2017年01月20日

ドラマ「嫌われる勇気 #1」あなたの人生はあなたのもの


「ナチュラル・ボーン・キラーズ」
という映画が出たときは
そのタイトルが衝撃でした。

しかもオリバー・ストーン作品。

「プラトーン」
「7月4日に生まれて」
「JFK」

そんな作品群からは予想もつかないテーマ。

自然と生まれた殺人鬼
生まれながらの殺人鬼

勘弁して下さい。
人は誰でも心を持って生まれてきている。
健全に育つ環境さえあれば
人の気持ちを察せる優しい人間に育つ。

そう在って欲しいと願っているのに
生まれながらの悪人なんて…

という衝撃的なタイトルですよね。

でもそれだけにインパクトは強いです。

冷静に考えれば、生まれながらだろうが
後天的だろうが殺人鬼は殺人鬼です。

人の人生を犯す権利は誰にもない。
「そう生まれついたんだから仕方がない」
なんて言い訳はできません。

でも、そんな悪の話でなく、
だれだって“幸せになるために”
生まれてきたのだとしたら、
それはもう、ナチュラルボーンということですよね。

正義が人の数だけあるのと同じように
その人の幸せもその人のモノ。

そう考えればみんな、
ナチュラル・ボーン・ハッピーメーカー
なんて言ってみるのも、いいですよね。



しまった。うかうかしていたら、
もう第2話目まで放送されちゃいましたね。
いや〜、よくこれドラマ化しましたね…
しかも民法のドラマゴールデンタイムで。
すごい挑戦です。

ドラマ「嫌われる勇気」
第1話


を観ました。

新人刑事の青山年雄(加藤シゲアキ)が
捜査一課に着任します。

係長の半田陽介(升毅)は青山に、
庵堂蘭子(香里奈)と組んで
モデル殺害事件の捜査に加わるように命ます。

先輩刑事、三宅隆俊(桜田通)から
蘭子が携帯電話を持たない主義だと聞いた青山は
事件現場にあてをつけ蘭子を探しに行きます。

青山が蘭子と合流すると、
第二の殺人の連絡が入ります。

第二の被害者もモデルです。

二人が到着したとき、鑑識課の梶準之助(正名僕蔵)と、
刑事の浦部義孝(丸山智己)が遺体を調べていました。

浦部はふたりに周辺の聞き込みに行くよう
指示そしますが、蘭子は無視して遺体を調べ始めます。

そして蘭子は、遺体を確認した帝都大学医学部助教の
相馬めい子(相楽樹)の見解も、安易な妄想だと否定します。

常にマイペース。捜査会議にすら参加しない蘭子に
戸惑う青山が半田に担当を変えてくれと直談判すると
別の任務を与えられます。

青山が訪れたのは帝都大学の研究室。
そこには警視庁のコンサルタントも務める教授、
大文字哲人(椎名桔平)がいました。

大文字は、庵堂の下の配属だという青山に、
庵堂を理解するには、「アドラー心理学」の
考え方に乗っ取った物事のとらえ方を説明し始めました…。



捜査一課も世間も一人の容疑者に
意識が向いている中、蘭子だけは他の人間を
犯人だとにらみ、捜査をしていました。

そして、クライマックスの謎が明かされる場面…

これ、視聴者はついていけるのか?
と正直心配しました。

「嫌われる勇気」の本を何度も読んでいるわたしも
実際にドラマの中のセリフとして聞かされると、
頭と心の両方で咀嚼するのに追いつけない…

伏線の回収として出来事を解き明かす
わかりやすい謎解きだけではなく、
犯人の内面的な謎にスポットが当たります。

普通の謎解きドラマなら犯人の動機は
わかりやすいのですが、
このドラマは、その動機の内面的な仕組みまで
説明しようと試みます。

2話目以降、どうなるのかはわかりませんが
この1話目では、事件の謎解きの他にも
アドラー心理学の内面的な在り方について
随所にちりばめられています。

第1話らしく「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」
という大きなテーマが投げかけられましたので
これからラストに向かってその意味が
解きほぐされていくのでしょう。

最終話までで、どのように語りつくされるのか?
非常に見ものです。


ドラマの中で蘭子のことを大文字教授が
「ナチュラル・ボーン・アドラー」だと言いました。

生まれながらにしてアドラーの考え方を
身に着けていたというんですね。

原作本は、悩める青年と
哲学者との対話劇なので
犯罪とか刑事ドラマとか全然関係ないんですが
刑事ドラマとして描くにあたって
そういうキャラクターがいた方が表現しやすい
ということだったのでしょう。

ただ、そんな生まれながらの天才みたいな
スーパーウーマンみたいな人がドラマという
フィクションの中で出てきてしまうと、
「なんだか自分には無理」となりかねないかな…
という危惧もなきにしもあらず。

ということで「ナチュラル・ボーン・“天才”」
について考えたいと思いました。

これ、結論は簡単です。

わたしの場合は「ナチュラル・ボーン・わたし」
です。だれもわたしの代わりはできない。

あなたも「ナチュラル・ボーン・あなた」です。

こう考えると当たり前でしょう?

蘭子も「ナチュラル・ボーン・蘭子」ではあるけど
アドラーさんではないですよ。

わたしも心理カウンセリングの勉強はしました。
実際にたくさんの人たちと対話を繰り返していますが
アドラー心理学だけに傾倒はしていません。

「嫌われる勇気」は、わたし自身かなり、
腑に落ちる内容でバイブルのように何度も何度も読んで
自分のものにしようとしてはいますが、
あくまで多種ある心理学の中の一つで、
それぞれの派にはいいところも悪いところもある。

その中で、目の前の人に最適な方法があれば
派閥なんて関係ない。
持てる知識の全てを使って最適な対応を
創造していく。

別に心理学じゃなくたっていい。

これまでに自分が培ってきたもの全てが
その材料の対象ですよね。

自分が培ってきたもの全てで勝負すれば
それは自分自身以外の何者でもない。

ナチュラル・ボーン・自分です。

あなたはあなたのために生まれてきた。
あなた自身がどう在れば幸せでいられるか?
人や周囲の状況が変わらなくても
自分がどう在ればいいのか?

このドラマはどんどんそのヒントをくれるはずです。
でも、一回セリフを聞き流したくらいでは
とてもじゃないけど全ては理解できないでしょう。

毎話、一個でも、心にひっかかるものが
あればいいですね。


               全ての物語のために
















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2017年01月19日

小説「永遠のディーバ 君たちに明日はない4 #3 永遠のディーバ 垣根涼介 著 新潮社」好きと才能の他に大切なモノとは【後編】



結局結論を書くことはしません。

この小説は、見事に言葉にして
表現してくれていますが、
その表現をここで引用したって意味がない。

あなたがその作品を読み、
その物語の中で、あなた自身がその言葉に
触れたときに感じたものが答えだからです。

このブログをやっているジレンマです。

このジレンマが、映画や脚本を書いていない、
創作をしていないとはいえ、
表現そのものをやめるわけではないこと、
何かしらの形でやり続けていることの
理由のひとつなのかもしれません。

でも、こんなふうにその道の一握りの
ブレイクスルーした人たちと
その他大勢の人たちとの違いを
明確にわかりやすく言葉で言い表し
その言葉の意味を正確に受け手に届けるための
物語をつむいでしまえるって…

やっぱり作家って凄いな…と唸りました。



第2話も取り上げたいのですが、
昨日の「愚物語(オロカモノガタリ)」に続くテーマ
なので、第3話を先に取り上げさせてください。

小説「永遠のディーバ 君たちに明日はない4」
第3話「永遠のディーバ」 垣根涼介 著 新潮社


を読みました。

リストラ面接官・村上真介。
彼が今回担当したのはハヤマ。
世界屈指の楽器メーカーで在りながら
ハヤマ発動機…エンジンやバイクのメーカーとして
知られている大企業です。

かつて、ロッコン=ロックコンテストで
準優勝した経験がある飯塚正樹、四十六歳。
管弦打事業部第三課の課長。

バンド活動でいいところまで行ったのに
プロにはなりきれず、サラリーマンをしている男。

真介もかつてプロのバイクレーサーに
なろうとして断念した経験を持っています。

正樹は真介との面談…自分がリストラ候補になる
ということから、音楽に対する自分の思いと
向き合うことになります。

未だ、自分の中でくすぶっているその思い。
言いかえれば、中途半端な覚悟のまま
煮え切らないまま、彼は仕事をしていたのです。

人には好かれているが彼の課は
彼なりに頑張っているのに不調。

正樹自信の思いは、ロッコンのころの
ある出会いがフックになって思い出されていきます。

それは同じロッコンに九州代表として
出場していた女性歌手で…



なんともまあ、これもまた
自分を見せ付けられているようで
非常に人ごととは思えないお話でした。

シリーズ中最も人ごとではなかったかも…

真介もレーサーの道を断念して
サラリーマンになりました。

他にもサッカー選手を目指して
断念した人や正樹のように
ミュージシャンを目指していたのに
サラリーマンをやっている人が出てきます。

突き抜けるためには
才能や技術だけではない何かがが必要…

その何かとは何なのか?

それが、正樹がロッコンで出会った女性や
真介を追い抜いていったライダーたち、
サッカーをやっていた人物が叶わなかった相手、
そういった人たちとの対比で
浮き彫りになっていきます。

三十五歳の真介が四十六歳の正樹を
面接しながらイライラしている描写が出てきて
身につまされました。

わたしもどれだけの人を同じように
イライラさせてきたことか。

わたし自身も分かっていなかった。
正直読みながらもわたしは言葉に出来なかった。

その何かがなんなのか?

それはもちろんここでは書けませんね。
是非、必要だと思う人は読んでみてください。

わたしは読んで良かった。
とても腑に落ちました。

今この物語に出会ったのはとても大きな意味があった。
たぶん、今じゃないとわからなかった。

それは必然だったんだと思えます。
いまこんなブログをやっているのと
同じくらい必然だった。

ロバート・ロドリゲス監督の「ハリウッド頂上作戦」
という本の中でロドリゲス監督は
映画監督を目指しながらもプロデューサーや
評論家になっていってしまう人を
残念な人たちのような言い方で表現しました。

もちろん、監督志望者を元気づけるための本なので
あの本でのあの表現が間違っているとは思いません。
わたしもそれで鼓舞されていた1人でしたから。

でも、今は思います。
監督を目指しながらも叶えられずに
評論家になった人、プロデューサーになった人たちの中には
「これぞ自分の進むべき道だった」と
心から思えている人もいることでしょう。

自分がどう在れば、自分が一番納得するのか?

やりたくないことばかりではなく
余計な憧れや倫理観なんかも取っ払って
そういった余った肉を削ぎ落して削ぎ落しつくしたときに
見えてくる自分のカタチ…

そこに沿った生き方。

自己実現とはそういうことなのでしょう。

もっともっと、わたしは自分の思いを信じて
やれるところまでやっていきたいと思います。


             全ての物語のために








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2017年01月18日

小説「愚物語(オロカモノガタリ) #3 つきひアンドゥ 西尾維新 著 講談社」好きと才能の他に大切なモノとは【前編】



答えがないことに挑むのは難しいし面倒です。

そう、しんどいこともあるけど、
しんどいというよりは面倒というほうが
わたしの場合はしっくりくる。

でも、答えが出ないから止めるんじゃあ
なにも終わらせられないし
始まりもしないかもしれない。

全てのことに答えを出せなんて
思っていません。

「やってる場合か!?」

と思ったらぼんぼん手放す。

人生には嫌いなことをやっている時間なんてない。

特に、自分がどうあれば一番いいのか?

その答えを瞬時に出せない人は
本能で直感的にそれを選び取れる人には
スピードでかなわないわけですから尚更です。

でも、自分をしることがまた面倒なんですよね。

さて、どうクリアしていきましょうかね?



文芸コーナーにある作品とライトノベルコーナーにある作品を
並列で取り上げるのは不思議な塩梅だなと思いますが、
そもそも“小説”をジャンル分けし過ぎだとも思います。
でもそのお陰でこの不思議な塩梅を楽しめるともいえるのか。
明日は同じテーマで「君たちに明日はない4」を取り上げます。

小説「愚物語(オロカモノガタリ)」
第3話「つきひアンドゥ」 西尾維新 著 講談社


阿良々木くんが大学生になり、
小さいほうの妹、月火ちゃんは
中学三年生になりました。

未だ、月火ちゃんのぬいぐるみとして
阿良々木家に居候を続けている
式神少女の斧乃木余継ちゃん。

阿良々木くんの監視という任務と
「正義そのものだよ」と自負する本人すらも知らない
怪異そのものである月火ちゃんの監視、
という任務も遂行中なのかもしれません。

今回の語りべはその斧乃木ちゃん。
怪異本人が語りべです。

阿良々木くん以外の人の前では
完全にぬいぐるみと化している月火斧乃木ちゃん。

その日、月火ちゃんが登校したあと
家にだれもいなくなると斧乃木ちゃんは
いつものように自由にします。

そして大好きなハーゲンダッツのカップアイス
を開けてフタぺろぺろしていると…

登校途中に、学校に行く気をなくして
月火ちゃんが突如戻ってきます。

ドアが開いて、とっさにアイスを放り投げて
人形に戻ったのですが時すでに遅し…。

月火ちゃんの厳しい追及からは逃れられず
動ける人形を演じることに…
しかし、正体をバラすわけにもいかず
咄嗟に嘘の理由をでっち上げます。

それから、その嘘を月火ちゃんに信じ込ませ
また人形に戻るための“隠蔽工作”に
奔走するのですが…



いわば、ドタバタ劇でしょうか?
斧乃木ちゃんが無感情、無表情で常にクール
(を装っている)というキャラクターなのが
逆にドタバタ感に一ひねり加わって
楽しくもありドキドキもしながら一気に読みました。

その斧乃木ちゃんが“隠蔽工作”のために
月火ちゃんの幼馴染、千石撫子に
協力を仰ぐというシーンがあります。

月火ちゃんと同じ中学三年生ですが、
二年生の秋から冬にかけて、
周囲が見ている自分と、本当の自分との狭間で
大きな葛藤を経験し、阿良々木くんを
殺しかけた千石ちゃん。

詐欺師の“命がけの失敗”もあり
自分と向き合えた彼女は、
月火ちゃんの助けも借りながら、
せっせと家にこもってマンガを描いていました。

大事だったけどずっと胸にしまっていたもの。
恥ずかしくてもその夢と向き合い始めた千石。
しかし、賞に応募しても見向きもされないようです。
今のところ…

そんな千石は斧乃木ちゃんに言いました。

「世の中が甘くないことが、嬉しい」

その千石の言葉を聞いての斧乃木ちゃんの思考が
地の部分で描かれます。
 
 生き甲斐――って奴なんだろう。
 楽しくなければ努力なんてできないって言いが
あるけれども、向かい風という適度な抵抗があってこそ、
飛行機は空を飛べるわけで、何もかもが思い通りの
甘やかされ人生じゃあ、自分が生きているのか、
それとも夢を見ているだけなのか、わけがわからなく
なってしまう。
 どんな恵まれた人生を送ろうとも――
大金持ちの子供に生まれようとも、才気溢れる
頭脳や肉体を持っていたとしても、
それでも人間がみな等しく、
何らかの不満や不安を抱えながらぐちぐち
生きるのは、単に欲深いからじゃあなくって、
そういう不満や不安がないと、
生きている実感がないからなのかもしれない。
 だから――生き甲斐を求める。
 人生に適度な難度を求める。
(P267~268、抜粋して引用、改行はブログ筆者による)


シリーズの最初の作品「化物語(バケモノガタリ)」
では、個人的に一番嫌いだったキャラクターが
この千石撫子です。

未熟さが際立っていた。
まだ中学二年生の子供ですから当たり前です。

でも、シリーズを読み進めて、「囮物語(オトリモノガタリ)」
「恋物語(コイモノガタリ)」で自分のズルさ愚かさに
追いつめられるように崩壊し、ギリギリのところで
自分と向き合う彼女の様子を読みながら、
わたしは自分の中にある自分の嫌いな部分と
千石撫子が嫌いな部分が同じだから
特別に嫌いだったんだと気づきました。

その彼女が中学三年生にして今や
「世の中が甘くないことが、嬉しい」
ですよ。

おいて行かれた気分です(笑)

そんな風に思える自分で在りつづけようと
日々、踏ん張っている気でいる自分自身を
ひとっ跳びで追い抜かれた気分です。

その千石の言葉の気分は斧乃木ちゃんが
非常にわかりやすく解説しています。

問題は、こう思える自分になれること
こう思える自分でいられること
こう思える自分でい続けられること
そして…

その先のブレイクスルーに必要なモノがある。

ということそれは明日の記事で書きますが、
今回はまず、こう思える自分になれること。

そこに立てないと始まらない。

「ドラゴンボール」の孫悟空が、
自分より強い相手に出会うと「わくわくすっぞぉ!」
と言います。あの境地…とまではいかずとも
人生の難易度を受け止めて前に進む
スタートラインへ立つ。

その姿勢。

実は、先に言ってしまうと、わたしは
思い切り背中を見せて逆に走ってもいい
とも思っています。
嫌な徹底的に逃げてもいい。

でもどっちに進もうともスタートラインです。
問題はどちらにも進む覚悟が持てないこと。

それは結局、自分がどうなりたいのか?
が見えていないから起こること、
なんだと思います。

極端な話、何もしたくないならそれもいい。
何もせずに生きていきたいという明確なビジョンがある。
あとは何もせずに生きていくにはどうするか?
という方法を考えて実行する。

それがスタートラインから進み始めるということでしょう。

自分が何が嫌で、どんな状態なら良いのか?
本当の意味でです。

ただそれをも考えることから逃げていると
以前の千石のように追いつめられる。

だから、逃げたらいけないのはまず
自分を知ること、知ろうとすること。

もちろんそんなのは、最初はおぼろげにしか見えません。
なんとなく琴線に触れる方向性に
向かってみて失敗をしながら軌道修正をしていく。

そういうものでしょう。

それって非常に難しいことです。
言われたことだけやるほうがず〜っと楽です。

たぶん、「世の中が甘くないことが、嬉しい」
という境地に立つには、自分を知ることの喜びを知る
必要があると思っています。

それは、自分が思っていた以上にやれるんだ
という喜びにつながっていく。

この繰り返し。

これが積み重なった時に、
いつの間にかその境地に立っているものなんだと思います。

ゲームを楽しめるのなら、誰だって持っている感覚です。


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2017年01月17日

ドラマ「嘘の戦争 #1」幸せ軸を研ぎ澄ます嘘の感受性の磨き方



嘘は悪。

そういっていられる人は
本当に幸せな人だなと思います。

自分が幸せであることにすら気づかないくらい
幸せが当たり前の中に生きていられる…

という意味での幸せ。

つまり、皮肉も込めて、そう思うわけですが、
皮肉ややっかみを排除しても
全ての嘘が悪だと信じて疑わずにいられる人を
わたしは信用できません。

ただ、それが悪だとも思いませんけれどね。

そういう生き方を選ぶのは自由。

わたしは幼少のころに手品、マジック、奇術
の世界に魅せられて、今では
映画やフィクションの世界にも魅せられている。

ムービーマジックなんて言い方もします。

どれだけ巧妙に嘘をついて
観る人の心を震わせることができるか?

友人が、結婚式のサプライズを準備する期間、
新婦にずっと嘘をつかなければならなかったという
状況にわたしも加担したことがありましたが、
サプライズの準備をしているなんて言えませんもん。

全ての嘘が悪だとすると、
あのサプライズが成功したときの感動の
悪だということになる。

嘘をつく覚悟ができなければ人の嘘を許すことも
出来ないでしょう。

果たしてそれで、人とよい関係が築いていけるでしょうか?



「草g剛、主演。復讐シリーズ第2弾」
という位置づけ、らしいです。たぶん普段のわたしなら
この忙しい年初めシーズンの番組からは
選ばないだろうというドラマ。
観れば面白いだろいうことはわかっていますが、
時間の都合で何を選ぶか…?という中では普通は
後回しにする種類の作品です。が、

ドラマ「嘘の戦争」
第1話


を観ました。初回2時間スペシャルを
録画して、観てしまいました。

9歳のころ、家に二人の男が押し入り
父を殺し、母とまだ5歳だった弟も殺すところを
目撃した浩一(草g剛)。

自身もそのときに刺されたのですが
一命を取り留め病院で目覚めます。

しかし、目覚めて自分が見たことを
警察や周囲に話しますものの、
それは嘘だと誰も取り合ってくれません。

家族を殺したのは父。無理心中を図ったのだ。
それを認められない君は妄想を作り出している…と。

結局その“周囲が押し付ける事実”を
無理やり認めさせられて自由になった浩一は
世界が嘘を自分に押し付けてくるのなら
こっちが奴らを騙す側になってやる…

と、30年後、浩一はタイで
詐欺師として生きていました。

あるホテルでカモとなる日本人を物色していると
偶然にも記憶の中の真犯人“あざのある男”
を見かけます。

30年間眠っていた“怒り”がよみがえり、
復讐することを誓い、ついに日本に戻ってくる浩一。

“あざのある男”を探っていると、
その裏に大企業の会長・二科興三(市村正親)の
存在が浮かび上がります。

浩一は、少ない仲間と、二科の家族に
近づいていくのでした…



パーティ会場で二科に紹介された浩一が
突然刺されてプールに落ちるという、
ショッキングなシーンから始まります。

再生し始めて暫くは、やめられなくなる前に
停止しなきゃと思っていたのですが、
全部観ちゃって、第2話も録画予約しちゃいました。

もう、浩一を見守るしかない(笑)

誰よりも嘘を憎み
裏の世界の嘘のプロになった主人公。
なんかもう、仮面ライダーみたいな話ですね。

誰も幸せになれないドラマ。
なのかもしれません。

アメリカの「ブレイキング・バッド」ほどの
厳しさをもって描かれることはないと思いますが
みんな幸せになりました♪

という終わらせ方はもう
それこそ嘘にしかなりませんよね。


ちょくちょくこのブログでも出しています。
わたしの座右の銘の一つ「嘘も方便」。

もちろん、詐欺を推奨するものではありませんよ。

日常の中で、人を傷つけないため
無用な心配をかけないため…
もちろんこの場合の“人”には自分も含みますが、
そういう目的での“嘘”は一概に悪いことだとは思いません。

もちろん、人を欺くのは卑怯だし、
自分を欺き続けても幸せになんてなれません。

でも、自分の心、大切な人の心を守るためには
つかの間の嘘やごまかしは必要なことは
多々ありますし、墓まで持って入る覚悟の嘘の
一つや二つは誰だってもってるものではないでしょうか?

浩一は、たくみに嘘を操ります。

でも、自分に嘘をついていない。
家族を奪った嘘つきたちへの復讐。

その一点に集中しての猪突猛進です。
これ以上の素直さはないくらいです。

浩一が復讐する対象の周囲には、
それこそ関係のない人たちがいます。

浩一が近づいた二科の子供たち
長男・晃(安田顕)、次男・隆(藤木直人)、
長女で女医の楓(山本美月)…

浩一が彼らと関わっていくことで起こるドラマ。

摩擦や葛藤が生まれてくるのでしょう。

嘘をつくことと誠実さと不誠実さの
自分の中での葛藤や共存に対する感性。

そういうものこそ、こういったフィクションを通して
感じ考え、磨いていくものだと思います。

現実の世界で嘘で身を滅ぼしたり、
人を許せないことで不幸になったり、
自分の人生すらも信じられなくなってしまわないために。



               全ての物語のために



草g剛復讐ドラマ第1弾







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2017年01月16日

「傷物語〈V冷血篇〉」みんなで少しずつ不幸になろう



本当に幸せな人は、幸せについて考えたりしない。

考える必要なんかない。

なぜなら不幸を知らないから。

という意見もあります。

たしかにひとつの真理でもあるのかもしれません。

でもどこか寂しさを感じませんか?

なぜなら、それは本当に幸せな人…
というよりも、不幸を知らない人、
と言ってしまえる気がするから。

それって、つまりは、

自分が幸せであることにすら気づけていない人。

ということになりませんか?

寂しい人ですよね、そんなの。

わたしたちが求めている幸せは
そんなものではないですよね。



「ローグ・ワン」に行けるのだろうか!?
まあそれはそれとして、息子と久しぶりに二人で
映画を観てきました。その他、いろいろなところを巡って
一日楽しかったです。

「傷物語〈V冷血篇〉」

を観てきました。

ラマツルギー、エピソード、ギロチンカッター。

怪異の専門家・忍野メメの力も借りて、
3人の強敵との戦いに勝ち抜いた阿良々木暦くん。

つまり、彼は、

吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード
の四肢を奪い返すことに成功したわけです。

いよいよ人間に戻れる…。

キスショットは約束通り人間に戻すが
その前に話しをしたいと言います。

学習塾後の廃ビルの屋上で語らう二人。

いつしか二人は爆笑しながら
語り合うようになっていました。

しかし阿良々木くんがコンビニへ買い物に出かけ
再びキスショットのもとに戻ったとき、
彼は、吸血鬼の本質を改めて思い知らされます。

自分の選択が取り返しのつかいないことを招いた…
悔やみ、困惑し、自暴自棄になる阿良々木くん。

ふと、全てのデータを消したはずの携帯を見ると
そこには“友達”になったばかりの羽川翼の
連絡先がまた、登録されていました。

羽川を学校に呼び出す阿良々木くんは、
自分が陥っている状況を彼女に話します。

羽川によって、目が覚める阿良々木くんだったのですが…



恐らく60分程度の作品です。
とはいえ三部作の完結編ですから、
「傷物語」という劇場用アニメーションは全体で
3時間強、あるということですよね。

じゃあ、一気に見せて良いんじゃないか?
二部作くらいで良いんじゃないか?

とも思っていたのですが、
全て鑑賞した感想は、
三部作でちょうどよかった…です。

それぞれに充分な見せ場とテーマがあり、
お腹いっぱいになりました。

PG12ですから、息子にはまだ親の助言が必要
と規定されている作品です。

そういう意味でも、気を使いながら観るので
90分、120分だとちょっとしんどいかも(笑)

さて、『冷血篇』というだけあります。

クールです。

そのクールさを表現する役割を担っているのが
怪異の専門家・忍野メメ。

バランスを取るのが自分の役目だという彼。

結局、キスショットと
対決しなければならなくなった阿良々木くんは、
忍野に助けを求めます。

キスショットの思いを知り、人間への責任を知り
八方ふさがりになった阿良々木くんは、
忍野に「みんなが幸せになれる方法を教えてくれ」
と泣きつきます。

「そんなのあるわけないじゃん」
「ばかじゃないの」

突き離す忍野。

そう、突き離す。

ちゃんと突き離して、“突き放す”んですね。

いつもの忍野スタイルです。
父性の忍野とわたしは読んでいます。

でも、相手にとって助けが必要なときは
ちゃんと助ける。

突き放しておきながら背中に手は回している。

忍野は言いました。
「でも、みんなが不幸になる方法ならある」
「みんなで不幸をちょっとずつ分け合うんだ」

最後には、「それが正しい方法だとも思わないけれど」
とも言います。

しかし、そう言って、ある意味では
本当に全体のバランスをとった。

みんな、本当に望んでいた結果は得られませんでした。
忍野が言ったように、少しずつ“不幸”を背負うことに
なってしまいました。

でも、生きているんですね。

みんなが幸せになる方法なんてないよ、
バカじゃないのと言いながらも
本当に人としての深みを知り、
命があることや、そこから育まれる様々なことに
感謝をできるタネが、そのときまかれる。

怪物、吸血鬼であるキスショットですらそうでしょう。

この後の、物語シリーズの展開を知っていれば、
彼らは実際、さらなる“不幸”に遭遇しながらも
成長していきます。

それも、そのたびごとに“幸せ力”を身につけて。
身につけてというか気づきを得てというか。

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、思い通りにならないこと…

そういうことを“不幸”と呼ぶなら、
やはり、そういうものを味わえるから、
感じることができるから、そうでないことや
今あるものの有り難さに気づけるということですよね。

自分が不幸だと感じているということは
幸福を感じる感受性もちゃんと持っているということです。

幸せすぎて、幸せが当たり前すぎて、
幸せに気づけない不幸ほど寂しいモノはない。

PG12…でも、やっぱり思春期に突入する息子には
一緒に見せてやってよかったなと思いました。



              全ての物語のために
















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