2018年07月23日

ドラマ「ラストチャンス再生請負人 #1」サボったことのツケが回ってきたら



わたしは43歳ですから
人生の折り返し地点を過ぎて
次のターンに入り少し進んだところかな・・・

と思っています。

で、まあ楽天家で、裏を返せば
手を抜いたりサボったり
まあ、一人前になる人が
乗り越えないといけない壁の前で
「面倒だな〜」って感じちゃいます。

だから高校も偏差値は50ピッタリ
くらいの普通校だったし
その中でも理系特進クラスには入りましたが
赤点ギリギリでなんとか卒業できた感じ。

定期考査もいつも一夜漬けで
大学受験は一浪して
なんとか中堅の私立大学に合格。

先輩のつてで入った会社は3日で辞めて
その先輩にもう一度紹介してもらった
次の会社は1年でクビ。

福岡に戻ってフリーターやりながら
派遣会社に登録して派遣の仕事で
なんとか自活できるだけの
給料がもらえるようになってからは

シナリオや映像コンクールへの
出品にいそしんでいました。

結婚して子供ができてからも
そんな状態だったので
そこで転職活動をするのですが
どこにも相手にされませんでした・・・



なんだか、久しぶりのドラマ。テレビ東京の
ドラマBizというシリーズは低予算なのでしょうか?
それにしては役者さんは大物ばかり。
スタッフさんがドラマ班じゃなかったりするのかな?
どこか再現VTRみたいな雰囲気が消えない。
逆にそういうタッチなんですかね〜

ドラマ「ラストチャンス再生請負人」
第1話


を観ました。

樫村(仲村トオル)は
順調に人生を送ってきたが銀行マン。

しかし、突然勤務先の銀行が吸収合併され、
運命が一転します。

同期の宮内(椎名桔平)ら行員たちは
次々と辞めたり出向させられたり…

いつ自分がどうなるかわからない…

そんな不安の中、樫村は
道端の占い師(ミッキー・カーチス)から
「七味とうがらしをきかせた、
味に深みのある人生になる」
と言われます。

とうとう樫村にも子会社の
カード会社への出向が言い渡され
悩んだ末に退職。

職探しを始め同期の宮内(椎名桔平)が
経営しているコンサルティング会社で
働かないかと誘われたりもしますが、

銀行マン時代の元顧客で
投資会社社長の山本(大谷亮平)から
飲食フランチャイズ会社の
再建の仕事を頼まれるのでした…



樫村は順調に人生を送ってきた人間です。

しかし、今までが順調だった分、
これからそのツケが回ってくるようです。

とはいえ、樫村が占い師に
反論していたように、
樫村自身に言わせれば
それなりに大変だったのでしょう。

実際、銀行員になって出世までしているのですから
こつこつと勉強も受験もやってきたはずです。
その間には思春期だってあれば
恋の悩みや進路の悩みや
友人や親兄弟とのケンカやなんかだって
あったはず。

占い師さんに言わせれば
そんなのは当たり前だということに
なるのかもしれませんね。

でも、わたしは中学も高校も
普段からコツコツやるタイプではなかったので
樫村のようなタイプはエリートタイプだと
思いますし、かといってそれは
簡単に成し遂げられることではない
ということも簡単に想像できます。

樫村のような人生を送るには
並大抵の努力じゃできないはずなんですよね。

少なくともわたしのようなタイプにとっては
ちょっとやそっとの努力じゃできないです。

だから、とても理解のある奥さんがいて
これまでのキャリアや信用もある。

順調だった分、ツケが回ってきたと言うよりも、
これまでにコツコツ積み上げてきたものを
いよいよ人生の本番のステージで
試すときだぜ!

って感じがしますよね。

わたしのような夢おい人のキャリアだと
樫村のようなキャリアはエリートコースです。

ひがみ気分はありません。
むしろ尊敬する。

人生設計を怠ってその日が楽しければいい
という生活をしてきたツケが
今回ってきてるんだろ?

樫村のような人をひがむ前に
そんな声が聞こえてくる。

実はこれ、34歳での転職活動の時に
さんざん言われて回ったことです。

もちろん全部受け止めましたけどね。
履歴書見たらそう見えるでしょうし
実際そうだったわけですから。

かといって自分がダメなヤツだとは
思っていませんよ。

前半ではわたしのプロフィール。

あれは事実です。

だからあそこにばかり焦点を当てると
わたし自身、「オレはダメな人間だ」
と思ってしまいます。

だれだってそうだと思うんですよ。

自分の黒歴史ばかりをリストアップして
並べたらとんでもない人間に思えますよ。

でも43年生きてきて何も積み上げてきたものが
ないのかと言えばそんなことは決してない。

これも、誰だってそうであるはずなんですよね。

わたしは面接用に自分の物語を
しっかりと語れるように作り込んで
あのつらかった転職活動の数年後。

転職試験や正社員登用試験に
合格するようになりました。

それでもわたしの人生のツケは今
まわってきています。

それは認める。

じゃあ、そのツケをどうやって清算するか?
それって、やっぱり今まで培ってきたものを
土台にして新しい力を生みだす。

そうやって乗り越えて行くしかないし、
そう考えれば誰にだってできること
で、あるはずなんですよね。


         全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ) #3 河を渡って木立の中へ」善人か悪人か自分でもわからない時代に必要なこと



ここ二十年ちょっとで
日本国内の経済格差は大きく広がりました。

ここ数年の広がり方のスピードは
本当に恐ろしいですし、
まったく他人事ではない。

サラリーマンとして能力を存分に
発揮できている上位数パーセントの人は
この先も大丈夫でしょうが、

生活費を稼ぐために好きでもない仕事を
やっているとか、好きだけど
能力を出し切れていないという人、
つまり並レベルとその下のサラリーマンたちは
気をつけないとAIやロボットに
仕事はどんどん奪われていきますよね。

わたしもそのひとりです。

だから、焦る気持ちもわかるのですが、
実は経済格差はまだ分かりやすくていいです。

確実に資産額とか貯蓄額とか給料の額とか
共通認識と共通水準のある数字が
明確にでますからね。

でも、同じ頃から今日にかけて
同じように格差が広がってきて
今日の格差の広がり方が甚大な被害を
及ぼしているのに
なかなか自覚されていない問題があります。

これは、経済格差のどの層に居ようが
関係なく人事ではありません。

しかも、経済格差で苦しんでいる人が
そこから抜け出すためには
絶対に必要なこと

なんとか格差の上に居る人も
知らないままだと一瞬で下の方に
落ちてしまうようなこと。

なのに、まだまだ多くの人が
自覚していないんですよね。

その無自覚は明らかに社会の表面に
表出して人々の認知も広がり始めている
というのにですよ。



やっと今シーズンのドラマを見始めました!!
ひとまず「ラストチャンス再生請負人」1話、
そして「チア☆ダン」は2話まとめて観ました。
近々紹介しますが、今回はこっち

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ)」
第3話「河を渡って木立の中へ」


を観ました。

裁判も無しに刑務所に
アッシュが移送されると聞いた
刑事チャーリーは、

知り合いで現在投獄中のジャーナリスト、
マックスにアッシュの面倒を観るように
頼み込みます。

アッシュはマックスと同室になり
アッシュを独りにしないよう
くっついてまわるのですが、

若く容姿のいいアッシュは
ゴルツィネの息がかかった囚人、
ガーベイに襲われてしまいました。

医務室で話をしていると
マックスも「バナナフィッシュ」について
調べていたことを知ります。

そしてマックスのもう一つの正体も…



マックスは第1話の冒頭で出てきた
キャラクターですね。

アッシュの兄グリフィンがマシンガンを持って
暴れ出したのをマックスが脚を撃ってとめました。

あの彼ですね。

声はわたしの好きな平田広明さんです。

少し前にフジテレビの
ゴールデンプレミアムで放送された
「ホワイトハウス・ダウン」
ではジェイミー・フォックス演じる
大統領の声を好演されていましたね。

「宇宙兄弟」のムッタや
「TIGER & BUNNY」の虎徹
わたしが好きなのはこの2人のキャラですね。

ああ、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の
ジャック・スパローの声と言ったら
多くの人にわかりますかね。

「ワンピース」の麦藁一味にいますが
わたしは疎いのでキャラクター名をわすれました。

さて、そんな平田広明さんの持ち味が
存分に楽しめる今回のお話・・・

つまり、マックスの陽気さやマジメさ
そして、怒りも悲しみも、苦悩も憔悴も
この一話に詰まっていましたね。

アッシュはマックスの正体が分かって
「オレはお前を殺す」
と宣言します。

アッシュにとっては大切な兄を
見捨てた裏切り者に映っているようです。

はじめはマックスも弁解します。
第1話を観ていると
わたしたち視聴者も
「アッシュはあの現場を知らないから
誤解してるんだよ!」
って思えます。

でも、あれ以降のマックスとグリフィンの
関係が伺えるシーンがカットバックで
紹介されますが、
マックスはマックスで自分がグリフィンを
裏切ったんじゃないか?
見捨てたんじゃないか?

と心のどこかで自分を責めても来たようです。

マジメだからこそ、力不足だった自分を
「もっとやれたんじゃないか?」
と責めてしまっている状況ですね。

除隊後もグルフィンの行方をさがし
彼が残した「バナナフィッシュ」という
言葉を調査していたというマックス。

彼なりにやれることはやろうと
一生懸命だったのがわかるのですが
視聴者はマックスは悪くないよ味方だよ
って思えます。

でも、問題はアッシュの視点でもありません。

マックス自身がグリフィンの味方なのか
裏切り者なのか分からなくなっていることです。

それでも、マックスはそうやって
自分を突き放して観る視点を持てている。

まだ救いはあります。
心の知能指数はちゃんと保たれている。

彼にとっては試練でしょうが
乗り越えれば成長もするはずです。

でも、現代社会のパワハラ、モラハラ、
虐待などの問題を観ていると
心の知能指数の下がり方が
尋常では無いことがわかります。

一方で精神的、情緒的に年齢には関係なく
一昔前の感覚での「フツー」から考えて
かなり高いステージにいらっしゃるんだな
と分かるような人たちもたくさん出てきています。

だから心の知能指数=EQも
格差がどんどんひろがっていると言えるわけです。

パワハラ、モラハラの問題は
最近は加害者が指摘されても
全く自覚がないし、
感覚として分からないものだから
周囲から言われると
加害者が被害者と同じ意識状態に
なってしまうことも、頻繁に起きています。

加害者側はマジメな人で
パワハラやモラハラが
悪だと分かっているんですね。

マジメで頑なで、正義感も強い
そして理想も高い。
一生懸命に人のことも考える。

なのに加害者になっている。

つまり、自分が思う理想や
在るべき姿というものがあって
それが他者にも正しいと信じる。

だから自分が信じる「〜であるべき!」
「〜であってはならない!」

を自分以外の人に押し付ける。

そこからがハラスメントなんですが
そのことを知らない。
また、気づきや成長というのは
人それぞれのスピードと方向性があることや

自分の感情、特に怒り系の感情に対する
知識が圧倒的に足りないものだから
いくら客観的に自分をみていても
そもそもどこの客観的視点に立てばいいのか?

そのバリエーションも少ない。

だから、感情処理がいっぺんとうになってしまう。

端的に言えば無知の知がない。

EQ、心の知能指数の格差が
今こうして、各家庭や現れているんですね。

意地悪だと分かっていてやる
パワハラはまだやめさせようもある。

しかしマジメな人が無自覚だと
もう双方悲劇。

被害者側から言えば盗っ人猛々しいにも
ほどがあるにも関わらず
ある日突然パワハラ宣告を受ける。

マジメな人たちはこうして今
人を苦しめて、
苦しめた自覚も罪悪感も持てず。

ある人は反発して自己肯定し
ある人は自らも精神的に被害者になり
自分が善人なのか悪人なのか
わけがわからなくなる。

もうみんなが『無知』による被害者!

という目も当てられない状態が
起きているんですね。

『無知』だから、まだまだ自分が
被害者であること、加害者であることに
気づいていない人たちが沢山いる。

すでに起きているのに潜在的なだけで
表に出てこない。

これが現代の心の知能指数格差です。

そうならないためには、
本当にひとりひとりが自分で
『無知の知』を意識して持って
学ぼうと意識するしかない。

つまり知識がないこと以前の問題で
知識がないことを自覚することができるという
知識から持たないといけないということですよね。

でも、逆に言えばそこから
全てが好転していくわけですから
必要なことってホントにシンプルですよね。


            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月21日

アニメ「アンゴルモア元寇合戦記 #2 佐須の戦神」女性の「頑張って」で奮い立つ



わたしはウブでした。

モテなかったわたしは
十代、つまり中高生のころに
恋においては「良い春」を味わえませんでした。

失恋の連続。片思いの連続。

それはそれはつらい時期でした。
(笑)

まあ、そんなことも含めて
その寂しさをバネに

“自分の売り込み方”

を模索して、気になる女性と
恋愛できるようになっていきましたから
必要な試練だったのでしょう。

さあ、そのウブだったわたしは
よく男好きするタイプの女性に
コロリと騙されて…

いやいや相手に言わせれば
騙したつもりはないのでしょうが
(いいやホントはあるだろう・笑)

惚れっぽいタイプでした。

いかにも自分に興味を持ってくれている
という聞き上手の女性が
「すご〜い!」なんて笑顔で
ボディタッチしてくると
もう、顔が真っ赤になって
ニタニタ(←たぶん)してました。

じゃあ、今はそんな風にコロリと
騙されてしまわないのか?

騙されはしませんし、
好みも変わってしまいましたが、
何も変わっていないものがあります。

あのなんともいえない高揚感。

それは男好きするタイプの女性に?

いいや、それだけではありません。
むしろタイプで言えば
広がったと言ってもいい。

サイテー!

ってイヤイヤ。まあ、そういう話でも
ないんですよねコレが。



日本人もモンゴル民族ですよね。本当は。
子どものころお尻が青いのって蒙古斑
正確にはモンゴロイド系の人も多いということか。
わたしも「ケツの青いガキ」でした。

アニメ「アンゴルモア元寇合戦記」
第2話「佐須の戦神」


を観ました。

迅三郎は、異国の賊から
連れ去られそうになった
輝日を救出しました。

輝日はそのことで
迅三郎を認め初めているようです。

迅三郎は輝日に呼ばれ
国府で対蒙古の軍議に
参加しました。

しかし、島を治める輝日の父、
宗助国やその他の家来たちは、
蒙古は対馬を素通りして
博多に向かうのでは?

など、呆れるほど楽観的です。

迅三郎が堂々と異論を唱えると、
助国は気分を害し軍議から
追い出してしまいます。

追い出された迅三郎は
町で旧知の男、
九州御家人を統括する少弐家の武将、
少弐景資と再会します。

景資は迅三郎に、
博多に戻り7日目には軍勢を連れてくるから
7日間、この対馬を持ちこたえさせてくれ
と頼み、九州へと戻っていきました。

間もなく、助国らの予想は外れ、
蒙古軍が上陸したとの知らせが入り…。



良いですね!ちゃんと録画しててよかった。

1話目も実は2回観たのですが、
2話目も2回観ちゃいそう。

熱いですね。
前回も伝えましたがわたしは
福岡で30年暮らしています。

対馬には行ったことがありませんが
この博多と対馬で海外からの
侵略をくい止めたという
歴史上の事実はとても
誇らしい気持ちになりますね。

さて、物語の主役は観客、読者、
視聴者に好かれるキャラクター
であることは大切な要素ですよね。

わたしも世界中にある作品の
ほんの一握りしか触れられないので
あくまでも自分の好みですが、

わたしが好きな作品の主人公たちは
大体お人好しだったりドジだったり
女性に弱かったりします。

性格で言えば、純粋だったり誠実だったり
でも人なつっこかったり・・・

誠実・・・冴羽僚は誠実なのか?
と言われれば笑ってしまいますが
まあルパン三世同様
女好きでは在るけれど、
正義感や情はちゃんと持ってるでしょう?

お人好しな面が必ずある。

この「アンゴルモア」の主人公
迅三郎のキャラクターも
好かれる主役らしく女性に弱いのかな?
という面が見えてきました。

若い(十代だそうです!)姫、
輝日の色仕掛けにタジタジになる迅三郎。

多分、輝日は今はチョロいなと思っていても
のちのち本当に
迅三郎を好きになるのでしょうね。

知らないけど。

男子は女子には弱いです。

日本の男子はとくにボディタッチなんかで
コロリとやられちゃいますからチョロい。

それって下心があるからでしょうか?

そうとも言いきれませんよね。
全くないとは言い切れないけど、
誰に対しても下心を持つわけじゃない。

でも、女性に「すご〜い♪」と言われたり
ボディタッチで励まされたりすると
体の奥底がカッと熱くなります。

女性の応援の声だけで
力が湧いてくる。

これは、世界をよりよい方向へ
進めるためには知っておいて欲しいことです。

女性にも男性にもね。

その力があるだけでどれだけ
喜びを感じながら人が力を発揮できるか?

虐げられて、孤独の中で
ハングリー精神で何くそ!っと
頑張る底力ももちろん強い力です。

でも、人という個が持っている
同じ力でも、一人だけで出せる
ハングリー精神と、

人の応援によって引き出される力では
根本的にその質が違うし
平和や多くの人の幸福につながる波長を
より強く持っています。

下心だけじゃないことの証明に
ひとつ例を出すと
親にとって…特に父親にとっては
息子だろうが娘だろうが、
わが子からの声援となると同質ながらも
また更なる領域へと
その力の強さが進歩します。

出会ったばかりの恋人でもない他人の女性と
わが事ではもう雲泥の差なのは
当然なのですが、
男性が女性に励まされて湧き出る力は

そこにつながる最初の泉の開き方
なんだと思います。

そりゃあそうですよね。

女性と出会って、恋をして、
その人を愛し、子をもうけ家族をつくる。

男の力の源の歴史がそこに
そのまま反映されているでしょう。

だから、独身で自由を気取っている男性も、
子をつくらないという生き方を選んだ人も、
自分本来の力を引き出すことを
純粋に考えたときに
愛すべき対象の存在があることを
知って欲しいですね。

子を授かった幸運に心から感謝して。


         全ての物語のために












posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月20日

アニメ「はねバド! #3 アイツは完璧だった」健全な親離れ、子離れは良いけど、子離しだったらもっかい・・・もう何回でも考え直して



親離れ、子離れ。

親にとっては淋しい季節です。

子にとってはせいせいする季節?

最終的には家を出て
一人暮らしを始めたとき・・・

いや、その上で経済的にも
親に頼らなくて済むようになったとき。

そこが本当の意味での
親離れとなるのでしょうか?

わたしの息子は今、中学2年生ですから
十代の大きめのその時期です。

覚悟は出来ていても淋しいモノがあります。

ただし、これまでにも実は
段階的にこういう時期がありました。

都度、父親としては
理解をしつつ、なおかつ
間違った方向には行かないように
見守っていなければならない。

よくドラマでお父さんが
誰のために毎日必死で働いていると
思っているんだ!
と、癇癪を起こすシーンがあります。

そんなのは押しつけであって
結局は自分のため・・・

なんてことはわかっていますが
今は痛いくらいに
そんな風に言いたくなる気分がわかります。

家族への責任感があればこそ。
独り身だったらもうガマン出来ない!
という辛さも耐えて、行きたくないときでも
気力を振り絞って仕事に向かう。

でも、この時期は家に帰って
優しい妻と無邪気な我が子に癒される
なんて、あったか家族ごっこはできません。

十代特有の大人への不満。世の中への鬱憤。
我が子のことを必死で考える妻にも
夫をおもんばかる余裕はなかなかない。

そこにすねたりせずに、
みんながこの時期をできるだけ健全に
乗り切れるように、今自分にできることをする。

家族が倒れそうなときは
手をさしのべる強さをもちながら・・・

結局、わたしが在ろうとする父親って
そこにたどり着くんですよね。



え?なんか・・・アニメも観る余裕がなくて
ドラマはまだどれも1話も観れていません!!
こんなことでいいのかオレ!
実は体力が問題なんじゃないの?とも
気づいているけど現状維持に甘んじている
今日この頃。

アニメ「はねバド!」
第3話「アイツは完璧だった」


を観ました。

まだまだバドミントン部への
入部をためらっている綾乃。

幼少のころから綾乃が
バドミントンをする姿を観てきた
幼なじみのエレナは、
当時も今も変わらず
バドミントンをする綾乃を
複雑な表情で見守っています。

一方なぎさは、完膚なきまでに
綾乃に敗れた全日本のときとは
別人のような今の綾乃に
違和感を抱いていました。

そんなバド部へ突然の闖入者が…

港南高校の1年生エース、
芹ヶ谷薫子です。

薫子の声を聞いただけで
なぜか動揺する綾乃。

2人の間には独特な因縁があり…



これまでのエピソードでも
イメージカットの表現で示唆されていましたが
綾乃の母親は綾乃をおいて
出て行ったようですね。

当然の事ながら娘の為なのでしょう。
そこには感動的な秘密か
感動的な結末につながる思いが
絶対に隠されている。

エンターテインメントとして楽しんでいると
まあ、盛り上げるための設定としては
素直に楽しませてもらっています。

でも、リアルにひとりの親としては
綾乃の母親に今のところは共感できません。

我が子を置いて出て行く親に
どんな物語であれ完全に共感できたことは
これまでに在りませんでした。

「Oh My Dad!!」の鈴木杏樹さん演じた妻も
「午前三時のルースター」で主人公の
礼二郎を置いて行方不明になった父親も
「mother」「woman」の
娘を置いて出て行った母親たちも
わが子の成長や自立、
あるいはわが子を守るためでした。

その思いには共感も感動も
部分的にはできましたが
わが子のてを放したことには共感出来ない。

本気でわが子のことを思えばでしょう!

と怒られるのは承知で言ってます。
それでも手を離された子の
淋しさは、本来与えて良いものではない。

だからこそ「Oh My Dad!!」の織田裕二パパや
「幸せのちから」のウィル・スミスお父さんの
自分がどんなに不甲斐なくとも
わが子の手は放さない姿に
全面的に共感します。

自分が淋しいからでしょう?
というお叱りも正面から受け止めますが
その淋しさこそ大切にすべき感覚です。

パパは、ママは、淋しくないの?

コレが子の心につくる穴は計り知れない。

その子達は一見、強く自立した大人に
なるように思える人が多いですが
結局、家族を壊す事になる割合も多い。

「こうあるべき!」「こうあってはならない!」
をどこかに頑なに持ってしまって
それに気づけて手放せない限りはね。

だから「とんび」の父親もそうですが
嫌われようが恨まれようが
自分が子を愛することは絶対にやめない。

そして同じだけ妻や夫を
愛することもやめてほしくないわけです。

大丈夫、あの子は乗り越えられるって
多くの親は言うし、一見自立して見えるから
本人ですら

「今ではそんな親に感謝してます」

なんて言います。

感謝できるようになることは
素晴らしいのですが、
将来の自分の家族を壊してしまう
「強さ」が非常に自覚し辛い心の奥底に
育ってしまうんですね。

子どもの手は放さない、
背を向けない。

コレはもう完全に個人の意見と言われるでしょう。

でも、いくら自立・自活をしても
絶対的な愛を親から示されないことの方が・・・
自分が自分の大事な家族を壊す
原因になっていると気づけ無いことの方が
不幸だと思うんです。

その傷は子々孫々うけ継がれやすいものだから。

子どもの為になんて思って
わが子が健全に自立する前に
子の手を放すような決断を
しようとしているなら、
ぜひ、もっともっともっと!
考え直してみてほしいです。


            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ) #2 異国にて」人の自由に自分の自由を照らす



電車の中で
一生懸命スマホゲームにいそしむ人、
老若男女います。

彼らを観てると
わたし自身の感受性が閉じているのだろうか?
と、自分を疑ってしまいます。

子どものころ、あんなに欲しくて
やっと手に入れたファミコン。
夢中になっていました。

ディスクシステムであった
VSエキサイトバイクでは
負けたことがありません。

中学、高校時代は弟の
スーパーファミコンを借りて
fゼロとか一生懸命やっていました。

しかし、今は全く触手が動かない。

あ、VR。

プレステ4のVRは感動しましたね。

それを考えると閉じているとも
言い切れないのかな?

最近、勤務先やら周囲があわただしく
せっかく大好きな義兄が来ているのに
手放しで楽しめていないわたしの
感受性の鈍り方にちょっと神経質に
なっているようです。

そんな中で、自分の時間を活き活きと
使っていたり。
コレがハダカの俺だ!っていうのを
自分で分かっている人を見ると
焦ると言うより、ショックを受けてしまう。

いまちょうどそういうタイミングです。



悩みながらも毎日観れるものがあるってこと
だけでも幸せな事なんですよね。ルーティーン
のようになっている日々の番組チェックも
わくわくできる時とただの消化になっているときが
あります。逆に言えば自分の心の状態を
客観的に観れるバロメーターの役割でもあります。

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ)」
第2話「異国にて」


を観ました。

チーム内で対立している
オーサーの仲間に
連れ去られてしまったスキップと英二。

2人を助けるため、
後を追ったアッシュ。

自分をおびき出すための
罠であることは百も承知。

まんまとオーサーと手を組んだ
ゴルツィネの部下・マービンに
捕まってしまいます。

マービンの下心を利用した
アッシュの機転で逃げ出した3人。

結局、行き止まりの壁に
追い詰められました。

そこで英二は元陸上選手の
棒高跳びの要領で
見事に壁を飛び越えてしまいます。

その英二の姿にくぎ付けになるアッシュ…

アッシュとスキップは逃げきれず
マービンたちに再び包囲されますが
そこにショーター達も現れ、
その場は乱れます。

そして卑劣なマービンに怒りで
我をわすれたアッシュは
執拗にマービンを追い…



ニューヨークが舞台で登場人物も
ほとんどが現地の人間。

そこに日本人記者と一緒にやってきた
アシスタントの日本人学生、英二が関わる。

そんな設定なのですが、
原作者も日本人でアニメも日本の作品。

当然、全キャラクター日本人の声優が
日本語で演じているわけです。

それを海外の人たちが
英語字幕で見ながら楽しんでいる。

youtubeの海外の反応で
確認できる光景です。

すごいですよねホント、日本のアニメは!

さて、元陸上部で
棒高跳びをしていたという英二くん。

第1話では、ニューヨークの不良達の
たまり場という場違いな場所で
ギクシャクしていた日本人青年。

この第2話では得意の棒高跳びをつかって
窮地を脱するという常識外の行動で
アッシュ達を驚かせました。

空中を舞う英二の姿は
アッシュにも眩しく映ったようです。

自分はニューヨークの裏社会の人間、
英二は羽を持っていて自由になれる人間。

後のセリフからもそんなふうに
思っているのかもしれないと
感じられるシーンがありました。

しかしどうでしょう。
確かに英二くんは日本の自分が育った環境が
平和で恵まれていたということは
肌身で感じたでしょうが
自分のことを自由だなんて思っているでしょうか?

むしろ、アッシュの方が自分よりも年下なのに
自立していて自分の力で自由に生きている
というふうに見えるのではないでしょうか?

電車の中で嬉々としてスマホゲームに
いそしむ人たちを観ていて
わたしは羨ましかったです。

わたしも同じようにスマホを取り出して
いじっている一人でしたが
わたしはキャッシュを掃除したり、
メールやメッセージの整理をしている。

それもほとんど広告や迷惑メールです。

なんなんだろうこの違いは?って思いますよね。

でも、羨ましいからといって、
自分がゲームをしたいというわけでもない。

そこに感受性の扉が閉じていることを
感じたわけです。

でもふと思いまいした。

彼らからはわたしのほうが羨ましく見える・・・
なんてことも在るのかもしれない。

ある人はちゃんと結婚して子供もいる
という状態を羨ましがるかもしれない。

ある人は惰性で暇つぶしゲームをしている
自分が嫌で、同じスマホいじりでも
ブログで自分の考えを発信してるわたしを
羨ましがるかもしれない。

ある人がコレこそ自分の魂!
コレこそ裸、ありのままの自分だ!

と思えるようなことをやっている
ということを目の当たりにして
まだまだそうはなれていない自分を
痛感しました。

アッシュが棒高跳びで宙を舞う英二に
心を奪われたようなあの表現。

あの瞬間の気持ちが手に取るように分かりました。

でもわたしが羨望のまなざしで観たその人は
自分にはないわたしの何かに
羨望のまなざしを向けているかもしれない。

迷い人はやはりそこがなんなのか?
自分を知っていかないと
迷子のまま終わっちゃう。

自分を知るためにも
そういうことを感じさせてくれる人を見ながら
そこに鏡のように映り込む自分を
感じ取っていかなければならないのでしょうね。


             全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする