマクドナルドに行くならと、
その店舗まで足を延ばします。

そのお店は、店員さんの在り方が
他のお店より感じがいいんですね。

とくに常連となると機微をわかってくれて
また行きたくなる。
もしかしたらわたしが選ばない店舗にも
常連さんはいて、同じように
そのお店をひいきにしているのかもしれません。

でも、マクドナルドが世界中で
これだけ店舗を持っていて
安定したブランドを保っているのは
仕組みやマニュアルのおかげ。

独自性・オリジナリティ・特色・地域制、
そして、スタッフ一人一人の個性や資質…
と、統一化された仕組みやマニュアル。
どっちかが欠けていて実現できる話ではないですよね。

チェーン展開するつもりの無い
街の小さなこだわりオヤジの
ラーメン屋じゃないんですから。



息子が親と遊ぶより友達と遊ぶ方が多くなってきました。
もっと早くそうなっていても良かったのかもしれませんが
一抹の寂しさを感じつつ、成長を喜んで観ています。

ドラマ「Chef〜三ツ星の給食〜」 第8話

を観ました。

三つ葉小学校で、一学期に一度の
「お楽しみ給食」の日がやってきました。

メニューは、前学期に子供たち人気だったもで、
荒木(遠藤憲一)特製のピザトーストとコーンポタージュ。

光子(天海祐希)は、自分が作れば何倍も美味しくなると
例によって豪語します。

荒木も慣れたもので、それならやってみろと、
喜んで任せます。

早速、独自の工夫の内容を説明する光子に、
晴子(川口春奈)ですらも、
確かに、さらに美味しくなりそうだと興味を示します。

一方、厳しい審査基準で知られる
世界的な料理雑誌によるレストランの格付けの発表が
迫っている様子。

3年連続で三ツ星を獲得してきた
「ラ・キュイジーヌ・ドゥ・ラ・レーヌ」。

はたして光子抜きでも三ツ星を獲得できるのか?
注目されているようです。

早紀(友近)は篠田(小泉孝太郎)に
この評価の発表を番組で大々的に取り上げたいと
申し出ます。

そんな「ラ・レーヌ」の中では、シェフ・奥寺(豊原功補)が、
三ツ星を維持するために、「例のメニュー」を出し始めるか、
と篠田に確認をしていました。
篠田は施錠された机から取り出したレシピを渡すと、
試作するよう命じます。

そして、学校では…
お楽しみ給食を作り始めようとしたその時、
調理室エリアを含む学校のすべての水道から
茶色の水が出て大混乱となります。

水道管工事の影響でサビが出ていることが判明。

水が使えなくなり、子供たちを帰宅させ給食は中止…
と仕方なく校長が決断しますが、
光子は給食は休まないと宣言するのでした…



「ラ・レーヌ」側と光子が、どうなっていくのか
いよいよ最終章のクライマックスが始まりますね。

篠田が光子のレシピを誰でも再現できるように
正確に記録させていました。
そのおかげで、光子がいなくても同じメニューを、
再現できたし、別の店を出すこともできました。

しかし、それまでの味の維持はできても
新しいメニューや新しい独自性は打ち出していない。

シェフ・奥寺は、時々何か胸に抱えているような
表情を見せてきました。

篠田はその奥寺の様子には気づいていないようです。

奥寺は一人のシェフとして、誰かの代わりに
誰かの味を再現するだけではなく
自分にしかできない料理に挑戦したいという
気持ちを持っているのかもしれません。

あるいは、自分ではないにしろ、
いつまでも光子のレシピにしがみつかずに
新しい料理を開発していかなければ
店が衰退していくだけだと
店の将来を案じているのかもしれません。

篠田は商売のプロです。もっと言えば、
仕組みづくりのプロなのでしょう。

だから、店を大きくできたし
新たな店も出せた。

それでも、独自性が必要という状況に
追い込まれています。

例えば、光子や奥寺に、
マーケティングや仕組みづくりの知識やスキルがあれば
コックとしても企業家としても店を維持・発展
させていけるのかもしれません。

しかし、光子は見る限り料理バカです。

一人でやるなら自分の店一店舗だけを
切り盛りするのが精いっぱいでしょう。

じゃあ、どうすればいいか?

店を大きくし、大勢のお客さんを受け入れるにも
さらに店舗を増やして安定させていくのなら
篠田のような仕事をする人間を雇えばいい。

ということは、このドラマが始まったときの体制は
本来は理想的だったわけですよね。

でも上手くいかなかったのは
光子側の単独行動、単独の決断と
篠田側の光子のやり方を受け入れる体制…
つまりマネジメント能力がなかった。

そこには、二人の人間的な成長も必要だった。

ということなのではないかと思います。

これから光子がどんなカタチで料理を
提供していくのかはわかりませんが、
多くの人に自分が作った料理を楽しんで
もらいたいというのなら、また、
篠田に代わる人材を雇うなり
その能力を身に着けるなりする必要がある。

こじんまりと、自分の手の届く範囲のお客さんに
提供できればいいのだとしても、
安定してお店を軌道にのせ続けるには
それなりの商売の能力は必要ですよね。

篠田はもっと深刻です。
篠田は料理は作れない。

今のままでは衰退していくでしょう。
新しく独創的な料理を作り出せる
シェフを育てるか、雇うかしなければならない。

仕組みやマニュアルに、人間味のなさを感じ
悪しきもののように言ってしまう人もいます。

逆に、ワンマン経営などと
ひとりでわがままにやっている経営者、
その人がいなくなると会社も潰れるような
やり方を悪く言う人もいます。

どちらも本当は必要。
自分の中に両方を共存させるにも、
違う人間がそれぞれの得意分野を持ち寄って
共存しあうにも、両方の視野と人間的な心の成長が
必要なのではないでしょうか?


                  全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする