2016年09月28日

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い 西尾維新 著 講談社」原因と結果に因果関係はない!?



映画やドラマだけではありません。
マンガや小説だけでもありません。

マーケティングの世界でも
心理学の世界でも
教育・育児の世界でも
人材育成の世界でも
プレゼンの世界でも…

とにかく今、ストーリーというものがもてはやされています。

物語…古くは神話や聖書の時代から
物語という装置は使われてきました。

それだけ効果的なものが物語です。

わたしはストーリーセラピストですから、
ストーリーが人生において大きな役割を担っていることも知っています。

逆に言えば、ストーリーが人を縛りつけることもある
ということも嫌というほど知っていると言うことです。

じゃあ、ストーリーは悪なのか?

違います。ストーリーから解放されると言うのは
いついかなる時も“今ここ”から
新しいストーリーを紡いでいけるということですよね。



本当は「物語シリーズ」のクライマックス
「終物語」の中巻・下巻を買いたいのですが、
お財布と相談しながら一旦ストップ中です。
その代り、ブックオフの100円コーナーで、
西尾維新さんのデビュー作を見つけて購入しました。

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」
西尾維新 著 講談社


を読んでいます。

絶海の孤島に隠れ棲む財閥令嬢が
科学・絵画・料理・占術・工学の分野から
それぞれ一人ずつ、
計五人の「天才」を島に招待します。

天才たちは五人とも女性。

そして、その天才たちが島について数日…
孤島の中の密室状態で、
首なし死体の連鎖が幕をあけるのでした。

天才工学少女、玖渚 友と彼女に連れられてきた
付添い人の冴えない友人「戯言使い」の「いーちゃん」こと
物語の語りべ“僕”は、その事件の謎に挑みます…。



読んでみると、やっぱり西尾維新さんの文体だなと、
納得がいきます。

「物語シリーズ」に比べると、言葉遊びは抑え目ですが、
言葉の使い方、選び方、遊び方というのは
やはり作家さんごとに個性というものがあるんでしょうね。

福井晴敏さん、垣根涼介さん、高野和明さん、
海堂尊さん、金城一紀さん…

わたしが好んで読む作家さんたち、
みなさん一見普通の
読みやすい文章を書かれているようでいて
全員その人らしさが確立されています。

百田尚樹さんに関しては「永遠の0」しか
読んだことがないので、今後他の作品を読むのが
とても楽しみです。

お正月に公開される予定の「海賊と呼ばれた男」を
次の候補にしているのですが、
映画公開前に読破できるか!?

今回の、「クビキリサイクル」も実は最近映像化されていて、
10月にDVD第一巻が発売されるようです。

それもあってブックオフで探していたのでした。

さて早速、琴線に触れています。
わずか43ページ目で「う〜む…」と
反応してしまいました。

それはあるキャラクターが言い放つセリフ
「全てが結果なのだと、私は思うけれどね」

原因と結果。

自己啓発のベストセラーにもこういうタイトルの本があります。
全ての物事には原因がある。
全ての結果には原因がある。
だから、その原因を変えれば結果も変わるよね…。

失礼を簡単に通り越してしまって相手にされないほどに
超簡単に言ってしまえばそういうことが書かれている本です。

わたしも全ての結果の原因は
わたし自身の精神の結果だと思っているので
精神を向上させることを意識しているわけですが、
因果関係というものに対する捉え方も
成長するにつれて変わってきています。

一つの原因が、必ずしも同じ結果を生むとは限らない。
全ての結果が、同じ原因を元にしているとは限らない。
原因と結果の間に因果関係すらないこともある。

言ってしまえば何を原因とし
なにを結果とするかは自分で選べる。

それによって、過去の出来事への解釈も変わるし
未来への希望や展望も変わってくるし、
なによりも今の自分を幸せにもできる。

乱暴で筋も論理も全く通っていませんが

「原因と結果に因果関係はない」

メチャクチャに言葉の使い方ですが、
これはこれで、当たり前に正しいと思います。

ストーリーセラピストと言いつつストーリーを否定しているような
そんな論理ですね。

でも、全てが何かしらの結果として起きていることもまた真実です。
そしてその全ての結果はこれから起こるあらゆることへの
原因となりえる。

過去という原因にとらわれ今という結果を傍受するのも今、
過去への解釈を変えて未来の展望を感じるのも今。

「全てが結果」

という感じ方には、わたしには不条理や理不尽で厳しい
自然の理をあるがまま受け入れたうえで
限りの無い幸せへの希望を言い表しているように聞こえます。

新しいストーリーを紡ぎたいなら古いストーリーに縛られたダメ。
ストーリーは要らない。

それでもストーリーを手がかりとするなら、
過去を捉え直してみる。今までとは全く視点で見てみる。

そうすると、それらを伏線にして新しい未来が見えることがある。

全てが結果…つまり…
原因と結果に因果関係なんてない。

だから、あなたは今この瞬間に、幸せになれる。

過去は縛られる必要はないものだし
未来には未知の可能性がまだまだいっぱいある。

幸せは想像力のたまものです。
それはそれは広く深い意味で!


               全ての物語のために







posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

「君の名は。」その2 キラキラ視点で見ると世界は希望に溢れている



社会人一年目は東京で暮らしました。

鹿児島出身、十代は福岡で育っているので
田舎者と言って間違いないでしょう。

都会の人、東京の人は冷たい。
そんな勝手なイメージを田舎者のわたしは
強く抱いていました。

その先入観が崩れたのは、
高校三年生の時。

大学受験で何度か東京に行った時です。

他県に比べて、電車や地下鉄など
道案内が非常にわかりやすくて
進んでいる街なのですが、
それでも田舎者のわたしには言葉通り
「右も左もわからない」大都会。

宿泊施設に行くにも、受験会場に行くにも
基本的に迷うわけです。

そのため、まあ受験の鉄則でもありますが、
受験会場は前日に確認。
迷いながら、必ず確認に行っていました。

ちなみに一浪しているので
予備校生時代も同じです(笑)

その迷い迷いの中、わたしはしょっちゅう
道行く人に道を聞いていました。

なぜなら、東京の人は親切に教えてくれる人が多い。
というのを初めて東京に行った日に
体験していたからです。

そのため、就職で東京に行く時も、
そのあたりに関しては何も心配していませんでした。

逆に田舎者なので、田舎だというだけで
周囲の人がいい人たちばかりだとは全く思っていません。



劇場で観て、「これはぜひ劇場で観てください!」
と薦めたくなる作品て、少ないです。わたしの場合は。
わたしは感じ方、受け取り方は人それぞれだと思っていて
どの作品を「観たい」と思うかはその人の“今”の感性を
尊重したい。自分がそう尊重されたいので人もそう尊重したい。
だから、「コレ!観たほうがいいよ!」とは言わないようにしてます。
でも、コレは劇場で観たほうがいいんじゃないかな〜(笑)

「君の名は。」

…ということで再び取り上げます。

1,000年に1度の彗星来訪が、1か月後に迫る日本。

山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、
町長である父の選挙運動や、
家系の神社の風習などに嫌気がさし、
大都会東京へ出ることを強く夢見ていました。

ある日三葉は夢の中で、東京暮らしの同じ歳の少年の
生活を体験します。

夢では東京での生活を楽しみながらも、
リアルで不思議な感覚に困惑する三葉。

一方、東京在住の男子高校生・瀧も
自分が田舎町に生活する少女になった夢を見ていました。

やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは
引き合うようになっていくのですが…。



次世代的な感覚の作品。

というのはとても深く感動できる作品なのに
泥臭さ(昭和臭さ)を感じさせないという意味で
わたしとわたしの先輩の個人的な感想です。

わたしが好きな邦画に「河童」という作品があります。

米米クラブのカールスモーキー石井こと石井竜也さんが
原案・監督・クリーチャーデザインなどを務めた
“石井竜也第一回監督作品”です。

この作品は、正直言って泥臭いです。
特にレーザーディスク版でしか観れなかった完全版は
田舎の濃い部分、ダメな部分が多めに描かれていました。

田舎というと時間の流れがゆったりしていて
人々も穏やかで…っていうイメージが
あるように思いますが、本当はそんなことはありません。

田舎も都会も知っている人はわかると思いますが
結局、どちらにも親切な人もいればそうでない人もいる。

この映画では、東京の汚い部分も田舎の汚い部分も
描かれていません。

作品が、世界をそのようには捉えていないからでしょう。

都会も田舎もキラキラしています。

田舎に住んでいる三葉は、なにもない田舎から出て
東京で暮らしたいと思っています。
そんな三葉の視点の語られ方を観ていると
臭いモノに蓋をする的な感覚でもないのも分かります。

でもそれは、古いしきたりやなにもないという
物理的なモノ・コトに対する個人的な好みとしての
不満であることもわかります。

泥臭さからくる人情というものもあるのですが、
それは描かれない。
かといって、人情味がまったく描かれていないのかというと
思いっきり描かれていたりもする。
それは都会でも田舎でも描かれています。

世界は希望に満ち溢れている。
世界はキラキラしている。
世界は善意に溢れている。

どこか…根底にそんな気分が流れている気がする。
少なくとも映画を観た人はそんな気分になる。
そんな希望を込めて作られたということでしょうか?

その感覚がこの映画の次世代感を
醸し出す原因になっているのかもしれませんね。

都会だからとか田舎だからとか、
そんな感覚で物事をとらえていない。

その感覚をもっとも象徴しているのが
瀧のキャラクターが醸し出す雰囲気かもしれません。

息子は「あと5回くらい映画館で見たい」
と言っていました。
わたしも、本当はもう一度映画館に行きたいくらい。

いろいろな想いが湧いてきて、
5日経った今でもまだ余韻が残っている映画です。


                全ての物語のために















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

ドラマ「営業部長 吉良奈津子 #10(最終話)」その2 大人の恋への向かい方



飲み会に行くと、若い女性たちは
恋の話に花を咲かせます。

最近は“若い”の基準もだいぶ変わっているようですが…

一緒に飲んでいると、
わたしにも話題が飛び火します。
わたしと妻の慣れ染めなどを聞かれる。

一昔前は酔って調子に乗って
ペラペラしゃべっていたこともあったかもしれませんが
今は上手くはぐらかせるようになりました。

それにしても惚れたはれたは
いつになっても楽しい話題です。

若い人たちが今まさに恋をして悩んでいるのをみると
「いいね〜」と羨ましくなったりもします。

自分がそういう時期、本当に苦しんだので
今悩んでいるワカモノたちにとっては
切実な悩み、苦しみであることはよく分かるのですが、
それでも羨ましく思ってしまう。

じゃあ、既婚者だから恋はしないのか?

いいや、そんなことはないんですよ。



久しぶりに仕事で体を酷使しました。ヘトヘト。
疲れが取れにくいのも歳のせいか…
気持ちがつかれない様に、ちゃんと休んで
ちゃんと運動しないといけないですね〜

ドラマ「営業部長 吉良奈津子」 第10話(最終話)

本当に取り上げたかったのはこっちです。

家族のある母親の職場復帰物語。

しかし、主人公・奈津子(松嶋菜々子)は
もといたクリエイティブの仕事ではなく
営業部の部長として戻ることに…

クリエイティブ時代にこき使っていた
アシスタントの高木(松田龍平)が
チーフディレクターになっていました。

二人はぶつかりながらも、信頼を深めて行き
奈津子にとって高木はとても頼りになる
存在となるのでした…

最終話の直前で高木はニューヨークでの
勉強の機会をキャンセルして
奈津子のピンチを救うべく日本に戻ってきます。

そんな高木は、この窮地を乗り切った後に
ひとつ話があると奈津子に言っていたのでした。



前回の記事でもほんの少し触れた部分。

とても良い終わり方だなと思った部分です。

それは高木の心に秘めた恋心。
それを秘めたままに物語の幕を閉じたことです。

奈津子の家族の幸せを祈り自分の思いは
最後まで語らなかった・・・

恋がすでに愛に変わっている。

ちょっぴり切ないけれど、最高にカッコイイ。
松田龍平さんのような実力派が起用されていたワケは
案外こういう部分にあったのかもしれませんね。

もともと、CMへの情熱も、
感情を表に出すのではなく静かに内に秘めているタイプです。

そういう演技は松田龍平さんは得意ですからね。

高木が気持ちを明かさなかったのは
奈津子の幸せを願っているからです。

奈津子には夫も子供もいます。

奈津子は高木の愛には気づいていない。
(…のかな?)


例えば奈津子が高木に恋心や愛情を抱くことも
ありえたかもしれませんよね。

それでも、夫への愛情が無くなるわけではない。
愛する家族は守りたい。
そう思えば、やはり高木への気持ちは
明かすことはないでしょう。


わたしは妻と結婚するときに
当たり前ですが“誓い”をたてました。

一生添い遂げる誓い、生まれ変わっても一緒になる。
そんなロマンチック…メルヘンチックとも言われそうな
誓いです。

恋愛結婚しようと言うカップルなら、
当たり前とも言える誓いですよね。

だから浮気や不倫はしない。
まあ、それは法律的にも違法ですが、
妻への裏切りにもなるし、自分の誓いを破ることにもなる。

しかし、男として他の異性の魅力を感じなくなる…
なんてことはありません。

魅力的な人の魅力はちゃんと感じる。
ということは恋心的なものを抱くこともある。

しかしその気持ちを、独身時代の恋心のように扱って
相手とどうにかなろうとすると、自分の家族のためにも
自分のためにも、そして相手のためにもならない。

全てを大切に思うのなら、その気持ちは秘めておく。
それが人間の在り方として正解かどうかは
人それぞれの意見があるでしょうが、
わたしはそういう選択をする。

そして、その相手を思う気持ちは
その内、尊敬や人としての好意に浄化させ
異性への恋心や愛情は全て妻に向ける。

もちろん歳を追うごとに妻に向ける愛情は
深く重くなっていくわけですが、
わたしは家族ならそれは当たり前だと思っています。

そしてそれはわたしの感じ方なので
妻に押しつけもしない。

妻や夫がいて、他の異性に魅力を感じない
というのは人間としてヘンですよね。

感受性は深まったり広がったりこそすれ
閉じることはないのですから。

だから、家族を愛すればこそ
今まで気づかなかった人たちの
さまざまな魅力に気付けるようになっていく。

ならば異性の魅力の感じ方も強くなっても自然です。
問題はそういうことも含めて、自分がどう在ろうとするか?

高木は既婚者ではありませんが、
大人として、既婚者に魅力を感じることへの
礼節ををわきまえていた。

とても素敵な最終回でした。


               全ての物語のために








posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする